クマ出没注意
神仙沼は、林の中の木製の遊歩道を30分ほど歩いた先にある。インターネットには、そう書いていあった。
私は、その遊歩道の入口に立っていた。目の前の木製の遊歩道は、濡れていた。昨日の雨のせいか、夜露のせいか、わからなかった。両側から、笹のような葉が、遊歩道の上に、盛大に、はみ出ていた。遊歩道の頭上には、深い森が覆いかぶさっていた。時刻は7時前。ニセコパノラマラインを機嫌よく走って、ここまで来た。途中ですれ違った車は、ほんの数台だった。夜は明けたけど、人の気配は、まだ、なかった。私は、遊歩道の入口で、最初の一歩が踏み出せないまま、自分に問うた。
どうやっても、熊が出るようにしか見えません。これ、ホントにダメなやつなんじゃないか。
熊については、全然詳しくないワタクシですが、ここまで条件が整っていると、いくら何でも不安になった。これは、出るだろう。森の奥の茂みから、ガサガサという音が聞こえて、よく見たらその先に、とかいうレベルじゃなくて、遊歩道の向こう側から普通に歩いてきた熊さんと、ばったり出会ってもおかしくない気がする。花が咲いていない森の道で、お嬢さんじゃなくてオジサンが熊と出会うと、どうなるのか。
そう考えたときに、瞬時に思い出すのは、「慟哭の谷 北海道三毛別 史上最悪のヒグマ襲撃事件」という本だ。本当は、熊嵐、という小説を読むつもりだったのに、間違えて、この本を読んでしまった。この本は、「より多くの読者の方に、ヒグマの生態を正しく理解していただき、ヒグマと人間の、より良い形での共存を目指す一助になれば」、という思いで、プロの物書きではない著者が、とても丁寧に書いた本で、著者の実直な人柄が伝わってきた。内容は、主に、タイトルの通り、三毛別でヒグマが次々に人を襲った事件のことだけど、それ以外にも、数々のヒグマによる獣害の事例が載っていた。中には、著者自身が、被害者を発見した事例もあった。前述のような目的で書かれている本なので、被害の内容は、冷静に、正確に、克明に、とても丁寧に、報告されていた。レポートなので、飾った描写はなかった。それなのに、というか、そのせいで、というか、ものすごく、ものすごく、怖かった。事実は、パワフルだ。そこには、そこら辺のスプラッターホラーなんか、簡単にぶっ飛ぶ破壊力があった。そんな本を間違えて読んじゃったから、熊が怖い。熊は、実際に遭遇するし、条件がそろえば、襲われる。それは、間違いない。慟哭の谷が、そう言っている。
というわけで、神仙沼の遊歩道の入口で、モジモジしていた。考えてみよう。もし、見た目の通りに熊が出るなら、こんなに無防備に、遊歩道に入れるようにはしていないはず。熊だって、人間とは会いたくないはずだから、遊歩道には近寄ってこないはず。だから、きっと、大丈夫、なはず。今まで、みんな大丈夫だったんだから、きっと、今日も大丈夫、なはず。
そう自分に言い聞かせながら、慟哭の谷に書いてあった注意事項を、必死で思い出した。もし、熊に出会ったら、逃げてはいけない。背中を向けたら、襲ってくる。目をそらさない。両手を上げて、体を大きく見せて、ゆっくりと距離を取る。クマよけの鈴が、こんなにも切実に欲しくなる日がやってくるとは思わなかった。そういえば、最近見たニュースで、散歩中にピューマに目をつけられたおばあさんが、スマホでメタリカを最大音量で流してピューマを追っ払った、というのがあったのを思い出した。スマホの中にある曲で、一番賑やかで、勇気の出る曲を、最大のボリュームで、すぐに再生できるようにした。木製の遊歩道に、足を乗せた。
遊歩道は、森の中に入ると、入口よりも葉が茂っていた。草に道がふさがれて、かき分けて進むようなところもあった。あんまり人が通っていない、ようにも見えた。今までみんな大丈夫だった、が揺らいだ。ポケットの上から、スマホの位置を確かめた。できるだけ物音を立てるようにして、先に進んだ。熊のことさえ考えなければ、草に覆われていても、木製の遊歩道の上は歩きやすかった。
30分ほど歩くと、熊への警戒は、突然、解除された。草原のような広い景色が、急に目の前に広がった。
草をかき分けて険しい林を歩いた先に、視界をさえぎるものが何もない草原が突然現れる、なんて、できすぎた話だ。映画だったら、少しシラケるような展開だ。でも、こういう展開は、他のところでも見たことがあった。自然は、時々、想像以上に、わざとらしい。細い草がたなびく一面の湿原の上に、一本の木製の遊歩道が続いていた。静かで穏やかな風景だった。ここなら、きっと、熊も出ない。ような気がする。
その、静かな湿原の遊歩道を歩いて、最後に、神仙沼にたどり着いた。林の中に突然現れた湿原の、その奥に、静かにたたずむ秘密の沼。本当に静かで、物音一つしなかった。風がなくて、水面は鏡のようだった。動くものは、小さなトンボが数匹だけ。見た目の美しさよりも、そのたたずまいの印象の方が強かった。神秘的で、澄んだ印象。癒されるような雰囲気もあった。ここに来るまで、ずっと緊張していたからだろうか。
ああ、忘れてた。ここに来るまで、緊張してたんだった。来るときは、大丈夫だったんだから、帰りも大丈夫、なはず、かなあ。
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