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バチェラー5を見て感じた女のあるべき姿像

もちろんバチェラー5のネタバレを含みます。

大いに盛り上がったバチェラー5だが、結末に納得がいかない女性も多く見られる。

私自身もそうだ。

彼女が選ばれたのは「ズルい」

選ばれた大内さんは、「飲食店複数経営の若い女性」と聞けば確かにバチェラーに見合うハイスペ女性である。

しかし我々の見てきた大内さんは「いっつも泣いてて、自分に自信がなくて、仕草や話し方が幼稚で、マザコンで、でもキャバ嬢ならではの駆け引きでバチェラーをオス化させたズルい女性」である。

女性の思う素敵な女性像とは真逆の彼女が選ばれてしまっては、他の素敵な参加女性たちが浮かばれない。

なにより、我々の信じてきた「自立してて素直で男性に媚びず対等な関係を築ける」素敵な女性像が全て否定されてしまったような不快感に襲われた。


だって、ズルいじゃんか


泣けば可愛いと思ってもらえるんだ。
幼稚な仕草や言動で男に好かれるんだ。
キャバ嬢ってビジネスじゃなくてリアルにも通用しちゃうんだ。

ズルいじゃんか。

結局男に媚びる幼稚な女が選ばれる。

そんなの、あんまりすぎる。

でも…


素敵な女性像って誰が決めたんだっけ?

ふと、思った。

じゃあその素敵な女性像って、誰がなんのために作ったんだっけ?
なんで私はそれを信じてたんだっけ?

「男の二歩後ろを歩き支える女」が男の望む女像であるように、先述の【素敵な女像】も誰かの恣意的なものなのではないか?

思うに、【素敵な女性像】というのは女から見たものであり、決して「こういう女がモテる」「男に選ばれる」「幸せになれる」というわけではない

さらに言えば、「こういう人がモテるなら、我々女も納得できる」というエゴからくるものだと思う。

男に媚びてはいけない。
自立しなくてはいけない。
人前で泣いてはいけない。

かつてのフェミニズムが行き過ぎて、いわば洗脳のようになってしまったのがこの【素敵な女性像】なのかもしれない。


目的はなにか

女から見た【素敵な女性像】から逸脱している大内さんを気にくわない気持ちは分かるが、批判すべきではないと思う。
(番組批判は個人の感想なのでお好きに。)


だって、目的が違うんだから


【素敵な女性像】を目指すのは、(自分を含め)女に好かれるため。
自分を好きでいて、胸を張って生きるためであり、さらに女社会で生きやすくするためでもある。


対して、大内さんの行動や言動は「バチェラーに選ばれるため」である。
男性にモテる、女性に好かれる、自分らしくある…どれも違う。

(おそらく)バチェラーである長谷川さんの性格を見抜き、キャバ嬢時代のテクで長谷川さんを追わせた彼女の目的を果たすためのキャラなのだ。

ハナから目的が違うのだから、批判するのはお門違いというものだ。
(繰り返しになるが、気に食わないのはすんごく分かる)

君たちはどう生きるか

先述のとおり、【素敵な女性像】は女性視点のものであり、男性に好かれるためのものではない。

結局選ばれたのは大内さんだ。

これをどう捉えるか。

私は、自分の嫌いな自分で男に好かれても辛いだけだと思うし、もし大内さんの行動を真似た末に好きな人に「幼稚だ」と思われて振られたらやりきれない。

でも、自分の中の素敵な女性像のまま好きな人に振られたら、相性の問題だと割り切れる。

私の目的はモテることでも幼稚な女が好きなおっさんに好かれることでもない。

自分の好きな自分でいること。
そんな自分を好きでいてくれる人と一緒にいること。

私は自分の好きな自分で生きる。

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