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Time is “NOT” money.(前編) 無駄こそが人間の本質である。

"Time is money."
(時は金なり)

そう言ったのは、ベンジャミン・フランクリンだ。曰く、時間を無駄にすることは損をすることであり、一分一秒がお金になると思って効率的に行動せよ、ということである。

これは仕事のできる人間の処世術という話ではなく、社会で生きる全ての人間が実践すべき倫理だとフランクリンは述べている。
つまり、時間を有効に使うことが、人として正しい生き方だということである。

まず、自分の時間を有効に使うことは、自分が享受できる幸福を増やすことである。
また、他人を待たせることは他人の自由の時間を奪うことであり、これは許されない。
そして、一人ひとりが仕事で時間あたりの生産を最大化することは、社会全体の利益をより大きくすることに繋がる。
よって、時間を効率的に使うことは、自分のためにも、他人のためにも、そして社会のためにも、一貫して役に立つことである。

しかし、効率ばかりを追い求める世の中は、あまりにも忙しない。

どれだけ大金を稼いでいても、仕事に忙殺される人生は幸せだとは言えない。
限られた余暇を最大限活用しようと思って予定をぎゅうぎゅうに詰め込んでも、心が疲れてしまったり、次の用事が気になって目の前のことに集中できなかったりして、結局は心から楽しむことができない。

人生にはゆとりが必要である。ゆっくり休んだり、物思いに耽ったり、感動の余韻に浸ったりする時間があることが本当の豊かさである。

また、効率化によって生産が最大化されるのは、専ら機械的な作業である。創造的な仕事においては、過度に効率化を意識することは、時に生産の妨げになる。
頭の中が忙しくストレスを感じている状態だと、新しいアイディアは生まれない。休みなく動き回っているよりも、落ち着いて全体を見渡せる余裕がある方が、より良い方策を見つけることができて結果的により大きな成果を生み出すことができる。

"Time is money."の考えは無駄な時間をなくせと急き立てるが、目先の利益に繋がらないことが本当の意味で無駄だとは限らない。

例えば、研究はすぐに成果が出るものばかりではなく、それどころか、失敗に終わるものもある。また、学術的な研究には、それが明らかになったところで何の役に立つのか見当がつかないものさえある。その意味で、大抵の研究はお金と時間の浪費である。
しかし、こうした研究の積み重ねが技術的な革新に繋がり、文明を発達させてきた歴史がある。
一見、無駄に思えることに投資するからこそ、文明は開花するのである。

個人の生活のレベルで考えてみても、一見すると回り道に思える進路を辿った方が、そこでの経験が後々に活きてくることも多い。

こうして考えてみると、この「無駄」こそが人間の本質なのではないだろうか。
人間の創造性は、効率を追い求めることからは生まれず、「無駄」のある過程からこそ生まれる。

また、「人はパンのみにて生くるものにあらず」という。これは聖書の言葉で、人間は物質的に満足するだけではなく、精神的にも満たされることを求めるということを意味している。
芸術やスポーツやその他あらゆる文化は、人がただ生きていくためには無用のものである。また、誰かを愛するということは、単に生殖と種の繁栄から説明されるものではない。
こうしたものは、私達の生理的欲求を直接的に充足させるものではないが、私達の多くはそうした「無駄」なものを強く求めている。

"Time is NOT money."
お金にはならない無駄な時間にこそ、
真の価値がある。

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