見出し画像

ハビタブルゾーンという奇跡

「いよいよ世界の終わりだよ」と、友人の Iさんが言う。
いつものことだ、と聞き流したいところだけど、そうも行かない事情もある。

この間の大阪湾に迷い込んだクジラもそうだし、今、世界中の至る所で動物たちの異常行動が見られる。北極海のイルカたちは同じ地点をぐるぐる回ってるらしい。
それに動物だけでなく、イヌイットの連中も、太陽の位置が明らかに変わってると証言している。

「いよいよポールシフトが始まるよ」と、Iさんは溜息をついた。

オカルト好きなIさんの言葉を そのまま真に受ける訳には行かないが、ポールシフトとは言わずとも、気候変動や生活環境の異常な変化は、私も実感している。
何か得体のしれぬ物が近づいて来ている不安を感じる。

人新世」とは、46億年の地球史を見て、これまでにはなかった一つの時代として、新たに刻まれる時代のことである。

それは、言い方を変えれば人が文明を持ち、経済成長を追求して、地球の環境を改変し、滅亡の危機さえ感じさせるようにしてしまった時代でもある。

それでも見て見ないふりをして、やり過ごす社会に、素朴な疑問を感じ、大人は何もやってくれないと、声をあげたのが、スウェーデンの少女、グレタ トゥンーベリーである。

そんな若い力は日本にもある。


斎藤幸平が書いた、「人新世の資本論」は資本主義からの決別と脱成長コミュニズムによる地球の救済を訴える。
膨大な資料を駆使して展開する主張は画期的であり、説得力があるが、思い返せばそれらの種は既に先人が蒔いていたものだった。

公害問題が顕在化してきた数十年前、それぞれのフィールドでその危機感を形にして、戦った歴史がある。

水俣で、柳田耕一が、「脱チッソ型社会」を掲げ、中津で、松下竜一が、「暗闇の思想」を掲げ、四国で、福岡正信は「無」から自然農法を掲げた。

だがそれらは圧倒的な力の前に無視され、時ばかりが過ぎ、情報化社会の驚異的な発展で、世界がグローバル化して、皮肉にも、人新世という時代を意識し、地球規模の危機に気付く顛末になったということだろうか。

「人新世の資本論」は若い力の可能性を感じさせる小さな光である。
それが大きなうねりになることを期待するが、反面、消し難く根深い諦めがあるのも事実だ。

皆さんは、ハビタブルゾーンという言葉をご存知だろうか?


地球と似た生命が存在できる惑星系の空間。生命居住可能領域、生存可能圏と呼ばれる。

そして、太陽系のその選ばれた領域の中でも、現在のところ、生物の存在が確認されているのは、地球のみだという。

そのことを知ったとき、そして大袈裟に言えば、その地球に生を受け、今生きている奇跡的なことに、私は、少なからず、感動を覚えたものである。

だがその地球が、今そこに生きる人類のために、滅亡の危機にあるという。

大人は何もしてくれないという声をきき、無名であり、若くもない私は、今何をすべきなのか、眉間のしわを深くしながら、悩み続ける日々である。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?