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祖父母の出会いとコーヒーと【エッセイ】

私の祖父母は戦後の集団就職で鹿児島から大阪に出てきた。といっても、鹿児島から一緒に列車に乗ってきたわけではなく、知り合ったのは大阪に出てきてからのこと。互いの職場の上司の紹介だった。

当時、中学を卒業したのちに九州から都会へ出稼ぎに行く若者は大勢いて、私の祖父母もその中の一人だった。

これは、祖母から聞いた二人の初対面の話だ。

祖母が祖父を見た時の第一印象は「背が低い」だったという。
二人は喫茶店で初めて顔を合わせ、祖父はふたりぶんのコーヒーを注文した。

今では信じられないが、田舎から出てきたばかりの祖母は、コーヒーというものをそれまで飲んだことがなかった。
運ばれてきたコーヒーに祖父がミルクを入れるのを見て、祖母は真似してカップにミルクを注ぎ、飲んでみた。

コーヒーを初めて飲んだ祖母は、「なんでこんなまずいものを飲むんだろう」と思ったそうだ。


その頃の紹介とは、今でいうお見合いのようなものだったのかもしれない。
その後二人がどんな風に関係を築いていったのかはわからないが、のちに二人は結婚し、二人の子を儲けた。私の母と叔父である。

祖父母の家に行くと、祖父はたいてい二階の自室にいて、演歌を聴きながらベランダで果物を育てていた。
祖母は朝の10時と午後の3時に、祖父のためにコーヒーと甘いおやつを用意する。
お茶うけは、「げたんは」という黒砂糖を使った、二人のふるさと鹿児島の焼き菓子のことが多かった。

私はよくそれを二階にいる祖父に届けたものだ。


私が17の時、祖父は亡くなった。
祖父は昔かたぎな男で、寡黙だがお酒に酔うと陽気になる。
遊びに行くと、ベランダで育てたメロンやニガウリを私に収穫させてくれた。

私が遊びにきた時のためにお菓子を買っておくよう、祖父はよく祖母に言っていたという。

「おじいちゃんが若かった頃は貧しくて、勉強をしたくてもできなかった。だからおまえは一生懸命勉強しろ」
とよく言われた。
私がなんとか大学に進学して、無事卒業する姿を見ることもなく祖父は逝ってしまった。

こうして記事を書くために祖父のことを思い出すと、とても恋しい気持ちになるのに、もう二度と会えないことが寂しくてたまらない。

祖父を見送ってから12年という月日が流れ、私は大人になり子をもつ親になった。命を生む経験もした。それでもまだ、死というものを理解できずにいる。

故人の思い出を語る時、人は笑みを浮かべる。けれどその表情の裏に、みんな見えない悲しみを抱えているのだろうか。

はいはいをする元気いっぱいの我が子を見ながら、幼いこの子もいつか生を終える時がくるのだと思うことがある。

その時、私は既にこの世にいないだろう。
そう思うと、命というものがまたわからなくなる。

祖父に先立たれて12年が経った今でも、祖母は毎日祖父のためのコーヒーを仏壇に備えている。
眠る前はいつも祖父の遺影に向かって声をかけているという。

最愛の人を亡くすということがどういうものなのか、私にはまだわからない。
けれど祖父に対する祖母の気持ちは、12年間経っても変わらないように思う。



私の夫は在宅勤務がほとんどで、私は日中よく夫からコーヒーを所望される。
時々、面倒だと思うこともある。
でも、夫はおそらく妻が入れたコーヒーが飲みたいのだろう。

きっと祖父もそうだったはずだ。


インスタントコーヒーの粉をカップの中でお湯に溶かすという、ただそれだけの行為に私は心を込める。
そして、仏壇にではなく夫の机の脇にカップを置く「今」を大切にしようと思う。


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