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夏の日の不機嫌

このまま先に進んでも大丈夫なのか、と、心細くなるような細い道を抜けた先に、やまびこ吊橋の駐車場があった。駐車場の入口の正面に、マイクロバスが一台止まっていた。古いマイクロバスは、ガラガラガラガラとディーゼルエンジンの音をさせてアイドリングしていた。中には、運転手が一人だけ乗っていた。運転手は、暇そうにスマホを眺めていた。マイクロバスの扉は開きっぱなしだった。
マイクロバスから少し離れたところにバイクを止めた。ヘルメットを脱いで、ジャケットを脱いだ。汗に濡れた冷感インナーに風が当たっても、あまり涼しくはならなかった。ジャケットを畳んで、バイクの上に置いた。バックパックから、塩分チャージを取り出して、口の中に放り込んだ。そして、ペットボトルのスポーツドリンクを飲んだ。スポーツドリンクは、ぬるくなっていた。後ろのマイクロバスのアイドリングが、一段高くなった。周りの空気の温度が、3℃くらい上がった気がした。
駐車場からやまびこ吊橋へ向かう道の入口をふさぐように止まっているマイクロバスの前を横切って、吊橋に向かった。遊歩道を進むと、10人ほどの子供の集団が、道をふさいでいた。脇を通り抜けようとしたら、ふざけあっている男の子が、私の前に飛び出してきて、道をふさいだ。こっちに気が付いていない男の子は、そのまま、私の前で、遊び始めた。男の子がどちらに動くのか、動きが読めなかった。私は、その場で立ち止まって、様子を見た。向こうの方から、ニコニコと笑っている大人の男の人が、男の子たちに声をかけた。大人の男の人には、小さい子が2人、ぶらさがっていた。男の子たちは、こちらをちらっと見て、何も言わずに、少しだけ動いた。
吊橋の入口にたどり着くと、橋の中央に6人ほどの団体の観光客がいるのが見えた。吊橋を歩いた。吊橋は、しっかりとした作りで、歩いても、少しも揺れなかった。左側に、山と川の景色が見えた。川の手前には、石積みの堰堤があった。積み上げられた石の間を、水の白い筋が幾筋も、涼し気に流れ落ちていた。その向こうに、三角形の山が二つ見えた。橋の入口から少し進んだところから見ると、二つの山は、川の向こうの正面から、少しだけずれたところにあった。橋の中央まで行けば、額縁にはまったかのように、川の向こうに二つの山がおさまった景色が見られそうだった。6人の観光客は、その橋の中央にいて、世間話をしていた。あまり盛り上がっているようには見えなかった。川の向こうの二つの山の方を向いている人は、一人もいなかった。私は、少し離れたところに立って、待った。観光客のうちの一人の女の人が、こちらを見て、会釈した。私は、黙って左を向いた。橋の中央から少しずれていても、十分にきれいな景色が見えた。そのまま、5分ほど待った。もしかすると、もっと短かったかもしれない。6人は、遊歩道の入口に横づけにされた、扉を開けたままアイドリングしてエアコンを効かせているマイクロバスの方に戻っていった。口の中の塩分チャージは、溶けてなくなっていた。
橋の中央から、二つの山を見た。山は、予想通り、ぴったりと川の向こうに収まった。さっき、待っている間に見ていた景色とほとんど変わらないけれど、ずいぶんと違って見えた。写真を撮って、景色を眺めた。これ以上はない青空の下、絵のような清々しい景色を眺めた。不意に、ここに来る途中で、私の前を走っていたトラックのことを思い出した。丸太をたくさん乗せた、大きなトラックだった。トラックの後ろは、前が見にくいので、センターライン寄りを走った。トラックは、カーブを曲がるたびに、わざとらしくセンターラインからはみ出した。たぶん、バックミラーにチラチラ映るバイクに抜かれると思ったのだろう。こちらには、そのつもりはなかった。トラックの、余裕のない態度は、あまり気分の良いものではなかった。汚いディーゼルエンジンの排気ガスをまき散らしながらアイドリングしてエアコンを効かせたマイクロバスを待たせて、一番景色が良いところをふさいだまま景色も見ないでダラダラとしゃべっている奴らにふりまく愛想はない、と、会釈を無視したさっきの私も、似たようなものだ。丸太を積んだトラックの運転手も、炎天下での積み込み作業をして、疲れていたのかもしれない。トラックの運転手にも、団体の観光客にも、もう少しやさしくなれたなら、私の住む世界は、もう少し居心地がよくなるのかもしれない。
5分ほど景色を眺めて、駐車場に戻った。もしかすると、もっと長かったかもしれない。
駐車場に戻ると、さっきとは別の子供の団体がいた。女の子が、虫がいるから無理、と大声でわめき続けていた。隣には、引率の先生らしき男の人がいて、笑っていた。うるさいガキと、ヘラヘラ笑う飼い主の方をちらっと見て、ヘルメットをかぶった。そんなに急に、やさしくなんてなれなかった。


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