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人に裏切られても、人に救われまた生きていく私たち

タイトル決めるの、難しいですね。今回も何度も変えました。途中でシャワーに入ったりして、何度も頭に浮かんでは消えて、また新しいのが浮かぶ。

【私たちは、人によって道を絶たれ、また人によって道が開かれる】
【私たちは、人に裏切られ人に救われる】
【人に裏切られても、人に救われることでしか生きていけない私たち】

どれも似たりよったりだけど、何だか違う。雰囲気とか字面とか。



来年長女がもう中学生。人間これくらい生きていると、色々な経験しますよね。癒えた傷もあれば、長い時間経ったのに癒えない傷もあります。

普段は考えていなくても、ただそれは日々の忙しさで頭の片隅に追いやられているだけ。ふとした瞬間に、それが頭を占領するなんてこともよくあります。

そんな癒えない傷を利用してやることもあります。

例えば、私が教えている日本語学習者(と言っても友達の関係です、すでに)が、最近辛いことがあったと打ち明けてくれることがあるんです。

きっとそれは、私よりも10歳以上も年下の人が多いから、家族や近い友達には言えないようなことを私に話してくれるんだと思います。人生の先輩くらいな感じで。

で、授業内は彼彼女の話を十分に聞くようにしています。で、それでも時間があれば私の経験を話すし、時間がない時はその後LINEで私の経験を話したり。

そんな時、『実は私も大変なことがあったんです。』と自己開示します。私にとってこの事件は奈落の底に落ちる経験だったので、そんな気軽に話せることではありません。

でも、もう授業中に泣きながら自分の辛いことを話してくれる彼彼女を見たら、『一緒に頑張ろう!』と言うために、そのエピソードを話さずにはいられなくなると言うか。

とは言っても、今までに3人くらいかな。そうやって話したのは。



その事件の後、「もう誰も信じられない」と思いました。また騙されるのはごめんだし、奈落の底に落ちるのは嫌だと。どうやって生きていけばいいんだと。

だけど、その事件直後からすぐに救いの手を差し伸べてくれた友達もいました。「もう誰も信じない」と心では思いながら、でもそうやって救ってくれたのも他ではない【人】なんです。

【人間、一人では生きていけない】とはよく言ったものです。それは、仕事でも家族でも友達でも、どんなコミュニティーでもそうです。

他人と関わるという行為は、本当にリスキーです。でも、他人を通してはじめて、自分の存在が確認できるんですよね。

今日はそんなことを書きたくなる日でした。また明日からも頑張ります。




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