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言葉を思い出しては時々、恋しくなるけれど

引き篭っちゃいそうな気分が続いていたのに、本当に私の周りにいる人たちが優しくて温かすぎるから、なんだかんだ1人で過ごす時間は少なく済んだ。

人に頼るのが得意じゃない、というかいつもできないから、悩んでいる時こそ人と会うのも連絡を取るのも自ら絶ってしまう。そうやって自分の首を自分で締めて、八方塞がりになって、底がないような苦しさに溺れるみたいな感覚になるのがいつもの私だった。


だけど今回はそんなタイミングで、忙しいはずなのに時間を取ってくれる元職場の同期がいたり、夜ご飯を一緒に食べてくれる友達夫婦がいたり、日帰りで旅行に連れて行ってくれる職場の人たちがいたり。

みんなの何気ない優しさに、いつも以上に救われる。




この人とずっと働き続けたい、と思うような視野の広すぎるとある人は、私がいろんな人や事と距離を取ろうとすることをまるで知っているかのように、すでに分かっているかのように、いつも絶妙なタイミングで欲しい言葉と行動を私にくれる。

正直、こんな人が私の身近にいてくれること自体にだいぶ救われる。存在に救われる。出会えて良かったなと、素直に思う。


仕事をしていると、私が必要な物を取りに行こうとして振り返ったとき、それを持ってこっちに向かってすでに歩いてきていて、「はい」って手渡してくれたり。

探しているものがあってなんとなく見渡していたら「あそこにあるよ〜」って主語もなく私に伝えてくる。本当、いつもいろんな人のことをよく見てるよね。

それが被る瞬間があって、お互いの欲しい物をそれぞれが手に持っていたりして、言おうとしていたりして、「ねえ、それ、」って笑っちゃう。



今までどんな辛いことがあっても、普段通りに過ごせている自信があった。それが他人にバレることはほとんどなかった。いつも元気だねと、そう言われる度に安心した。身近にいる多くの人は私の本当を知らない。それで良かった。

それなのにその人は、本当に少しの変化も見逃してくれない。多分何を隠してもバレるんだろうな。

でもその瞬間にはそっとしておいてくれるのも、ちゃんと伝わる。それでまた絶妙なタイミングで手を差し伸べてくれる。だからふと、握りそうになっちゃう。握らない自分でいたいけれど。


他人との関係性に安心しすぎる自分が、頼りにしすぎてしまう自分が、いつもすごく嫌い。他人とは程々の距離感でいい。それはもう痛いほど知っている。本当に、もうあんな思いをするのはうんざりだなって、そんな出来事が私にはありすぎる。


だけどいつも助けてくれることを分かっているから、時々、肯定が欲しくて近寄りに行ってしまう。それでいつも通り、ちゃんと、欲しい言葉を私にくれる。その言葉で安心する。ずるいかも、ごめん。




そもそもこの人となんとなく波長が合うのは、お互いの過ごした幼少期が似ているからだと思う。

状況は全く違うけれど、感じてきた気持ちがまるで同じようだったことを最近知った。だからなんとなく似ているのかって納得した。私のことを過去の自分自身に重ねてしまうと、その人は言っていた。

私も同じように重ねてしまっていたから、ここまで他人に気遣いばかりしていると疲れないのかと、いつもどこかで心配していて。

私もありがたいことに視野が広いと言ってもらえることは多い方で、だけどそれは疲れる疲れないの話ではなくて、もう無意識にしていることのひとつで。

だからこそ私がその人を気遣ってあげなくちゃと思う。
無意識の行動を見ていてくれる人がいることに救われる日があること、よく知っているから。

でもその人も私に対して同じ感覚なんだって。
だから一緒に働いていると同じことをお互いにしちゃうんだ、ってちょっと微笑ましかった。お互いの先を読み続けているから、そりゃあ一緒に働くことが楽すぎるわけだ。



「家族も親も実家も仕事も、いつだって手放さなきゃいけないのは私ばっかりで悔しい。悲しいし、惨めだな、って。」とつぶやいた私に、その時はこんな言葉をかけてくれた。

 たとえいくつもなにかを手放しても、
 自分に残ってるものが必ずある。
 その残っているものを大事にしていけばいいんだよ。

 心の底から尊敬してるし、応援したい。
 だから何か力になれる事があったら言ってね。


ここから完全に離れることが確定している私にとって何がいちばん惜しいって、この人と働けなくなることだなって。みんなとのお別れも寂しいけれど、この人と仕事ができなくなることが何よりも惜しい。

私が今まで誰にも話したことのなかった将来の夢的なことを初めて話したときにくれた言葉も、やっぱり私のことをものすごく理解してくれているなと思った。

初めて話したのがこの人で良かった。
いつでも私を無条件に肯定してくれる。
その優しさに、いつも安心する。






私はよく、人からもらう言葉で
その人のことを好きになってしまう。

顔や性格が好き、よりも、人が紡ぐ言葉を好きになる私は、いつになったらその人のことを忘れたり、過去の出来事として綺麗に蓋をすることができるんだろう。

もらった言葉はどれだけ時間が経っても消えてくれない。
何でも上書きすることができない。
言葉から感じた居心地の良さに勝るものを、私はまだ知らない。

男女問わず、関係性を問わず、そんな人が何人かいる。


それに気づいてからの私は、人と関わるときに必ず自分に言い聞かせるようになったことがあって。

くれた言葉を思い出しては恋しくなるけれど、それをその人が恋しいのだと勘違いしてはいけない、ということ。


言葉は魔法みたいだから、その魔法に魅せられて時々勘違いしてしまいそうになる。

だけど結局、いつも本当にただの勘違いで、優しい言葉をかけてくれる=特別な存在だとか、完全に私の思い込みだった。それは私の価値観での話だった。


そんなことを感じた出来事のせいなのか、おかげなのか、いつからかますます他人の言葉に敏感になった。

優しい言葉をかけられたときにはその人のことを無意識に警戒するようになって、居心地が良いと思ってしまいそうな瞬間には自分に勘違いするなと言い聞かせる。

安心も、居心地の良さも、どれも苦手になってしまった。
どうせ気持ちは交わらない。そういうものだから。


だから放っておいてほしいのに、放っておいてくれていいのに、みんなは私に優しくしてくれる。

その優しさに救われると思ってしまうことがこわいんだよ。
居心地が良いと思いたくないんだよ。

失ってしまうことがこわい。
私の想いと交わらないと知ってしまう日がこわい。




それからと言うものの、どうやったらひとりで生きていけるかなぁと考え続けてきたけれど、それでも結局、ひとりでは生きていけないみたい。  


出会えて良かったと思える人が、人生の中で時々現れる。

それが当たり前じゃないこと、人を大切にしたいと思う気持ち、どれも忘れずにいたい。人との出会いが人生を何よりも豊かにしてくれる。それは紛れもない事実で。

だからせめて、私も誰かにとってのそんな人になれるように生きていけたらなって。


だけど、誠実に。
言葉を受け取る相手の気持ちを必ず考えること。
意味のない魔法は込めない。言葉で魅せようとしない。

私自身も人からもらう言葉の魔法にかかりすぎないように。
他人ありきの幸せは簡単に消えてなくなってしまうから。



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