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ポップソングの危険性と音楽美学 その1

今回は『ポップソングの危険性と音楽美学』
という尖ったタイトルで書いていきたいと思います。

ん?尖ったタイトル?
尖ったものといえば、棘。
棘といえばバラ。

そうです。ポップソングはバラです。

なんとも強引かつ、安直ですが、
「ポップソングはバラ」という視点で
見ていただければ理解が早いと思います。

さあ、「美しい花には棘がある」
といったもので、
なんとなく私が言いたいことの筋は理解できると思います。

深掘りしていきましょう。
「美しい花」の「美しい」は何に該当するでしょうか。

もとより、「美しい」は美的な価値基準のため、そのままポップソングにこれを当ててもいいのですが、
「美しい」はだいぶ曖昧なものなので、
ここでは、単純化してポップソングを価値のある対象として見ていきましょう。

さて、前提が長いですね。
そろそろ本題に入ります。
ポップソング。
要は、人気の曲です。
別にポップソングという音楽性、音の形式があるわけではありません。

「ポピュラー音楽」は人気がある全ての音楽を指すと定義される。

呼び方はポップソングでも、ポピュラー音楽でもなんでもいいと思いますが、

popular (ポピュラー)は日本語で「人気」という意味。

pop(ポップ)は、「大衆向きである様」「時代に会っている様」

ということです。

先程、
"別にポップソングという音楽性、音の形式があるわけではありません。"
と書きましたが、
強いて言うなら「人気」がポップソングの型を作っているという見方ができます。 

要は、人気になったものが、形式化するという感じです。
「強い奴が勝つんじゃなくて、勝ったやつが強いんだよ!」

みたいな感じです。結果論ですね。

ここで、ポップとオルタナティブの二項対立を見ていきましょう。

まず、オルタナティブは、「代わりの」と言う意味です。
音楽で言うオルタナティブは、主流の曲に代わる新しい音楽ということですね。

この対立がまたわかりにくいんですよ、奥さん。

要は、オルタナティブ音楽も主流となり、形式化すると、ポップソング、ポピュラー音楽になるということがあるのです。

よく、「あのバンドは売れて変わっちまった。」
とか言いますよね。
それは、常に新しい音楽性を探していたバンドが、人気になり、音楽性が形式化する様への嘆きです。

つまり、どちらも確固たる音楽的な定義があるわけではないです。
ただ、オルタナティブは
既存のものにとらわれない
という主義。

ポップソングは
人気の結果論。

主義(オルタナティブ)vs結果的集団志向(ポップ)
という構図を見ることができると思います。

では、なぜポップソングは危険性があるのか、
なぜ、棘のあるバラなのか。

それは、作為性の欠如に繋がるからです。
ポップソングは大衆に受けするものが潮流を生み出します。
生産→消費→さらに生産→さらに消費→…
というように、その市場が豊かたになることが理解できると思います。
それが、ポップソングが商業音楽と揶揄される所以でもあります。

大衆受けするもの。
つまり、わかりやすく、派手なものです。
わかりやすいもの。
それは、簡単にデータとして分解することができます。
それの意味することは、模倣が生まれることです。
皆さんもあるバンドの曲が流行って、他のバンドが同じような曲を出すという流れを目にすることがあると思います。

これは作為性があるとは言い難いでしょう。
マーケティングが意識されると
類型的なものになるのは宿命
のようにも感じます。

今回はここまで。
次回は危険性について具体的に見ていきます。



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