「楽しい」は持続しないし恒常的なものでもない
最近気づいたのだが、「楽しい」は意外と持続しない。そして恒常的なものでもない。
ここを勘違いしているアラサーは、無意味に不幸を感じやすい気がする。
「楽しい」はせいぜい48時間
楽しかった記憶は意外と持続せず、せいぜい48時間しかもたない。
困るのが、ちゃんと楽しい日を過ごしたのに、それを忘れてゆるやかな不幸を感じてしまうこと。
毎日が特別に楽しい日じゃなくたって、先週の土日楽しかったとか、それで十分なはずなのに。
学生時代はフィーバータイム
「楽しい」が恒常的に続かないからと不幸を感じやすい人は、学生時代毎日が刺激的で楽しかった人なのではないかと思う。
社会人になると、おそらくほとんどの職場は刺激なんてないし、スリリングな友情の駆け引きも浮足立つ恋愛模様もない。基本的にはおぼつかない足取りで地に足つけて現実を歩むのみだ。
諦めろ
こんな現実の繰り返しを受け入れ、もう諦めるしかないのだと思う。
刺激を求めて結婚だ家だ子作りだと「充実しそうなもの」に手を出す人がいるが、そのリスクの高さに気づいていない。
毎日が刺激的だったのは「学生だったから」であり、また思い出補正もあるだろう。その懐古のために他人を巻き込むべきではない。
「諦める」というとネガティブに思われがちだが、年齢も状況も変わった自分を受け入れないと、それこそ不幸を感じやすくなる。実際に焦って結婚して独身時代より不幸になる人間もたくさんいる。
無駄に不幸を感じないように、他人を自分勝手な穴埋めに巻き込まないように、「諦める」というのが必要なんだと思っている。
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