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就職予定だった私が独力で県内一の私立大学に合格するまでの話

これは決して自慢話ではない。
若く無知で敵愾心の塊だった当時の自分が、がむしゃらに頑張ってなんとか合格をもぎ取った思い出話である。


高校3年生になるまで、私は大学受験をする気はなかった。
経済的な理由もあり、高校1年生の時から卒業後は就職するつもりだった。

当時私が通っていたのは、偏差値はそれほど高くないが、生徒の進学指導にはそこそこ熱心な公立高校。

生徒のうち7、8割は四年制大学への進学し、残りは短期大学と専門学校へ進学する。
就職希望者はほとんどおらず、学校側も就職は勧めていなかった。

そんな学校で、私は数少ない就職希望者だった。

高校3年生の4月のことだったと思う。

いよいよ卒業後の進路を決定していく時期だった。
卒業後はどんな就職先があるのか調べるため、私は一人で進路指導室を訪ねた。

担当の先生に声をかけると、彼はあまり気のない様子で、就職実績を記録したファイルを私に渡してくれた。
それに目を通した私は、現実の厳しさを突きつけられることになった。

リストに並んでいたのは、コンビニエンスストアや、トラック運転手を募集している引越し会社や運送会社の名前ばかり。

もちろん、職業差別をするつもりは毛頭ない。

ただ、夢見がちな女子高生だった当時の私はショックを受けた。
私はキャリアウーマンに憧れていた。都会風のオフィスでバリバリ働き、人並みに出世したいと思っていた。
そしてそれは、自分の努力次第で叶うものだと。

けれど私の将来は、今手にしているファイルが予言していた。
努力とかは関係ない。そもそも可能性がないのだと。

すぐには受け入れられなかった私は、少し考えてみますとかなんとか言って、進路指導室を後にした。


ちなみにこの進路指導室担当の先生は3年生の英語の授業も受け持っていたのだが、その後それは丁寧に受験英語の対策をしてくれた。

進路指導室を訪れたこの日、彼は私のことをまだよく認識していなかったと思う。
その後授業で顔を合わせた時も、この時のことを覚えている様子はなかった。

けれどひょっとすると、生徒が簡単に就職を選択しないように、わざと冷たく接していたのかもしれない、と今では思う。

話を戻そう。

当時私は就職を希望していたものの、大学進学に興味がない訳ではなかった。

成績はいい方だったし、1年生の時から担任には進学を勧められていた。

けれど思春期の心というのは不思議なもので、説得されればされるほど、自分の意思を貫きたくなるものだ。

大学でもっと好きな勉強を続けたいという気持ちはあったものの、自分は就職でいいやと思っていた。
本当のところ、進路について深く考えるのを避けていたのかもしれない。

それが、高校3年生になってようやく、自分の進路と真剣に向き合うことになったのである。

大学進学を躊躇っていた一番の理由は経済的な問題だった。

当時私の家庭は少し問題を抱えており、私は両親に進学したいと言い出すことができなかった。

私自身も反抗期が異常に激しく、親に相談したり頼ったりというのは、甘ったれたガキのやることだと思っていた。
(今ではそう思っていません。むしろ素直になれないのはあまり良くないと思います)

もし大学に行くのであれば、自分一人の力で行く。
それができないのであれば進学は諦めよう。
向こう見ずな17歳の私はそう決意した。

進路指導室を訪ねたその翌日から、私は大学受験について調べ始めた。

受験科目や入試にかかる費用、自宅から通える大学とその学部。
放課後、進学希望の同級生たちが予備校に行く中、私は先生を捕まえて話を聞いたり、パソコンルームで調べ物をしたりする日々が続いた。

そんな時、私はいつも一人だった。
先生方は私の置かれている状況をなんとなく察してくれていたのだろう。
みな親身に相談に乗ってくれた。

金銭的にはやはり国公立大学に入学したいところだが、理数科目が苦手な私には、センター試験で5教科の受験が必要な国公立大学を目指すのは難しそうだ。

となると私立大学の受験を検討しなければならない。

得意な文系3教科での受験であれば……県で一番偏差値の高い私立大学を狙える。


問題はお金だ。
入学後の学費は奨学金を借りるとして、入学前に受験費用を準備しなければ。

私は貯金通帳と貯金箱の小銭をすべて出して、まさにありったけ全財産を数えてみた。
当時私はアルバイトをしていて、いずれ一人暮らしをするためにそこそこの額を貯金をしていた。

そのお金を使えば、受験費用はなんとかなりそうだった。

ただ、私立大学の受験には一回につき大体3万〜3万5千円かかる。
(センター(当時)利用や同大学の複数の学部を併願する場合、費用は安くなります)
無駄打ちはできないから、本命と滑り止めの大学は慎重に決めなければならない。

この時から、私は少し現実に幻滅し始めていた。
就職だけではない。大学受験に挑戦できる回数もお金に左右されるのか。

当時の私の気持ちをとても正直に打ち明けよう。

同級生が妬ましかった

予備校に通い、必要な分だけ参考書を買ってもらえて、受験のチャンスも最大限に利用できる。

それに比べて自分は、なんだか惨めだった。

今になって考えると、なんと浅ましいことだろう。
同級生たちは、長い受験期間を励まし合う戦友だったのに。

けれど……結果的に私は、そんな自分の感情に救われることになる。
なぜなら、絶対に負けたくないと本気で頑張ることができたからだ。

環境的に不利な自分が合格できれば、自分が同級生たちより優れていることの証明になると考えたのだ。
そうして、なんとか自尊心を保とうとしていたのかもしれない。

アルバイトは高校3年生の5月いっぱいで辞めて、受験勉強に専念する日々が始まった。
予備校には通っていなかったので、基本的に一人だった。

学校で、図書館で、市の自習室で勉強した。
勉強しながら受験に関する情報も自分で集めなければならず、受験に不要な勉強をして遠回りすることもあった。
けれど一方で、一人だったおかげで勉強に集中できた。

一日一日は長くつらいものだったけれど、時間はあっという間に過ぎていった。
大学受験をした経験のある人ならわかるだろう。
受験までに必要な学習量に対し、残された時間が圧倒的に少ないあの焦りを。

それでも、受験の総本山と言われる夏休みを超えた辺りから学力の伸びを自分でも実感できるようになった。

これなら第一志望合格も夢ではない、心の底で、そんな希望が芽生え始めていた。

季節は秋から冬へ。
過去問を解き始めるその頃には、志望校に合格するために必要な知識と自分の知識との差が、点数という形で見えてくる。
本当に一日一日が大切で、時間との勝負だった。

そしてセンター試験当日。

私立大学志望者にとっても、センター試験は極めて重要な試験だ。
センター試験の出来が良ければ個別試験で有利になる場合もあるし、大学によっては個別試験を受けずに合格することもできる。

それに、センター試験の得点は最終的にどの大学に願書を提出するかを決める指針でもあるのだ。

その日はとても寒かった。受験会場へ向かうバスの窓からは、一面真っ白な空とちらつく雪が見えたのを覚えている。

大勢の受験生で溢れた試験会場の雰囲気に、私はひどく緊張した。
全国にいるライバルたちは、みんな今日のために私よりずっと前から準備して、努力を重ねて今日を迎えているに違いなかった。

最初の試験は世界史だった。
落ち着いてやれば大丈夫、と思いながら普段よりゆっくり問題を解いた。

そして、気づくと、まだ半分も解けていないのに試験時間はわずかになっていた。

そこからは、あまり覚えていない。

続く国語、英語も同じだった。
何度も過去問を解いたはずなのに、練習通り時間配分できずまともに解くこともできない。
時間が経てば経つほど頭の中が真っ白になり、蓄えてきた知識が消え、考える力さえ失われていった。

取り返しのつかないことが起きてしまった。

帰り道、一緒になった同級生たちと適当に話を合わせ、帰宅後、私は大泣きした。
それまで、私は家族に大学受験のことを相談したことはなかった。

そのため状況がわからない両親はオロオロしていて、今日はもう寝るよう私に勧めてきた。

その日ばかりは、私も両親の言葉に従った。
夕食を取った後、何ヶ月か振りに目覚ましをセットすることもなく布団に入り、本当にぐっすり眠った。

翌朝は、昨日の曇り空が嘘のような快晴だった。
私は新聞に載っていた解答を元に前日のセンター試験の自己採点を行った。
結果は予想通りで、3教科とも5〜6割程度しか得点できていなかった。
練習で過去問を解いていた頃でも、こんなにひどい点数だったことはない。

思えば私は、模擬試験というものを一度も受けたことがなかった。
そのせいで、あろうことか大切なセンター試験当日がぶっつけ本番になり、雰囲気に呑まれて大失敗してしまったのだ。

本来なら、ここで思い切り落ち込むところだろう。
けれどその朝の私は、なんだか開き直ってスッキリした気分だった。

終わった試験をやり直すことはできない。
こうなってしまっては、もう私立大学の個別試験で合格をもぎ取るより他の道はない。
しかしだからといって、残された時間で自分がやらなければならないことに変わりはないのだ。


個別試験まではおよそ三週間。滑り止めは受けるつもりだったが、志望校を変えようとは思わなかった。
挑戦するだけの準備はそれまでにしてきたのだから、センター試験の結果が悪かったのは関係ないと、18歳の私は考えたのだ。


事実、志望校の過去問を解いても難しすぎるとは感じなかった。
大切なのは、試験時間内に解き切ること、そして、解けなかった問題を参考に知識の取りこぼしを埋める作業をすること。

センター試験の翌日からは、さらに時間との戦いになった。
できるだけ多く過去問を解く。復習をする。知識が抜けないようおさらいをする。その繰り返しの日々。

1日12時間以上勉強した。
食事は空腹を満たすだけの行為になり、シャワーの後で髪を乾かす間も教科書に目を通した。

センター試験の後、家族はそっと私を応援してくれるようになった。
普段からできるだけ静かに過ごしてくれたり、コーヒーを差し入れてくれたり。
姉がケースで買ってくれた缶コーヒーの甘い味を、私は今でも覚えている。

もちろん、心が折れそうな時もあった。
それでも頑張れたのは、怒りと恐怖心だった。

自分より環境的に恵まれたライバルたちへの怒り、センター試験で大失敗してしまった自分への怒り、そして、志望校に落ちた場合に自分が送るであろう人生への恐怖。

ここで落ちたら、成功した人生を送ることはできないだろうと当時の私は考えていた。

それにもう二度と、センター試験の時のような失敗をしたくない。
追い詰められたおかげで、若かった私は心を強く保つことができたのだ。

過去問での得点率は少しずつ上がっていき、合格ラインの点数を取れるようになっていった。
それでもセンターでの失敗がある私は、毎日不安に押し潰されそうだった。

そして個別試験当日。
精一杯の努力はしたが、十分だと思えるだけの準備はできていなかった。

大学へ向かう電車に揺られながら、このまま着かなければいいのにと思った。
怖かった。

それなのに、不思議なことが起きた。
試験が始まると、私は驚くくらいいつも通りに問題を解くことができたのだ。

自宅で勉強していた時によく聞いていた音楽が頭の中で流れる感覚さえあった。
とても冷静で、練習してきた通りに文章を読み、問題に目を通し解答していった。

続く科目も同様だった。
試験が進むにつれて心に余裕が生まれてくるのを感じた。

自分はできる限りの準備をしてきたのだ。その時になってようやくそう思えた。


帰宅後、どうだったかと家族に訊かれた。
私は自分でも笑顔になるのを感じながら、多分できたと答えた。


個別試験前に過去問を解いていた時には、恐らく合格できるであろう点数を取れていた。
だから、いつも通りできたことでひとまず安心した。

翌日ウェブで上がっていた解答速報を元に自己採点してみると、やはり合格のボーダーラインには乗っていそうだった。

けれど、結果が出るまではわからない。
素直に喜ぶことができないまま、ソワソワした気持ちで合格発表までの時間を過ごした。

落ちていたら……ということは、考えたくなかった。
受験勉強をしていた時と同様、悪いことは考えないようにした。

参考書の購入や受験料で貯金は底をついていた。
後期試験を受ける術もなければ、気力も残っていない。
自分にできることは、もうすべてやり尽くしたのだ。


受験を決意してから十ヶ月、時間が足りない焦りの中で毎日勉強してきたのに、その必要がなくなると一日は苦しいほど長かった。

嘘のように長い一週間が経ち、結果発表の日がきた。
結果は大学の特設サイトで正午に発表される。

私は結果発表の一時間も前から大学のサイトにアクセスしては、
「結果発表までしばらくお待ちください」
と書かれたページを繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し開いていた。

そしてとうとうその時間がきた。



スマホの画面に、桜の絵が表示される。
合格だった。

嬉しさより、ほっとした気持ちの方が大きかったように思う。
合格したことよりも、先生や家族に合格を伝えられたことが嬉しかった。

みんな喜んでくれた。
一番喜んでくれたのは、やはり両親だっただろう。

今では、意固地だった自分が情けなく恥ずかしい。
もっと素直に両親に相談すればよかった。頼ればよかった。
けれど両親は、私の態度など関係なく私のために喜んでくれた。


当時を思い出している今も、頑張っていたあの頃の熱い気持ちが込み上げてくる。


若かったあの頃の私は、うまくいく保証などないのに全力で努力していた。
うまくいかなかったらどうしよう、なんてことは考えず、うまくいくための努力をしていた。

それに比べて、今の私は本気で頑張れているだろうか。

大学入学後、私は人並みに挫折し、裏切られ、恥をかくことと引き換えにそこそこの成果を得て生きてきた。

そうした積み重ねが今の私であり、今の暮らしである。
それはとても大切なものだが、今の私は、17歳の私が目指していた自分になれているだろうか。
そうなるために、あの頃のように全力で努力できているだろうか。


明後日1月14日から二日間、令和5年度大学入学共通テストが実施される。
今年も大勢の受験生たちが、自分自身の将来を切り拓くため試験を受ける。

毎年この時期になると、もう二度とあの頃みたいにつらい思いをしなくていいんだという安堵と、頑張っていたあの頃への懐かしさを感じる。

18歳のあの冬の三週間は、人生で一番努力した時間だった。

あの頃に戻りたいとは思わない。
けれどもう一度、あの頃のように頑張れる自分になりたい。

文章で仕事ができることを目指しています!サポートいただけましたら生きていく自信になります!