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この時期ではなくとも、読書する価値がある

地学という学問を学生時代に専攻していたせいか、地球の歴史の中で人の一生という時間で起こる自然現象については、あまり驚かない様になった。確かに、近年大きな地震や強い勢力の台風による被害というものを日本人は受けることがあった。しかしながら、じっくりと自然に向き合い、地形に向き合い、土地の過去と照らし合わせてその地方の文化にしっかりと向き合う事が出来れば、実のところ「想定外」というのは、そうそう無い事が理解出来る。科学的な理解というのは、そういう視点に立ったものであるだろうし、データに基づいて理解することでもある。

ウイルスや疫病の流行というのも広い意味で言えば、自然現象の一つでしかない。人類にとっての疫病は地球上で生命として生きていく中で避けることが出来ないものだと考える。それは、天体に起こる物理的現象と同様のもの。生命の進化のシステムの中で、幾度となく繰り返し起こってきた事のはず。何せ、地球上の生物は、数え切れないほどの種の絶滅を経てきたものなのだから。

ヒトという生物が、「人間」として社会を形成することにより、種の繁栄をもたらしていることもまた、理解しておかなければならない。
「関係の生物」
そのように、ヒトという動物の特徴を言ったりもする。
本能として、関係する人たちと協力することが自分の身を守る最善の方法だという事をDNAレベルとして刻み込まれている。それが、自分たち「ヒト」という動物の最大の特徴でも有る。

そういう視点で、この本を読んだ。

https://www.amazon.co.jp/dp/4102114033/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_0AQOEb0TQKDGN

この本はいつか読まなければと思いながら、自分の特性上、かなり後回しにしてきた。しかし、読まないといられないと思い、読むことにした。

あらすじ
アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。

その中で、この一文がものすごく響いた。

「医師リウーは、わが市民たちが無用意であったように、無用意であったわけであり、彼の躊躇はつまりそういうふうに解すべきである。同じくまた、彼が不安と信頼との相争う思いに駆られていたのも、そういうふうに解すべきである。戦争が勃発すると、人々はいう──「こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから」。そしていかにも、戦争というものは確かにあまりにもばかげたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気がつくはずである。」

2020年になってから、どの国の政治家も
「コロナとの戦争である」
という台詞を使っているのを耳にした。
しかし、ウイルスとの戦争というのは、なんだかおかしな印象を持ってしまう。ウイルスを擬人化している。しかし、ウイルスには意思を持たない。生物としての情報を未来に残すための方法をとっているだけ。あくまで、自然現象の一つだと思う。
戦争にしてしまっているのは、実のところこれを利用したい人間の側ではないのか。そんな風に思ったりもする。

じゃあ、人が亡くなることについて、「何も感情を抱かないのか?」と言われたら、「否」と即答出来る。自分自身、永遠の別れというものほど辛いものはない。受け入れがたいところがある。感情がないのではない。
ニュースで読まれる亡くなられた人の数を聞く度に、その人の数だけの人生と、その人と関わりの合った人との心のつながりがある事を、いつも思い浮かべてしまう。その度に、例え知らない人でも、すぐに涙が出てきそうな自分が居る。これは、地震や台風などによる被害でも同じ。

人のもてる知恵と力によって、誰もが幸せになることの出来る社会であってほしいと願っている。これを獲得するためには、試行錯誤が絶対に必要。だからこそ、科学的な視点というものは、「知恵と力」の最大のものだと思う。

「知恵」が必要不可欠。
科学的に理解しようとするためには、その時々のデータを見渡し、解釈する必要がある。解釈しようとすれば、その時点での持っているデータは全て公開されなければならない。時間が経つにつれて、データが集まることで解釈も変わる事は普通にありうる。木を見て森を見ずになっては、取り返しのつかない事にもつながってしまう可能性がある。しかし、何パターンもの見解を持たないと、色々な考えられる最悪の想定をも持っていなければ、人類に対する自然からの脅威に向き合う事は難しい。それを元にしてしか、誰もが幸せになることの可能性は少なくなってしまうと思う。

「馬鹿げたこと」とわかっていることならば、それを止める必要がある。その決断をするのは、自分の事ばかり考えている人では出来ない。何度も言うけれど、人という動物は「関係の生物」なのだから。関係性をなおざりにしてしまうと、たちまちその集団はヒトが本能として持っている生存戦略から外れてしまう。つまり、多くの犠牲が出てしまうという事。

この小説で、グランという下級役人が出てくるが、自分が出来る事や役割をよく理解していたのはこの人物だったのではないだろうか。当然ながらリウーもまた医師としての役割を果たし続ける。また、アルベールという人物の行動の変容もまた、自分事として当事者意識を持つようになったのではないかと思う。

自分が今、出来る事。
残念ながら、ちっぽけな人間で、自分と関わりのある人の数はたかがしれている。
でも、自分は理科教員の端くれ。今は休んでいるけれど、少しでも科学的なリテラシーを持つことの出来るようになりたいと思う。そのためには、しっかりと体調を戻す。それしかない。

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