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夢はいつも平和(散文詩あり)




中学生の頃

長い1日が終わり、布団に入る。
目をつむり、ふと考えた。

「人が寝る理由はなんだろう。起きるから寝るのか、寝るから起きるのか。」

疲れたから寝る。
疲れてなくても眠れる。
時間が来たから寝る。
時間でなくても眠れる。
作業で疲れた体を休ませる。
考えて疲れた頭を休ませる。
明日の為に休養をとる。

今日は楽しくてしかたがないほど、満足感がある中で寝ることのなんと幸せなことか。

逆に今日は何もしていない日やほぼ一日中寝たままの日でも、しばらく経てば寝ることができる。

満足感があろうがなかろうが、体や頭が疲れていようがいまいが、とにかく眠りはする。

だから一般的な「起きて活動する」が本体ではなく「寝るのが本体ではないか」と見立てたことがある。

いつも、いろいろな想像を巡らせて別世界に行ったり、今日の出来事をウダウダ考えてしまうのが未だに癖。


みんな夢を楽しんでる?

生き物も1日の内に幾らか寝ている。
人間なら5〜9時間
肉食動物は10〜15時間
草食動物は1〜5時間

虫や魚も原生生物の類いも「寝ている条件」にあてはまれば睡眠をとっているそうだ。
それに植物も「就眠運動」と呼ばれる状態が寝ているのだという。

私はロングスリーパーなので、睡眠が6時間で足りる人が羨ましくなる。寝る分を趣味に当てられれば「人間らしい文化的な生活」を送れると思ったから。しかし、現実の私は自堕落で上手くいきそうにない。

現実を生きるのは楽しくて大変だ。それにこの体質を変えられるわけがないのだから、寝るを楽しむことにした。

思えば睡眠中にみる夢は楽しい。大した記憶はないが、まぁ平和で戦争も喧嘩もないし、課題に追われるなど不安もない。

目が覚めても夢見心地な私は、漫画や童謡の世界の住人になれたらどんなに幸せだろうかと、思っていた。それを叶えられるのが夢の中だと思う。


現実には厳しいものばかり(散文詩)

朝「行ってきます」
心で家にあいさつ
午前中 怒られて
お昼 もくもく食べ
午後、雑務を終わらせる
嫌いになってしまった
この乗り物で
家と向かう
朝、会社に向かった自分を思いながら

愉しいはずのスマホ
連絡は
誰からも
いつも通りになく
ゲームの通知と
販促メールばかり

テレビのニュース
誰かがいろんな理由で死んでいく
明日もこんなものかなって
黙ったままに眠る

ある休みにそんな自分を
「頑張ったね」と
おやつで慰める
それでも社会はまるで
「頑張りが足りない」
と言いたげ。



寝るのは

休むため?逃げるため?


寝るのは自動で入れる。起きるのは人の外に原因がある。寝るのが正常なのだ、入るのは絶対的なこと。入った後の一切も自動で済む。しかし人の外に [起きなければならない] 原因があるから、起きる事もまた絶対的だ。起きたら意識の時間が始まる。人間の内は鳴りを顰める。意識の時間で我々は人生を考え、娯楽を求めて、疲れたら寝る。そうやって睡眠の話では誤認する。

ゾーンに入るというのも、極論寝ている。何も意識しない、思考をしない、全て肉体の感覚に任せる。これこそが、人間の外ですべきことである。意識しないこと。意識こそ曇らせる。
物書きをしていくなかでそう思った(私は)。私は意識して書こうとすると書けなくなる。一方で筆が進む時は、何も意識していない上に、時間はゆうに1時間経つことがある。無意識、ゾーンに入ることは、睡眠に似ていて力強い。

睡眠は人間の内に全てを任せるから自動で済む。

寝続けたいというとき、食事やトイレは夢遊病みたいに済ませばいいし、風呂は虫や微生物に任せれば良い。寝ているのだから、虫が這う不快感は感じ得ない。娯楽は不要。仕事も不要。繁殖だって知らぬ間に済む。わざわざ起きて、意識的にするようなことはない。

寝る不思議さは、睡眠の本を読むとわかる。なぜ寝るのかと人間は問うが、私ならなぜ人間は起きるのかを問う。
起きていても、何も得ていないのに、その上に苦労や見たくないものが絶えない。
得ていないとは、肉体的に遺伝子的にである。一般にいう得ているとは、手に持てるとか、そうした技能を有するとかで、どちらも"起きているから"と"脳の認識が"である。
得ているものとは、起きていないと得られないが、寝ている時には不要なものである。寝ている時に、スマホは使わないし、タスクは生じないし、資産家も貧乏人も関係なく睡眠にありつける。日中の活動は大して重要なことをしていない。



お目汚し

人に何かを渡せるそれ全てに「自分のもの」は存在しない。

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