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小説「1984年」が教えてくれたこと

小説「1984年」

昨年、大学の講義でジョージ・オーウェル作の「1984年」という小説を扱いました。この小説はディストピア小説の一つとして有名です。ディストピアとはユートピア(理想郷)の反対語です。

この小説では、「全体主義国家による国民支配」について主に書かれています。全体主義とは個人の全ては全体(この物語では国家)に従属するべきという主義思想です。利益や労働を個人ではなく、全体で平等に分配するという部分では共産主義とも被りますね。なお独裁は、政治権力が1人に集中するだけであるのに対し、全体主義にはそういった解釈はないため、違うものと区別されます。

また、この小説では、国家が「テレスクリーン」という監視カメラのようなもので国民の行動を常に監視し、ノートに自分の考えを書くことは禁止行為であり、党によって都合の悪い情報の改ざんが日常的に行われています。

実在する「1984年」の世界

驚く人もいるかもしれませんが、2020年現在でもこの「1984年」の世界のように国民の生活を監視し、表現の自由を認めず、情報の改ざんを行なっている国があります。それは主に共産主義国家です。その要因はやはり共産主義が全体主義と共通する部分が多くあることにあります。歴史を振り返ると共産主義を主張した国家は、その後上手くいかないことが多いです。その代表であるソ連はスターリンが共産主義の元となる社会主義を推し進めましたが、結局1991年に解体されました。

私が思うこと

この小説を読んで私はやはり、人は表現や発言を自由に行い、プライバシーが保護され、正しい情報を知るべき(日本でも政府がマスコミなどに情報統制しているが)だと思いました。逆にそれを全て規制し禁止した共産主義国ソ連は解体されてしまいました。これは人々が本能的に前者を求めているからではないかと思います。「1984年」という本は、全体主義や規制社会の実態をディストピア小説という形にして教えてくれました。さらに今こうして自由にnoteを書くことができていることが当たり前ではないということに気付かせてくれました。

日本に生まれ、生きている我々は世界の人々と比べてもかなり幸せだと思います。こんなことを言うと、日本なんて全然自由じゃないと指摘されるかもしれません。でもそんな私たちの日常で当たり前になっていることこそが実は最も幸せで大切なことであり、私たちが守らなくてはいけないことなのではないかと思います。また日頃から他国の現状など様々な情報を収集し、いざという時には、他人事のように放っておくのではなく、自分たちの権利を守っていく姿勢と覚悟を持つことが大切だと思います。

おまけ・・・共産主義の短所

何故、共産主義は上手くいかないと言われるのか。私は人間の性質が関係していると考える。共産主義では、誰もが同じ労働力、同じ利益を平等に分配することが是とされている。一見すると、とても理にかなっているように思えるかもしれない。しかしこれにはある欠点がある。それは、どれだけ頑張って働いてもどれだけサボっても最後にもらえる賃金が変わらないということである。これが理由で、共産主義国は、揃って生産力が低くなり、貧困が進んでしまい、結局は国として上手くいかなくなってしまう。そして、国家はその失敗を否定することができないために、国民の生活を監視し、表現の自由を認めず、情報の改ざんを平気で行ない、国民を規制という縄で縛りあげてしまうという負のサイクルに陥ってしまう。


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