バイクに乗っていると思われたくない
瀬戸大橋の与島PAに入ったら、駐車場の一角が、バイクであふれかえっていた。反射的に、反対の方向に逃げようとしたけれど、駐車場を整理していた人に、こっちに来い、と誘導されてしまった。できるだけ端の方にボルティを止めた。あっちからもこっちからも、ボーボーと大きな音がして、あっちにもこっちにも、肩やひじにパッドが入ったゴツゴツした服を着て立ち話をする人がいた。速やかに駐車場から離れた。建物の方に行くと、バイク関連のイベントのポスターが貼ってあった。
大きな音のするバイクは威圧的で怖い。
ごつごつした服を着てバイクの近くで立ち話をする人たちは排他的で怖い。
はたから見ると、私もそういう人たちとほとんど同じに見えるんだろうけど、できれば、そう思われたくない。いつからそんなふうに思うようになったのか思い出せないけれど、気が付くと、バイクに乗る人たちのことをあまり良い印象で見れなくなっていた。大きな音のするバイクもそうだけど、荷物満載で観光地のステッカーがたくさん貼ってあってサンダルがぶら下がってたりするバイクも、あまり近づきたくない。そういうのも、はたから見ると、私だってほとんど同じ、というのはわかっている。でも、嫌なんだ。
バイクに乗っている人って、周りから浮いてる。不自然にゴツゴツした変な服を着ているし、夏は汗どろどろで汚くて暑そうだし、冬はゴツゴツかつモコモコの服を着て寒そうだし、駐車場の端の何もないところで集まって立ち話しているか、駐車場の端の何もないところでボケーッと立っているかのどっちかで、何がしたいのかよくわからないし。
若者のバイク離れ、と言われて久しいけれど、それも仕方ない、と思う。バイクに乗っている人を見かけても、ああなりたい、とは思わない。その気持ちは、よくわかる。私も、なりたくない。なっちゃってるけど。これはね、違うんだ。バイクに乗ること自体は好きで、バイクに乗るために必要な装備だから、仕方なく身に付けてます、というスタンスです。ちゃんとした格好しておかないと、万が一の時に大きな差が出るんだよ。そうはいうものの、今着ているジャケットは、いかにもバイク用、という見た目で、あまり気に入っていない。買ったときは、いかにもツーリングに役に立ちそうな見た目でうれしかったんだけど、最近は、その、なんというか、なんかわざとらしくて、そのジャケットでウロウロするのが、少し恥ずかしい。バイクに乗っている人みたいで。乗ってるんだけどさ。
そんな私も、一昔前は、しっかりと向こう側の人間だった。それも、かなり向こう側の奥の方。黄色と黒の目立つデザインのイタリア製のバイクに乗り、黄色と黒のイエローコーンの革ジャンを羽織り、黒い革パンにカドヤのショートブーツを履いて、ボボボボボボと大きな音をさせていたものさ。当時もうすうす気がついていたけれど、あれは一種のコスプレだな。そういう格好をしてそういうバイクに乗ると、普段とは違うスイッチが入った気がしたものさ。
今のジャケットには、そういうスイッチはついてない。バイクに乗るときには着ることにしているから着ている。おしゃれってそういうものじゃないのよ、と、おすぎかピーコのどっちかに言われそうだけど、服を買い替える基準は、機能を大きく損なうような大きな穴が開いたかどうか、であり、新しい服を買う基準は、必要な機能が備わっている服を必要な枚数所有しているかどうか、という私にとって、デザインが今更問題になることもないはずなのに、今着ているバイクのジャケットは、デザインが気になる。なぜか。
きっと、問題は、デザインではなくて、コスプレの方だ。コスプレが変だ、とは言わないよ。別に、他のいろんなコスプレしている人たちのことを、嫌だと思ったことはない。受け入れろと言われたら反発するだろうけど、遠くから見ている分には、楽しそうに見える。嫌なのは、自分がバイク乗りのコスプレをしているみたいになっちゃってることなんだな。車の方が便利なのにわざわざ不便なバイクに乗り、自分は少し変わり者で周りと違うと思い、無計画なツーリングで失敗したことを自慢のように語り、長距離を走って疲れているのに余裕をかまし、自分のバイクのことを相棒と呼んだりする。卒業したはずのそんな中二病だった頃の自分を無理矢理思い出させられるのが、嫌なんだ。いかにもバイクに乗っています、という格好で、駐車場の隅で立ち話している人たちを見て、あの頃が懐かしい、とは全然思わないけれど、あれはあれで楽しい、というのは知ってる。あの頃は、ああいうのが楽しかった。だから、あの人たちは悪くない。かつて、向こう側の奥の方にいた自分も、悪くない。
でも、このジャケットは、良くない。これを着るたびに、そういうところが、微妙に引っかかる。でも、穴が開く気配は、全然ない。バイクに乗るときしか着ないから、着る回数も少ない。これから先も、そう簡単には穴が開くことはないだろう。おしゃれってそういうものじゃないのよ、と言われるかもしれないけれど、イオンで一枚700円で売ってる下着のパンツですら、穴が開くまで買い替えない私だ。一着4万円以上もするジャケットを、穴も開いていないのに買い替えるなんて、それはそんなに簡単な話じゃない。
と思っていたけど、なんだか、そんなにいちいち引っかかるなら、このジャケットには、もう必要な機能が備わっていないような気がしてきた。見た目は大きな穴は開いていないけど、心には大きな穴が開いていたってことなのさ。
あ、わかった!おしゃれってこういうことか!
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