見出し画像

本を読むことは尊いことなのか?

私の中では、積読があると「スマホを触るよりも読書」という思考が働く。

そっちの方が有意義な気がするからだ。

しかし、これは「スマホを触っている自分よりも、本を読んでいる自分の方が偉い(価値がある)」と思ってるからなのではないだろうか。

でも、「偉い」「価値がある」とは、どの視点から思っていることなのか。

一般的に本を読むことは尊い行為だと思っている。

どこか「賢い」、「聡明そう」。そんなイメージがある。自分がそう思われたくて、そのイメージ作りのために本を読むのだろうか。

読んだ本の知識を会話に散りばめながら話せたら「あ、この人は本を読んでいる人なんだ」と認識される。

このイメージ作りのために本を読み、そして実際に話す。

これを計画してやっているのなら、目的と手段がハッキリしている。

では、私はどうか?

書いてみればそういう節もあると感じた。しかし、正直に書けば漠然とやっていた、と言うのが正しい。

自分が腑に落ちることを踏まえれば、第三者に賢く思われたいのだろう。

しかし、それだけではない。

情報を得るという点で言えば、スマホよりも本の情報の方が濃い。

よく言われることかもしれないが、ネットは浅く広く、本は深く狭い

ネットで得た情報は「へー、そうなんだ〜」と思う一方で、疑問に思って詳しく調べてもそれ以上はヒットしない。ヒットしない、というよりも同じ意見以上のことが出てこない。

私の検索の仕方が悪いのかもしれないが、そう感じる。さらに出てきたとしても噂レベルのものが多い。説得力に欠けるものが多く納得しにくい。

反面、本はピンポイントだ。何かしらの結論を納得しがたくとも得られる。そこには根拠がある。

どちらも納得できないかもしれないと書いたのは、納得できるかは個人の感覚だからだ。

筋道を立てて述べられていることが多いので、その意見に自分が合うか合わないか、それだけである。

スマホを触っている時間の多くが情報収集であることを考えるのなら、ネットはお菓子を食べるようなもので、本を読むことは〈ごはん〉を食べるようなものと捉えられる。

お菓子をいくつも食べて腹を満たすのか、しっかりしたご飯を1食たべるのかの違いだ。

お菓子を食べることも立派な1食かもしれないが、やはり私にとってお菓子とご飯は別物だ。

ご飯はこってりしているもので、お菓子はあっさりしたものとも捉えられる。

腹を満たしたい時に真っ先に思いつくのはご飯かもしれないが、「いや、まだそんな気分ではない」と思って、お菓子を手に取ることは多くあるだろう。

情報を得たくても、「本は堅苦しいからまずはネットかな」という場面も多くある。

まとめるのなら、本能的には楽さだったり、気分で選んでいると言える。

冒頭に戻って、「スマホを触るよりも読書」は本能と理性のせめぎ合いとも言えるのではないだろか。

本能的には、本を読みたい気分もあればネットでいいやで済ませる部分もある。

しかし、理性は見栄えや効率性を重視して、「ひたすら本を読め!」と訴えてくる。

ご飯で例えるのなら、常に満腹でいろ!と言われているようなものだ。なぜなら、お腹が減ったと感じたのなら、お菓子ではなく、常にご飯を食べろと言うのだから。

理性と本能の間を上手くとりあったのがデザートではないだろうか。私にとってのデザートは小説だ。

デザートは別腹というように、理性の「本を読む」を満たしながらも本能の「スマホ」を満たしている。
(デザートすら食べたくない日ももちろんある。小説は私の中でスマホに近いものがある。もちろん文体にもよるが。)

「デザートはお菓子ではないか!」はごもっともな指摘である。しかし、私は騙されていることに気づいていない。「それならいい」とどこか納得してしまう自分がいる。

最後にまとめてみる。

「本を読むことは尊い行為なのか?」をスマホとの比較を視点に考えてみた。

始めに「スマホを触るよりも本を読む方が有意義」と考えた。

さらに、「有意義とはどの視点からなのか?」と深堀った。

それは「他者から見た視点」でもあると。

しかし、それだけではなく「時間の使い方としても有意義」だと。

時間の使い方の視点はご飯に例えた。

お菓子(スマホ)が良いときもあれば、ご飯(本)がいい場合もある。

しかし、例外としてデザートはたとえ有意義でなくとも有意義に感じさせる特別なものである。

こんなところだろう。

つけ加えるのなら、デザートを食べ続けることが理想のように思うかもしれない。しかし、やはりデザートも飽きる時がくる。そんなときには、お菓子、ご飯へ向かう。このサイクルを回して行くことが自分の有意義の理想を守りつつ、理性と本能のバランスを取る方法なのではないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?