見出し画像

女を「女」として扱う男性が苦手。私は私なのに。

初対面の男性と話していて、私が違和感を抱く原因第一位が、「私を私個人ではなく『女』として扱われること」だと最近気づいた。

ので、言語化してみる。


マスとしての女性、個人としての私


まず、私は紛れもなく「女」である。
生物学上も、心の性別も、女だ。
そこに異論はない。

ただ、人対人で話しているときに、マスとしての「女」として扱われると、それは違くないか?と思う。

具体的には

 ・喫煙者だと言うと「見えない!」「女の子で珍しいね!」と言われる
 ・ギターをやっていたことを言うと「じゃあギター女子だね!」
 ・アボカドサラダを頼むと「女の子ってアボカド好きだよね!」
 ・ご馳走してくれるときに「女の子には喜んでもらいたいから!」

みたいな、そういう扱いだ。

なぜ、カテゴライズの話になるのだろう。

確かに、人は何か既知の分野にカテゴライズして物事を理解することが多い。
「このバンド、〇〇に似てるよね」とか。

でも、目の前の相手が何にカテゴライズされるかを考える…のはまぁ良いとして、それを本人に伝える意味はあるのだろうか


「なんで少女漫画読まないの?」


「なんで少女漫画読まないの?」に代表されるように、「なぜ女性の多くが好む〇〇を好まないの?」という質問も、こちらとしては「なぜそんなことが気になるの?」という気持ちだ。

特に好んでいないというだけで、嫌いというわけではない。
嫌いではないから、好まない理由を瞬時に言語化できない。
言語化したところで、そもそもその話題ってどこに帰着するのだろうか


たとえば少女漫画好きな男性
「なんで少女漫画読まないの?」
と聞くのは分かる。

”””自分はこんなに好きなのに、好きにならない理由が分からない!触れてこなかったのか?触れたうえで好きにならない要因があったのか?Why!?”””

…というのが気になる気持ちは、オタクの私にはよーくわかる。

ただ、「女性だから少女漫画を好むはず」という背景をもとにした「なぜ」は、意図が読み取れず、回答に困る。

私は私なんだが


「相手を理解する」というのは、「自分との共通点や相違点を理解し、歩み寄る」ことだと思っている。

つまり、「自分の狭い知見に当てはめてカテゴライズする」こととは違う

私は女であるが、あなたの狭い知見のなかの「女像」に当てはまらないことを疑問視されても困る。

私は、私だ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?