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【短め短編小説】2057年、「月の耳」の旅 #シロクマ文芸部

「月の耳」を訪れる宇宙の旅は世界中で人気をはくしている。2057年12月21日金曜日、午後2時48分、あと12分で月面行きの電磁シャトルバスがここ種子島の滑走路を飛び立つ。機長と副操縦士を含む6人のクルー、35人の乗客は、すでに離陸態勢を取り、その瞬間を待ちわびていた。そして機内と滑走路の映像は、見送る家族や友達のデバイスに送られていた。

 電磁シャトルバスに搭載された8機のエンジンが「ウィーン」という起動音と共に始動した。エンジン音が滑走路中に響き渡るほどにとどろき、午後2時59分、電磁シャトルバスは浮き上がった。そして午後3時、急速に速度と高度を上げ、爆音と共に、あっという間に大気圏外へと消えていった。

 1時間32分の超時空飛行ののち、電磁シャトルバスは無事に月に到着すると、目的地である「冬の湖」の最北端にある「月の耳」に向かった。「冬の湖」は名前を持つ月最小の湖であり、北緯15.01度、東経13.97度に位置し、その直径は48.04キロだ。

 乗客達が窓から宇宙に浮かび上がる青く輝く地球を眺めて38分、電磁シャトルバスは「月の耳」に辿り着いた。ムーンウォークスーツに身を包んだ乗客達は、次から次へと月面に出ると、順番に「月の耳」に入っていった。宇宙へと浮遊して迷子にならないように、ムーンウォークスーツ同士は電磁シャトルバスに固定された命綱で繋がれていた。

 乗客達は月、そして「月の耳」を初めて訪れる期待と興奮で顔を輝かせていた。「月の耳」は、誰もが来られるわけではない。いくら金を積もうと来られない者は来られない。様々なテストを受け、「月の耳」選抜委員会が細心の注意を払って検討し、「月の耳」に来る資格があると認めた者だけが訪れることを許される。

「月の耳」は、2041年2月1日、他の先進国から大きく遅れてやっと月面着陸を成功させた日本の宇宙飛行士2人によって発見された。「北の湖」の北端周辺を探査中だった神崎玲央れお飛行士と真壁じゅん飛行士は、「北の湖」の北端に直径約200メートルの穴があることに気づいた。

 その穴はライトで照らしても底が見えないほど深く、電波を使っても深度を測定することができなかった。そこで、2人は命懸けで探査船を穴の中に進めた。しかし、進めど進めど底に行き着く気配はなく、探査船はどんどん下降していった。

 どこまでも続く闇黒あんこくは神崎飛行士に死を思い起こさせた。彼は末期の膵臓がんを患う妻のことを思い、こぼれそうになる涙をこらえた。
《人類はこんなところに来られるようになったのに、まだ勝てない病気がある。神がいるなら妻の病気を治してくれ》

 神崎飛行士がそう願った次の瞬間、穴の壁に当たったのか、衝突音と共にに探査船が激しく揺れた。
「危ない! 月面に戻れ!」
そう叫んだのは真壁飛行士だった。

 2人が気づくと、どうしたことか、探査船は月面に戻っていた。20メートルほど離れたところには地球から乗ってきた円錐形の宇宙船があった。宇宙船「希望3号」に残っている2人の仲間の宇宙飛行士達は、ロボットアームを器用に操り、月面の物質を採集しているところだった。

 月面に戻った探査船の中で、真壁飛行士は言った。
「何が起こったんだ?」
 神崎飛行士が答えた。
「分からん。どうなったんだ?」
「探査船の操作ミスで穴の壁に接触してしまったんだ。立て直そうと思ったら、何もしていないのにここに戻ってきていた」
「よく分からんが、とにかく無事でよかった。『希望3号』に戻ろう」

 その後、「希望3号」は予定されていた72時間の月面探査を終え、地球に帰還した。そして、札幌の自宅に帰宅すると、神崎飛行士を待っていたのは驚くべきニュースだった。妻の膵臓がんが完全に消えたというのだ。

 神崎飛行士は真鍋飛行士に連絡した。真鍋飛行士が穴の中で「月面に戻れ!」と言ったら月面に戻ったこと、自分が妻の全快を願ったら妻が全快したことから、穴の中で願うと願いが叶うのではないかとの仮説を伝えた。

 2人は信じられない思いを拭い切れないながらも、各方面の専門家に相談した。すると、穴の力を検証するため、程なくして次のミッションが月に送られた。検証用の願いの1つは「地球上のすべての戦争を即刻、終わらせる」だった。

「希望4号」が月に到着し、穴の探査が始まり、検証用に準備された願いが唱えられると、地球上の戦争はすべて突然に終結した。ある戦争は国の指導者達が和平協定を結ぶことで即時終戦が実現し、ある戦争ではすべての兵士が武器を放棄して家族の元へと帰ったため終わった。またある戦争ではすべての武器が故障し、戦うすべがなくなった。

 穴には願いを叶える力があることが証明された。日本政府は、「希望5号」を打ち上げ、再び月を訪れた神崎飛行士は、「誰もが人類全体の福祉に資する平和的な願いだけを穴で願う」という願いを穴の中で唱えた。そして日本政府は、願いを聞き入れてくれることから穴を「月の耳」と命名し、世界に向けて発表した。

 その後、各国政府は、協力して、世界中で「月の耳」訪問のための電磁シャトルバスサービスを開始すべく準備を開始した。そして、2047年、「月の耳」シャトルサービス・グローバルネットワークが完成した。

 今では世界中の人々が「月の耳」を訪問する。人々が様々な願いを唱え続けているおかげで、戦争がなくなった地球では、人口規模が適正化され、飢餓がなくなり、森林が回復し、水や空気が清浄化された。そして何よりも、人々の顔から笑顔が消えることがなくなった。地球は、地上の楽園となりつつあった。(終わり)


⬇⬇⬇楽しく参加させていただきました。参加したいと思いつつ、なかなか参加できませんでしたが、やっと参加できました。それにしてもいつも奇抜な書き出しをよく思いつかれるなあと、その想像力と創造力に脱帽です。
 ちなみに、月の写真はあまり撮りませんが、2018年1月31日に撮ったものがありました。5年以上前の月だと思うと感慨深いです。

⬇⬇⬇こちらに収録しました。


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