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路上に落ちているもの


路上にはなんてたくさんの物が転がっているんだ!

何気なく受けた会社の健康診断の心電図検査で不整脈が出て、経過観察になった。近頃体調が悪いのは加齢のせいだと思っていたが、ちゃんとした理由があったのだ。

こんな時素直に現実を受け入れ、じゃあ、どうしようかと転換できるのが、数少ない私の長所の一つで、安静を言い渡されていたが、そこは天邪鬼な性格、少し軽めの運動でもして、その反応を自分で記録しようと考えたのだった。

スイスイすいと近くのスパ付きの施設で、水泳でもはじめようと思って友人に相談したら、少し動いて息が上がってるようでは水泳なんてとんでもない、まずは二三十分のウォーキングからと言うので、ここは素直に従うことにした。

ウォーキングを始めた当初は八ヶ岳の自然の中を歩く自分にナルシスティックに酔っていたが、そもそも飽き性の性質だから、直ぐに飽きてしまい、今度は物欲しげに地面を見て歩くようになった。

そして思ったのが冒頭の感想である。

路上にはなんてたくさんの物が転がっているんだ!

枯れ葉の中で光る物。宝石?
期待してよくよく見ると何かの金具だ。
ボルトナットはよく落ちているし、何やら獣に引きちぎられたような革片も多い。
手袋や靴は何故意図的に棄てられたように片方だけ転がっているのか?
レシートの紙が落ちているのはよくあることだが、先日は数字を羅列した紙切れが落ちていて、落とし主は多額の借金をして苦しんでいるのでは?と心配になった。
今は静寂に包まれているが、アスファルトの路面で虹色に輝くガラスは、悲惨な交通事故を想像させるかもしれない。

まさに路上にはいくつもの人生の断片が転がっている。

ただ、それは次に起こる出来事のプロローグに過ぎないことを、その時は誰も知らなかった!
推理ドラマの予告なら、きっとそう言うかもしれない。


これはまた後日のこと。
ウォーキングではなく、車で県道を走っているときのことだ。


前方の路側帯に大きなボロ布のようなものが落ちているのが見えた。
一瞬脳裏に、襤褸、という難しい漢字を思い浮かべたが、それもつかの間、何とそれは人間だったのだ!

何で?

そりゃあ路上には何でも転がっているが、これはそんな悠長なことではない。

訝りながらも車を路肩に止めて、近づいていくと、確かに道路脇に人がうつ伏せに倒れていたのである。
顔は見えないが、明らかに年配の男性らしい。

前回の投稿で書いたが、視覚障害の男性に無思慮に声をかけた前例があるので、一瞬ためらったが、いや、これはどう見ても、声をかける案件だろう。

「おっちゃん!」

こういう時、南の生まれで、若い頃、関西に住んでいた私はそんなふうに呼びかけがちだ。
私の声に少し男の身体が動いたのでこちらが慌てた。
男は水から上がって蘇生したようにふうっと大きく一息ついた。

「おっちゃん、大丈夫?」

私は男の身体を起こし一旦縁石に座らせた。
男は夢から覚めたように辺りを見回した。なんでこんなところに、とでも言いたげである。

「頭、打ってない?」
「いや、頭はうってない」

よ〜くきいてみると、家から煙草を買いに来たと言うのである。
ところが歩いているうちに、足が動かなくなった。縁石に座って休んでいると、今度はひっくり返って、そのまま動けなくなった。

男を立たせてみて、その理由が分かった。
彼の手は小刻みに震えていて、足取りは覚束なく足が前に進まない。
衝撃的だった晩年のモハメド・アリ。
その姿と似ている。
おっちゃんはパーキンソン病なのかも知れない。

とにかく私の車に乗せて、近くのコンビニに連れて行った。
彼の手を支えながら、レジまで連れて行くと、彼は目的の煙草を買った。

家まで送っていくよ、と半ば強引に車に乗せて、改めて彼の横顔を見ると、私とさほど変わらない年齢のようだ。

「家には誰かいるの?」
「ああ、いるけど今は働きに出てる」

彼の指示する通り車を走らせたが、なかなかの距離だ。
不自由な身体で歩いてきたことや、家族の介護のことなどを想像していたら、私も段々切なくなってきた。

「おっちゃん、煙草は止めたほうがいいんじゃない?」
「それは結構言われる」
「なら、なおさらやん」

やがて、彼の住む団地に着いた。
その2階に住んでいるという。

「おっちゃん、一人で行ける?」
「おう、大丈夫」
「なら、とにかく、元気で」
「そっちもな」
「え?」
「いや、何か顔色悪いからさ」

その時、私はおっちゃんに何もかも見透かされた気がした。
顔色が悪いのは、降って湧いた病気のせいじゃない。強がってはいても、そのことできっと心まで病んでいたからだ。

してみると、おっちゃんに煙草を止めろと言ったのは余計なお世話だった。
彼は身体は不自由になっていたが、心は元気に違いない。
これからも、生きて、生きて、生きるつもりだ!

その証拠に、あろうことか、彼はコンビニで煙草をワンカートンも買いやがった!









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