見出し画像

日光東照宮と既視感

今度のツーリングで、日光東照宮に行く、と娘に言ったら、遠足?と聞かれた。若者たちにとっては、わざわざ、時間と金を使っていくようなところではない、というのはわかる。若いときは、海外旅行の候補に、ハワイは絶対に入れない、みたいなものだろう。私も、若い時はそうだった。だから、ハワイに行ったことがない。今は、ハワイに行きたい。
日光東照宮は、ハワイと違って、行きたい、というわけではなかった。でも、ツーリングで、日本のあっちこっちに行くようになって、あれもこれも見たことがあるのに、日光東照宮は見たことがない、というのは、若いころにハワイに行かないのと同じように、食わず嫌いで、良くない気がした。マップル栃木の表紙の絢爛豪華な建物の写真を見たときに、行かないわけにはいかないんだろうな、と妙な義務感を感じた。
日光東照宮、と一口に言うけれど、実際は、一つのエリアに、輪王寺三仏堂、日光東照宮、二荒山神社、輪王寺大猷院、の4つの神社仏閣が集まっている。バイクが止められる駐車場は、三仏堂の近くにあった。
三仏堂の拝観券には、3種類のセットがあった。三仏堂と大猷院の、輪王寺セットを買った。三仏堂の、大きくて立派な建物の中に入り、階段を下りた。
半分地下になっている薄暗い部屋の中に、金色に輝く大きな仏像が、3体鎮座していた。触れそうなくらい近くから、大きな仏像を見上げた。厳かで、迫力があった。隣には、観光ガイドを連れた老夫婦がいた。ガイドの人が、仏像について説明すると、おじいさんが、それにかぶせるように、前に京都で見た別の仏像の話をし始めた。ガイドの人は、ていねいに相槌を入れた。おじいさんの話が落ち着いたころに、ガイドの人が別の話を始めた。おじいさんが、それをさえぎるように、別の話をし始めた。ガイドの人は、プロとして、ていねいに相槌を入れていた。おじいさんの声は、とても大きかった。もう少し仏像を見ていたかったけれど、ガイドの人が気の毒で、気になってしまって、仕方なく、仏像の前を通り過ぎた。
薄暗い廊下を進むと、右手に売店があった。宝石店のようなショーウインドーの中に、干支にちなんだ梵字が書いてあるプレートが飾ってあった。お寺のお土産にしては、洒落ていた。見た目が悪くなかったので、買うつもりでショーウインドーを覗いた。プレートには、銀色のものと金色のものがあった。銀色は2000円、金色は3000円だった。思ったより高かった。お寺のお土産なのに強気の金額だな、と、ちょっと引いた。ショーウインドーの向こうから、お坊さんの格好をした若い男の人が、ススス、と近寄ってきた。お父様の干支はなんでしょう、と聞かれた。何か引っかかるものを感じつつ、答えた。若い男のお坊さんは、それでしたらこちらになります、と金色のプレートを指し示した。それは知っている。だって、プレートの前に書いてある。
「こちら、身に着けていると健康でいられる、というお守りでして、私もこのように、首に下げて、いつも身に着けております。銀色のものは、1年たったら返納していただき、毎年新しいものにしなければなりませんが、金色のものはご利益がずっと続くように、特別に祈願されております(ので、大変お得になっております。ぜひ、この機会にお求めになられてはいかがでしょうか)」
というようなことを、若い男の人が言った。最後のカッコの中は、実際には言っていなかったけど、聞こえた。ここにいると、罰が当たりそうな気がして、逃げた。
三仏堂の次は、日光東照宮に行った。違う施設なので、拝観券は別だった。輪王寺の拝観券売り場は、窓口に人がいて、入場券のセットも3種類だった。日光東照宮は、タッチパネルの自動券売機で、セットの数も多かった。今日は、平日の月曜日で、輪王寺は空いていた。東照宮は、入場券を買うのに、少し並ばないといけなかった。
入場すると、立派な建物が並んでいた。人の流れに沿って先に進んだ。途中で、人だかりができているところがあった。人だかりの先には、見ざる言わざる聞かざる、がいた。あんなに有名なわりに、ずいぶんと小さかった。その有名な三匹の猿は、建物の飾りの一部で、その飾りには、他にも猿がいた。遠くてよく見えなかったので、詳しくはわからないけれど、どうやら、どの猿も、何かをやっていなくて、~ざる、のダジャレを体現しているらしかった。人だかりの後ろから、ズームで三猿の写真を撮った。用事は済んだので、次に進んだ。
三猿の横には売店があった。手ごろな値段の三猿の根付があったので、レジに持って行った。レジには、すべての感情をオフにした若い女の人がいて、機械のように事務的に対応してくれた。三仏堂の売店とは、ずいぶん違った。少なくとも、罰が当たりそうな気はしなかった。次に進んだ。
これ以上ないくらいにピカピカでギラギラなのに、なぜか下品に見えない陽明門に着いた。カメラを構えて後ろにじりじりと下がってくるオバサンをかわしつつ、できるだけ他の観光客が映らないように写真を撮った。あちこちから、幼い子供たちの泣き声が聞こえてきた。写真を撮ったので、次に進んだ。
「眠り猫はこちら。立ち止まらないでください」という看板の向こうに、人だかりができていた。人だかりは、もちろん、写真を撮るために立ち止まった人によるものだった。だいたいの写真を撮った人は、撮った写真を見るために、さらにその場に立ち止まった。そして、もちろん、眠り猫は、小さかった。あの小さいのは猫だけど、だから何?と聞きたくなった。でも、もちろん、写真を撮った。人だかりの中に入るのが嫌なので、後ろからズームで撮った。人だかりの周りは、順番待ちみたいになっていた。イライラが充満していた。人ごみの中を歩き疲れた人たちの、くたびれて、服が着崩れても直さないような、雑な感じが漂っていた。子供たちの泣き声は、トーンが上がって、魂の叫びのようだった。写真を撮ったので、人ごみを突破して、先に進んだ。
この展開は、どこかで見たことがあった。少し考えたら、わかった。テーマパークだ。お得なセット入場券各種、高級路線からお求め安い値段までバラエティ豊かなグッズ、有名な見どころがたくさん、有名なわりにどの見どころも大したことない、大したことないのに写真を撮る、疲れて泣き叫ぶ子供、せっかく来たから疲れても歩き続ける大人。ほら、だいたい一緒だ。違うのは、若者たちが少ないところくらいだ。
眠り猫を過ぎて、長い階段を上がった。そこが日光東照宮の一番奥のエリアで、徳川家康の墓があった。徳川家康のお墓があるのか。知らなかった。もしかして、日光東照宮って、徳川家康、という人のお墓ですか?神様とか、仏様とかじゃなくて、徳川家康、という人の?
徳川家康がどういう人かは、少しは知っているけれど、他のいろいろは省略させてもらって、日光東照宮の部分だけまとめると、こうなる。
「死んだ後でも権力を主張したいからといって自分の墓をこんな施設にしてしまうゴリゴリに権力が大好きな俺最高の人」
そんな人のお墓に来ても、呪われることはあっても、いいことは何もないんじゃないだろうか。
徳川家康の墓を通り過ぎて、テーマパークエリアに向かって、階段を下りた。階段の上から、テーマパーク側を見ると、各アトラクションの屋根に、金ぴかの飾りがたくさんついているのが見えた。金はいくらでも出すから、俺様のためにこれ以上ないくらいに立派な墓を作れ、と言われて、制限なく己の技を出しまくった職人たちのはしゃぎっぷりが伝わってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?