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病気の受け入れ方

僕なりの病気を受け入れるまでの流れと考えを話そうと思う。

大まかな流れは、拒絶→埋め合わせ→蓋→再発→拒絶→埋め合わせ→蓋→再発→受容

だった。ここまでくるのに僕の場合、14年の歳月が必要であった。

まずは、拒絶。症状が出てきてそれに悩ませられるが自分の力では解決せずに、そのものを拒絶し嫌うことで自分の中でバランスをとる。症状が外から自分の身に降ってきて、不幸を感じている時期。

そして、その症状のためにセーブされてしまった自分の能力の低下に自己肯定感がなくなり、外側の結果や評価で埋め合わせようと躍起に努力するようになる時期。

埋め合わせたあと、元の自分に戻った感覚がして、そのものを無かったものとして忘れ去ろうとして蓋をする。

暫くすると、蓋をしていただけなのでその症状がぶり返し再発する。

再発するも、また受け入れられず拒絶する。その場しのぎの埋め合わせる発想で、症状から逃げる。

外側の評価や結果で取り繕い、自分自身を見ないようにする。

また症状のことをない物として、蓋をする。

また振り返して再発する。

何度も症状から目をそらしていて、外側の物事で症状によって欠けていると思ってる部分をコーティングして蓋をしても同じように再発し振り出しに戻ることに気づく。

そうなった時に、症状は忌み嫌うのではなく、症状自体も自分自身だと受け入れない限りはこの繰り返しでは?と違った角度から物事を見れるようになる。

そして、受け入れてその症状と対面しきちんと治療できるようになる。


ここまでくるまでに、100回程のカウンセリングを受け、いろんなドクターショッピングをしてきた。服薬もしては、辞めるの繰り返し。社会的信用も失い、友人も離れていったこともあった。それほどに自分を受け入れる、障害を受容するということが自分にとって大きな壁であった。


受け入れられるようになった要因は、

毎回同じことの繰り返しをして失敗していると時間をかけて俯瞰して、見れるようになったこと。

受け入れていかないとこの先の人生もう生きれないと諦めがついたこと。


この二つが受け入れられるようになったきっかけだ。


よく病と対峙している方が、受け入れることが大切だ、と教えてくれているがその言葉の通りすんなり受け入れられるような自分であったら元々病になっていなかったと思う。


まとめると

受け入れられるには、

傷ついて、ボロボロになって、立ち上がって、傷ついて、ボロボロになって、立ち上がっての繰り返しをする中で、やっと俯瞰して自分を見れるようになって、また、病前の自分に戻ることにこだわっていた自分を諦められるようになってこそそれができるようになる。

多くの時間と、多くの失敗がそこにはついてくるがそれは受け入れるようになれる為のアイテムだと思ってゆっくり時間を過ごすことだ。


今回は、僕なりの病を受け入れるまでの流れと考えを書いてみました。同じように苦しんでいる方の参考に、また一つの視点の切り替えに力になれれば幸いです。



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