見出し画像

敗戦間もなく生まれた団塊後期の私。その子供達がロスジェネレーションと云われ現在の少子化に歯止めが効かない世代。デフレが長く続き緊縮財政に更に消費税が加わり悪循環のスパイラルに陥った

人生ってミステリー


1955年は昭和30年4月30日

僕が小学校に入学したころの話

最近カブトムシを最近見かけ無くなったと呟きながら宇宙を仰ぐ

青空と白い雲の間からなアメリカ軍の双胴機P38のゴォーンと音の尾を響かせながら飛行中


僕も紙飛行機を飛ばし上昇気流に乗り追いかけて併走した


飛行機P38は白い雲の彼方に中に消えていった。「又胴の飛行機はP38」は子供の僕には珍しい不思議な形に見える輪郭

何となく感じていたはずのあれは一体何だ

疑問と共に見かけていた空の敗戦後の風景

その同年1955は南北ベトナム戦争が勃発しその後の空中散布の枯葉剤は禍根を残す事になる

その頃日本の片隅の田園風景がある僕の田舎では極々当たり前の出来事が行われていた



私は早朝から音が煩くて目が覚めた。飛び起きてすぐさま外の様子を見る

その瞬間バタバタバタと爆音を立てながら家の真上を低空飛行のヘリコプターを発見

朝早くから何でこんなに低空飛行なんだろう

辺りを見回すとヘリコプターは白い粉の様な物を空中撒布をしていてそれはまるで朝霧がかかった様に辺りは真っ白に染まっていた

白いうねり雲の様にも見えた

後に知り得た情報から解った事は農薬の白い粉末剤はDDTと云う農薬だった。その農薬は日常的に使われていて嫌な記憶。

鼻に付く危険性が高い農薬


ヘリコプターで農薬を空中散布と云う怖くて恐ろしい事態を誰も疑問視しなかった時代。先進国は、全面禁止だ。我が国内でも1971年に使用禁止但し。発展途上国では、未だにマラリア対策に散布は、決行中と云うのは、はなはだ問題だ。


都市部は国の経済を支え田舎はエネルギーや食糧の確保と云う事は今に始まった訳じゃ無いし現実的であり合理的でも有ると云う位置付けは依然変わらない

当時は春になると田圃にはタニシや鮒がウヨウヨいて網を持ってその鮒すくいに夢中な時代に農薬薬散布は既にヤバイと自覚していた

社会人になりその片棒を就ぐ仕事に就いた私は後悔の念は猛省し社会人になる厳しさを知る

当時国内は正に高度成長の最中で私は社会人になり初「夏のボーナス」が支給された

私の仕事は大手製薬会社に供給するための実験動物の工場生産システムの歯車だった。

実験動物は私達人間より大切な存在であり実験動物を優先し「完全防護服」を着用して私は仕事をしていた。解りやすく云えば正にタイムリーなコロナ対策の白い防護服に近いものを身にまとっていた

実験動物は無菌と云う前提で防護服は人間の雑菌から守ると云うパンデミックの防護服とは真逆の発想。私は当時「人間ウイルス」と云う立場で「防護服」を日々着用していてそれで人間の雑菌から実験動物は守られていた。ただ最終的な実験動物の実態は後に社会的問題に発展しそこに加担した私の猛省は言葉以上の事が出来ていないでいる

1955ベトナム戦争開戦1975年終戦

1975年4月30日にベトナムの20年の泥沼の戦いは終わった

私自身そんなジレンマと葛藤しながら社会人としての役割を誇りに思う事が出来ず2年足らずでその会社を飛び出した

それまでバイト経験も無く経済活動の厳しさをまざまざと知ってしまった


社会と云う荒波の中に揉まれながら個人的成長と云う選択肢は何処かにあった様に想う

その頃会社の寮の前で擦れ違う素敵な人がいて勇気を持って話しかけた事がある。ある夜ブランコに二人は揺られながら何も言葉にもならず

お互いは時間だけが過ぎていた青春

空を見上げ輝く星を見ていてその感動に向かって私は何かを呟こうと心の中でもがき苦しんでいた

「あの星綺麗ダネまるで君の瞳の様ダ」とその言葉のたった1行の台詞が口に出せないこのモドカシイ青春

明日は休みだと互いが確認出来ていたからどこかに行く約束が出来ていた

それは人生初の試みであり映画を観て食事してのシンプルなデイトは終わった

「華麗なる週末」のスティーブ・マックインと記憶のタイトルだけは鮮明に残る

彼女とは言えない彼女は映画のユーモアに共感し受けた笑いが素直で無邪気な性格に惹かれる私は何故か切なくも感じた

彼女は美容室関係の仕事していて著名人のお客様の話題も時々振りながら無邪気に話をリードしていた

私はと云う歯車みたいな仕事は謂わばチャップリンの「モダンタイムス」の皮肉な映画は本質を突いていた。それ故に自分に自信と誇りが持てていないと気付いていた

彼女の無邪気さに心から歩調が合わせられない僕は臆病者だ

後に私は勤めを辞めて帰郷するべくその人に伝えた。その時のリアクション

「私は本気だったのよ」

私の複雑な心境は臆病で頼り甲斐がいの無い奴だと自分を責めた。そんな自分に向かって心の中でおお泣きしていた

人生においてこれ程までに残酷な事はない。その人の気持ちに対して何の言葉も添える事が出来ない自分の存在の本質が明らかになり僕の人として男としての不味さが露呈した瞬間だった

そしてその本質は半世紀過ぎようとしている今も何も成長していない。あの人は今頃何処で何をどうしているのだろう

毛糸が綻びその手作りのセーターが妙に恋しくまた暖かくて優しくて愛おしい


貴方のお母様の愛がこもるセーター

綻びの有る手編みセーター

思い出す私の涙はまるで湧水の如く


鮒とり少年の回顧録




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?