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一番はダメだから

日光東照宮から出て、やっと、まともに空気が吸い込めた。二荒山神社に向かう参道は、自分のペースで歩けた。気持ちが丸くなった。以前、バーゲンセールの会場を歩く男の人は、戦闘機のパイロット並みのストレスを抱えている、という記事をどこかで読んだのを思い出した。二荒山神社は、立派な、普通の神社だった。日光東照宮で荒れた心をいやすには、こういう普通の神社が必要だ。
二荒山神社の次は、輪王寺大猷院に向かった。
日光東照宮だけ見て終わる人が多いみたいで、大猷院は、意外なほどに人が少なかった。新しくできたアトラクションに全部持っていかれた一昔前の絶叫マシンのようだった。
でも、アトラクションと違って、大猷院が建てられたのは、東照宮の後だ。大猷院は、第三代将軍徳川家光のお墓で、やっていることは、東照宮の家康と同じだ。ただし、徳川家康の遺言に、
「俺よりイケてる墓を作るな」
というのがあったので、ややイケてない感じのお墓を作ったのが、大猷院、とのことだった。家康の、俺最高アピールは、遺言にまでしっかり浸透していて、そんなにか、と思うけれど、日光東照宮の隣に、その遺言を律義に守りつつ、必ず見劣りすることになる大猷院を作った家光も、何を狙ったのか、ちょっとよくわからない。隣に作ると、ギリギリイケてない感じが狙いやすかったのか。ここも金色でどーすか?いやー、そこまで金色だとギリアウトじゃね?というような、微妙な調整を行ったのか。
もしくは、おじいちゃんのことが好きで仕方がなかったのか。興味本位で、ちょっと調べてみたら、第三代は孫じゃなかった。孫じゃなかったら何かというと、ちょっと見るだけでは、わからなかった。血縁関係上どうつながっているのかさっぱりわからないくらい、複雑な家族事情がそこにある、というのはわかった。この件には、これ以上触れない方がよさそうだった。
とにかく、日光東照宮と大猷院の集客能力の差は、直視できないくらいに、大きかった。確かに、東照宮よりはイケてない感じで作ったけど、そんなに違うか、と、家光も、複雑な気分ではないか。
でも、人がたくさん来る方が良い、というわけではない。日光東照宮のおかげで、それよりあえてちょっとだけイケてない大猷院を、自分のペースで歩きながら、のんびりと見て回れた。一つ一つの建物の作りは豪華で見ごたえがあるし、規模もコンパクトにまとまっている。家光さん、私は大猷院の方がいいと思います。
大猷院の一番奥まで行くと、建物の中の、広い座敷が解放されていた。中で、お坊さんらしき若い男の人が、大猷院の説明をしていた。座敷には、ソーシャルディスタンスを適度に保てるくらいの観光客が座っていた。靴を脱いで、座敷の左後ろの隅に、腰を下ろした。
家光公の話、部屋の天井の飾りの話があって、門の説明があった。門の名前は夜叉門という。門の表と裏、左右に1体ずつ、合計4体の夜叉の像が門を守っている。その4体は、いずれも、赤、青、緑、白の色鮮やかなボディで目立つのだが、その中の、青いボディが、烏摩勒伽様。うまろきゃ、と読む。意図的にややイケてないため、あまり人が来ない大猷院にいながら、烏摩勒伽様は、他の3人の夜叉よりも、積極的に発信していくタイプなのだ。まず、膝に、象の頭の形をした、前衛的な膝パッドをつけている。これが、膝小僧、の由来だという。さらに、門を守るために携えている武器が、黄金の弓矢で、これが、破魔矢の由来だという。どちらも、烏摩勒伽様の独自のファッションで、同じセンスの夜叉像は他にはない。全国的にバズるファッションを2つも発信して、かなりのファッショニスタだ。
ちなみに、破魔矢の飾り方は、矢の先を上に向けるのが、正解で、矢の後ろの羽が折れるのを気にして、矢の先を下に向けるのは間違い、だそうです。最近、どうも調子が悪い、というときは、玄関に、矢の先を外に向けて飾ると効果的、とのことでした。知らなかった。お坊さんのお話は役に立つ。
さて、と、お坊さんが言った。
「大猷院では、烏摩勒伽様にちなみまして、龍神破魔矢、という特別な破魔矢をご用意いたしております。こちらの破魔矢、黄金の破魔矢に昇龍をあしらいました、大変ありがたいデザインとなっております。また、通常の破魔矢ですと、年に一度の交換が必要になるのですが、龍神破魔矢は、特別に祈祷いたしておりますので、ご利益の方は、永久保証となっておりまして、大変お得になっております。お買い求めいただけるのは当店のみ、となっておりますので、ぜひ、この機会にお買い求めください」
大猷院、お前もか。

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