SNSも友達も恋人も怖くなった話
※プライバシーの関係上、一部構成上重要でない部分の設定を変更しております。
仕事も恋人も失って
一身上の都合でコロナ禍にフリーランスとなった。
パートナーと二人暮らしなら家賃も折半で何とかやっていけるし、何より恋人と住んでいるだけでなんとなく気持ちが落ち着いて安心だと思っていた。
その直後に、7年間一緒だったパートナーに別れを告げられた。
1年ちょっと前の話。
7年の関係は、あっけなく気持ちの変化というもので終わってしまった。長い間一緒にいたせいか、その友達のほとんどが、共通の友達となっていた。
私も毎年毎回参加していた旅行やいつもの飲みの誘いなど、そういったものには、別れた後ほぼ誘われなくなってしまった。
これは本当に悲しかった。
しかし元パートナーは企画も人を集めるのも僕よりずっと上手だったし別れた直後から色んな計画を立てて共通の友人たちを集めていた。
当初は遊びに行った友人たちも私と彼が別れたことを知らなかったらしく、なぜ私がいないのか聞いても彼はあいまいな返事を繰り返すだけだったらしい。
悪意もなく、配慮もなく。そして私は他力本願だった。
別れたことを知った後、友人のひとりが声をかけてくれたこともあったけれど、共通の友達が複数人で集まるホームパーティであったり、予め元パートナーの参加が決定しているイベントだったりした。別れてから友達にも会えずにいるのに、大人数の、しかも全員事情を知っている友達の集まるパーティーにいくのは、本当に勇気と気力と体力が必要だと思った。そしてそんな大人数の前で自分の気持ちを話したり相談したりすることなんて出来やしないとおもった。「大丈夫だよ。」と元気そうに笑わなければいけない自分が見えて、とてもじゃないけれど、そこに行くことが出来なかった。
ひとりで飲んでいるときにそんな友人たちとばったり出くわした。その時、実際に心配かけぬよう気丈な態度をとったこともあったし、言ったりもした。だからと言って、本当に大丈夫なわけではなかった。
SNSを開けば私抜きの恒例のイベントやパーティーや食事会の写真が笑顔いっぱいに上げ続けられている。別れてから今まで、そんな写真を何度も見てきた。みないように設定してもどこからかまたその写真がアップされている。その中に今回の件で一対一で相談に乗ってくれた人、二人きりで話を聞こうとしてくれた人はいなかった。
SNSに上がり続ける自分だけが消されてしまったような楽しそうな元パートナーと友人たちの写真。
楽しさをシェアするという、悪意のないその行動がその時の私にはたまらなく怖かった。
どうしていつも遊んでいた共通の友達の中で、「元気にしてる?二人で話そう」と寄り添ってくれる人がいないのだろう。
どうしてまだ傷心の私に見えるような形で、こんな写真を上げ続けるのだろう。
いや、分かっている。
悪意は一切ないのだ。
そして配慮もなかった。
そして、認めたくはないけど、
私が他人に必要以上に期待をしていたから、
余計に悲しかったのだ。
「私だったらこうするのに、なんでみんなこうしてくれないの?」と。いつも遊んでいたのに、悲しい時に寄り添ってくれないのかと、他力本願を決め込んで、卑屈でわがままになってしまっていた。
これは、悔しくも悲しくも真実だと思っている。
声をかけてくれたのも友達だった
もちろん元パートナーとの共通でない友人たちもいた(当時共通じゃない友達は2人しかいなかった)。その2人の友達にはとても助けられたし、しつこいくらいに連絡やLINEをしてしまった。にも関わらず、冗談を言い合いながら付き合ってくれた。知り合ってから一年足らずの二人の新しい友人。
私が別れたこと、今は引越し先を探さないといけないことを告げると、三人で一緒に住んでもいいよと提案をしてくれた。その方が色々生活の上で楽だろうから、大丈夫だよと。
別れたばかりで、ある種ショック状態で気丈にふるまってはいたけど、さすがにこれは、嬉しかった。
元パートナーとの共通の友達のなか、たまにあう友人で自分を支えてくれた人もいた。当時は数か月に一度会うくらいだったかと思う。
「元気にしてる?ごはん二人で一緒に行こう」
私が欲しかった言葉を言ってくれた友達。
別れた後、いきなり複数人の共通の友達のいるところになんて、いく勇気がない。
「ただ、ふたりで、御飯行こう」
その言葉の中にあるやさしさこそが、私が欲しくて欲しくてたまらないものだった。彼女は元パートナーと共通の友達でありながらも、私の話を聞いて「それはひどい」と怒ってくれた。彼女が本当に怒っていたかどうかは重要ではないし、確かめようがない。ただ、確かなのは、彼女はリスクを背負ってでも私のために、または私の代わりに怒ってくれたのだ。「私主観の真実」を聞いて、その真意を確かめることは一切せずに、私のために、怒ってくれたのだ。
裏切りはなかった
今まで、かなり主観に満ち満ちた独りよがりのことを言ってきたかと思う。別に友達に裏切られたかといえばそんなことはなくて、それはすれ違いにすぎなかったとおもうし、ほぼ逆恨みみたいなとこまである。
私が落ち込んで卑屈になりすぎていた。
友人たちにも配慮するべき点はあったし、
私は他力本願で他人に期待ばかりしていた。
決していつもの共通の友達が私を積極的に傷つけたり裏切ったりしたわけではないのに、私の希望通りに寄り添ってくれなかったことで、すねていた。
共通の友達とか、
よく会う友達とか、
共通じゃない友達とか、
遊んだ回数とか、
そんなもので友達を無意識にセグメント分けしていた自分の考え方は、今後改めたいと思っている。
遊んだその回数が多いほど、
心のつながりが深い友達であると無意識にそう思っていた自分を。
誰と、
どんな話をして、
どれだけ心が通じ合ったか。
心の話なんてしないけど、その友達とお酒を飲んだりしてどれだけ楽しかったか。
友達との関係性は、そういう記憶と経験の集合体だと思う。
楽しさをシェアしてきた友達は、楽しさをシェアすることが多くて、それに喜びを感じてお互い一緒にいる。
話し上手・聞き上手な友達は、騒ぎたてて遊ぶときはそこまで盛り上がらなかったりするかもしれないけど、話したり聞いたりすることで心の話をしたりして関係性が深まっていく。
どちらも、ただそこにある友人関係。
くじ運
今はまだ、うまく自分に自信も持てないし、うまくいっていることの方が少ない。友人関係でもやもやとしていることもある。仕事だってふわふわしているし、やるべきこともできていない。幸せそうな人を見ると、運があっていいな、幸運な人だな、そんな風に思ってしまう。
幸せそうに見える人が、くじ運がいいわけではない。
幸せそうに見える人が、ずるして何度もくじを引いたとは限らない。
限られた回数の中で、一回だけ当たったくじを、きっと大事に握って離さずにいるだけだ。
そしてその一期一会のくじを大切にできる人を見て、期待以上の吉がなかったとそのくじを捨てた私みたいな人たちが、それを羨んでいる。
自分ではなく、他人に期待してしまっていた私みたいに。
その胸オレに貸してくれ 第7回 SNSも友達も恋人も怖くなった話
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