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通り魔犯の元彼女(第4話/5)

 一分と言ったのに、全部で五分かかった。インタビューのあと、たっくんはまた感情のない目にもどり、約束通り、記者たちの一部に知られてはいるが、誰も記事にはしていない事情を教えてくれた。

 鵜目夫妻と栗原元基との接点は、栗原の祖父の家をリフォームするときにあった。不便な土地ではあるが平屋で敷地が広かったため、鵜目夫妻は某有名ハウスメーカーを紹介し、その系列の不動産屋と組んで、モダンなアパートを作るよう祖父に勧めたのだ。
 不動産屋は店子の確保を約束し、家賃収入で建築費はすぐに元が取れて老後も安泰、と強引に勧められるうちに、祖父もその気になった。
 しかし駅から遠いためか、店子はまったく取れなかった。祖父は建築費のローン返済にたちまち行き詰まり鵜目夫妻に相談、土地とアパートを鵜目工務店に安く買い取られた。その後は店子も入り、賃貸住宅として営業が成り立っているらしい。あとから考えれば祖父以外の誰も損をしていない。全員がグルになっていたとしか思えない。

 結局、祖父は破産することになった。一挙に老け込み、ふらふらと歩く姿を近隣住民の大勢が見ていた。だが、昭和の男の矜持か、祖父は鵜目不動産について悪く言うわけではない。自分のものだったアパートに、半額の家賃で入居するかと問われても固辞したそうだ。祖父母は公営住宅に移り、失意のうちに相次いで亡くなった。
 同居していた元基は、すべての経緯を見て聞いていたのだろうが、家主になる夢を見始めた祖父を、途中で止めることはできなかった。もしくは、一見親切そうにも見える鵜目夫妻に、「いずれお爺様の跡を継いで家主になれば、一生安泰ですよ」などと、丸めこまれていたのかもしれない。

 元基の祖父が破産していたのは、杏紗にとって初耳だった。
 鵜目夫妻が紹介したハウスメーカーや不動産屋は、マスコミにたくさんCМや広告を出してくれる大企業だ。どの媒体も、元基の祖父が破産した原因についてどころか、祖父が破産していたことすら、記事やニュースにはしないのだと、たっくんは言った。

「俺みたいな末端でも、大手さんに睨まれるのは困る。でも栗原のことをわかってくれるお姉さんには、話してあげた方がいいと思うし」
「ありがとう」
「大金が動く大人の世界って汚いよ。それに比べて俺らはなんの力もないじゃん。泣かされてる人が実際にいるのに、手を差し出したら俺らも火の粉をかぶっちゃう。逆に言うと、自分が火の粉をかぶる気でいないと、助けられないんだ」
 たっくんは、途中から自分に言い聞かせるような口調になった。感情のない顔だと思っていたけれど、極力怒りや憐憫の感情を出さないように努めているのだ。ジャーナリストとして。
「俺は味方はしてあげられないよ、ごめん。でもお姉さんのやるせない気持ちは、わからなくもない。同情もする。できれば栗原には、精神鑑定で無罪になってほしいんだよね」
 たっくんは片手を上げて、「じゃあね」と何事もなかったように路地を出た。少ししてから杏紗も路地を出て、別々の方角に歩き始めた。

 同じ足立区内にある元基が住んでいたアパートは、ニュース映像で映っていた。たしか和水荘という名前だ。杏紗は和水荘をマップ検索した。鵜目工務店から早足で十五分ほど歩いたところに見つけた。テレビで見るより階段の錆や壁の欠けが目立ち、築五十年の実家より古い建物に見える。
「ゾンビくん、ここに住んでいたんだね」
 初めて来たのに懐かしい気持ちになるのは、昭和のたたずまいだからかもしれない。杏紗は平成生まれだけれど、子どもの頃は、昭和にできた街並みを見て育っている。
 換気扇からインスタントラーメンの匂いが漂ってきた。元基もきっとこのアパートで何度も、袋ラーメンを調理しただろう。

「聞いてーゾンビくん、昨日お鍋からラーメン食べたら、お父さんがすごい怒ったの。洗い物を減らそうって気持ちだったのに」
「お父さんにとって、お鍋は大事な商売道具だから、雑に使ってほしくないんだろ」
 父は理由も言わず一方的に叱るだけだったが、元基の意見は、驚くほどストンと腑に落ちた。
「そういうことだったの? ゾンビくんちは、お鍋のまま食べて叱られたりする?」
「お椀に入れて食べるよ。ラーメン作るときはたいてい親の分も作るし、それが晩ごはんになるから」
「おやつ代わりに食べたりしないの」
 杏紗にとっては、小腹が空いたときのおやつや、宿題が多い日の夜食が、インスタントラーメンだった。あのころは量を調整できるハーフサイズがあったのだ。
「おやつ、俺あんまり食べないんだよね」
「それ、私には一生言えないセリフ」

 和水荘の前にも数人、通行人ではなさそうな人がウロウロしているので、長居はできない。杏紗は元基との会話を思い出しながら、ゆっくりと通り過ぎた。
 銭湯はあったが、コンビニやスーパーは近くにない。弁当も販売する肉屋と、総菜を置いている豆腐屋だけが営業している寂れた商店街を通り抜け、営業しているのかどうかわからない古い食堂を見つける。
「親子丼」
 古いサンプルケースの中に、色褪せた食品サンプルが三つある。天丼と、きつね蕎麦と、親子丼だ。杏紗の中学時代の記憶が、またよみがえる。

 他愛ないクラスメートの男子の会話がエスカレートし、丼でどれが一番美味しいか決戦投票になった。
 杏紗の家は食堂だから、結果はちょっと気になった。
「発表! カツ丼が圧倒的二十二票で一位、牛丼が十票で二位。三位は女子人気の天丼で六票。四位はふたつ同じ二票で麻婆丼と海鮮丼」
「ゾンビくんはどれに投票した」
 杏紗は元基の机に頬杖をついて尋ねた。杏紗自身は、父が家族にはわざわざ作ってくれない天丼に投票していた。
「親子丼。あんなに美味しいのに、俺しか投票してなくて笑う」
 元基は言葉通り笑っていた。
 じゃあ今度うちに食べにおいでよ、と言いたかったのに、照れて言い出せなかった。うちは親子丼が一番美味しいんだよ。

「親子丼が好きだったよね」
杏紗は食堂の色褪せた暖簾をくぐった。
 前掛けをした八十才前後ほどの女性が、テーブルに座りテレビを見ていた目線を杏紗に移し、「あら」と声をあげた。
 店内のすすけた時計は三時半を指しているが、老人の店は、昼がメインで早じまいが多い。しかも今日は日曜日だ。昼食時が終われば店を閉めた気でいたのだろう。
「すみません、まだやってますか」
「なに食べたいの」
「親子丼」
「じゃあ出来ますよ。お父さーん、注文、親子丼ひとつ」

 テレビはニュース特番に切り替わった。銀座通り魔事件のまとめだった。杏紗は食い入るように見ていたが、テーブルに運ばれた親子丼を見て、歓声を上げた。
「玉子がトロトロ。すっごく美味しそう」
 見た目にたがわず、トロリとした半熟の玉子が、甘めに味付けされた鶏もも肉に絡み、歯を立てたとたん、ジューシーな味が口の中に広がっていく。シャキッとした歯ごたえの残る玉ネギが、鶏の脂を吸いこんで甘味を引き立てる。だしを纏ったご飯に少し七味をかけると抜群で、最後の一粒まで美味しい。
 父の親子丼も美味しいが、これは別格だ。東京という激戦地で、長年店を続けられた人による極上の美味さだ。
「美味しそうに食べてくれるねえ」
「すっごく美味しいです。私、親子丼が一番好きなんです」
「あの子もね、そう言ってくれた。礼儀正しい真面目な子でね、今も信じられないよ」
 老婆がテレビを指さしたとたん、厨房から「コラ」と声がかかった。
「あんな大それた事件を起こしたやつを褒めやがって。すみませんねえ。通り魔のあいつ、この辺に住んでたんですよ。常連で、かかあのお気に入りだったもんで」
「あんただって、今どきの若いもんにしては上出来だって言って、いつも大盛りにしてやってたよ。何かの間違いだと思うんだけどねえ」
 杏紗はまた目の奥が熱くなった。
 元基は離婚した両親には頼れず、頼みの祖父母が亡くなり、孤独に生きる中、この食堂の親子丼から、どれほど力をもらっていただろう。
「だいたい、あんな頭のいい子が、突然見ず知らずの人を襲う通り魔なんてすると思う?」
「そんだけ思いつめてたんだよ。俺らのわかんねえところで、あいつなりに精一杯生きてたってことなんだろ」
 こんな風に思ってくれる人が、こんなに身近にいた。杏紗の思い出の中の元基と、同じ彼を知ってくれている人がいた。
 親子丼のお代は、わずか六百円。杏紗は何度も礼を言い、食堂を出た。

 電車に乗って考える。
 元基がもし祖父の復讐を果たしたかったのなら、通り魔になる必要はない。祖父の身に起こったことを、詐欺として裁判で訴えるのが一番だったのではないか。もともとグレーな仕事をしている鵜目工務店だ。ひとつ悪行が暴かれたら、ほかにも似たような被害者が表に出るのではないか。
 どうしても殺したいほど憎んでいるなら、鵜目夫妻だけをターゲットにすればよかった。自宅に侵入するなり、家に帰って来たところを襲う方が、手もかからないし、現行犯逮捕されることもないだろう。
 なぜ、と考えながら帰路に就いた。
 あんな頭のいい子が。あんな大それた事件を。突然見ず知らずの人を襲う。
「私が考える程度のことは、ゾンビくんも何度も考えたはず」
 大金が動く大人の世界って汚いからさ。

 鵜目夫妻にしろハウスメーカーにしろ不動産屋にしろ、悪いことを堂々とする人は、法律に触れないラインを知っているはずだ。証人を揃え詐欺で訴えても、おそらく勝ち目はない。
 もし仮に彼らが詐欺で捕まっても、無期懲役や死刑の判決が出ることなどない。手を変え品を変え振り込み詐欺が減らないのも、数億円もの金を得た犯人ですら、ほんの数年で刑期を満了するからだ。結局、詐欺に遭った人は、泣き寝入りするしかない。
 できれば、精神鑑定で、無罪になってほしいんだよね。たっくんは言った。杏紗もそう思っていた。
「そう。自宅で鵜目夫妻だけを襲う計画的犯行だと、心神喪失は訴えられないし、ゾンビくんも死刑になる」

 ならば、白昼大勢の人の見る中で祖父の仇を討ち、自分が無罪になれば、無力な者にとって復讐は最大限果たされたことになるのではないか。
「通り魔として襲ってから、心神喪失を主張するぐらいしか、本当の意味で仇は討てないんだ」
 通り魔なら、鵜目夫妻だけを襲うことはできない。
 少なくともあと数人、無関係の被害者を出さなければならない。

 部屋に帰ってテレビを点けると、食堂で見たニュース特番がまだ続いていた。下にスタッフのテロップが流れ、キャスターが最新情報を伝え、番組のまとめに入っているようだ。
『……それから栗原は、自分の狙いは鵜目夫妻だけであり、重傷を負ったA子さんには、刃物を持ったまま出会い頭にぶつかってしまい、申し訳ないことをしたと話しているそうです』

「じゃあ、どうして今さら供述を変えたりしたの。ただの通り魔として、鵜目夫妻とは無関係を装い続けてればよかったのに」 

『軽傷を負ったB子さんについては、報道で同級生であることを知った。事件とは一切無関係だと供述しているそうです。この点について、警察からは被害者の方に対する過度の報道を控えるようにと、コメントがありました。番組ではこれからも被害者の方のプライバシーを尊重して、報道させていただきます』



通り魔犯の元彼女(第1話/5)
通り魔犯の元彼女(第2話/5)
通り魔犯の元彼女(第3話/5)
通り魔犯の元彼女(第5話/5)


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