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過ぎた日々を想う

 隣の家から赤ん坊の泣き声が聞こえる。

 四月もあと数日で終わろうとしている頃の話だ。冬の間はほとんどずっと閉めきっていた窓を、この時期にはしょっちゅう開けて、部屋に風を通す機会も増える。先日まで聞こえなかった隣家の音に、だから突然気づくのだった。

「なんか懐かしいなぁ」

 夫が何を思い浮かべてそう言ったのか、聞かずとも分かったので、

「うちの子もずーっと泣いてたよね」

 と、わたしは答えた。
 きっと同じ映像が、わたしと夫の脳裏に浮かんでいた。


 娘がまだ寝返りもできない赤ちゃんだった頃、ほとんど一日中、赤子の名に相応しく顔を真っ赤にして泣き叫び続けた時期があった。
 あれは辛かったな、と、今なら思い出のひとつとして語れる。しかし当時は必死だった。

 ひと通りのお世話はしたところなのに、なんで泣くんだろう?どこか痛いの?何か悪い病気だったらどうしよう。
 答えのない問いばかりが頭の中をぐるぐると巡り、不安で仕方なかった。こちらも声をあげて泣いてしまいたかった。仕事へ行った夫が1分でも早く帰ってきてくれることを願っていた。
 放っておけば今にも息が止まりそうな、ちいさなちいさな赤ちゃんを、大切で仕方ないこの子の命を、一人で抱えるのはもう限界だと思った。


「余計なお世話やろうけど、今から隣の家に行って赤ちゃん抱っこして揺らしてあげたいわ」

 真面目な顔をして、目の前の夫はそう続けた。うちの子が赤ちゃんだった頃にも、夫は昼夜を問わずにたくさんたくさん抱っこしてくれた。そのことにずいぶん救われた。
 だけどあの頃、あの、昼間に抱えた孤独と恐怖は、わたしだけのものだ。娘とふたりきりで過ごしたかけがえのない時間も、わたしだけのもの。
 夫にその気持ちを伝えた時、肯定とともにただただ感謝と労りの気持ちを返してくれた。優しいひとなのだ。

「知らんひとがいきなり抱っこしてきたら、赤ちゃんびっくりしてもっと泣くやろうね」

 思ったままを口にすると、確かに、と夫は神妙に頷いた。
 素直か!
 わたしは思わず吹き出してしまった。

 救われる。このひとの優しさにも、素直で明るい心にも。
 願わくば、今まさに赤ん坊の泣き声と向き合っている隣家の大人にも、温かな救いがありますように。


(2020/06/07)№4

最後までお読みいただき、ありがとうございます。なにかひとつでも心に残るものがあれば幸いです。