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お月見ツーリング

県道19を海に向かって走った。途中の交差点で左のウインカーを出したら、ハンドルのところのインジケーターが、普段の倍の速度で点滅しているのが見えた。ヘッドライト越しに、ヘッドライトの横のウインカーを見たら、普段の倍の速度で点滅していた。体をひねって、後ろを見た。ナンバープレートの横のウインカーは、消えたままだった。肋骨の間がつりそうになったので、そっと身体を戻した。試しに、右のウインカーをつけてみた。同じように、普段の倍の速度で点滅した。同じように、前のウインカーは点いて、後ろのウインカーは点かなかった。
後ろのウインカーは、元々、リアシートの下についていた。ある日、サイドバッグを買って取り付けたら、リアシートの下のウインカーはサイドバッグの下に隠れてしまって、全然見えなくなった。その次の週末、キジマのウインカーステーナンバー共締めタイプを通販で買った。ステーの取り付けと、ウインカーの配線の延長は、自分でやった。作業を終えてエンジンをかけたら、ウインカーがおびえた子犬のようにぶるぶると震えた。これはそのうちバルブが切れるな、と思ったのが2年前のことだった。でも、左右同時に切れるとは思わなかった。
とりあえず、大きな道路に出てからバイク屋を探すことにした。R56の七子峠に着いて、まず缶コーヒーを飲んだ。それから、グーグルマップで、近くのバイク屋を探した。R56沿いの、七子峠から10分くらいのところに、馬生駆屋、という名前のバイク屋があった。名前が少し気になったので口コミを見てみたら、親切にしてもらった、というコメントがいくつかあった。以前、油谷向津具下、という今でもどう読むのかわからない地名のところでパンクした時に、JAFに運んでもらった先のバイク屋がBIKE庵、という、名前が少し気になるバイク屋だったのを思い出した。小さなバイク屋で、店主が阿藤快にそっくりだったけど、親切にしてくれた。だから、馬生駆屋もきっと大丈夫だ。電話すると、やさしい口調の若い男の人が電話に出た。症状を伝えると、ウインカーのバルブはある程度予備があるから、とりあえず来てほしい、と言われた。今日は、ここから、馬生駆屋の前を通って、そのままR56を南に向かうつもりだったので、回り道をせずにバイク屋に寄れるのは助かった。
馬生駆屋は、ごく普通の町のバイク屋だった。店内の、あまり広くない展示スペースにバイクが数台飾ってあった。隣の薄暗い整備スペースには修理中のバイクが3台あった。店の前には、修理待ちか、修理が終わったバイクが数台並んでいた。展示スペースの入口の上に、少し色あせたYAMAHAの看板と、馬生駆屋の看板がかかっていた。店の前にバイクを止めると、整備スペースにいた若い男の人がこちらに気が付いた。将棋の藤井聡汰に似た、電話で聞いた優しい口調のままの見た目だった。
症状をもう一度説明すると、左右のウインカーが同時に点かなくなったのは、やっぱり少し気になるようだった。藤井聡汰に似たお兄さんは、最初にバルブを確認した。バルブは、どっちも切れていなかった。お兄さんは、バルブは大丈夫ですね、と柔らかな口調で言った。それから、黙ってボルティの横に腰を下ろして、ウインカーの付け根から、線をたどり始めた。お兄さんがリアフェンダーの中をのぞきこんで間もなく、これ、何かわかりますか?と聞かれた。お兄さんが手にしていたのは、ギボシが抜けたウインカーの配線だった。配線の被覆が削れて、中の金属が少し見えていた。確かに、これが抜けたら、リアのウインカーはどっちも点かなくなる。恥ずかしくなって、これ、ウインカーの配線です、と早口で答えながら、リアフェンダーの中に手を突っ込んだ。配線を止めてあったクランプのところのボルトが緩んでいた。ボルトが緩んでクランプの向きが変わったせいで配線がたるんで、リアタイヤに当たった拍子にギボシが抜けたらしい。ウインカーがつかなくなったのをバルブが切れたと思い込んで配線を調べなかった自分が恥ずかしかったし、ウインカーの位置を変えるくらいの整備もまともにできない自分が恥ずかしかったけど、藤井聡汰名人に似たお兄さんは、すぐに直せるところでよかった、と微笑んでくれた。もし、近くに馬生駆屋がなかったら、バルブが切れたと思い込んだまま走り続けて、そのうちたるんだ配線をリアタイヤが巻き込んで引きちぎったかもしれない。そんなことになってからバイク屋に行っても修理には時間がかかっただろう。それに、そこにはきっと優しいお兄さんはいないから、もっと恥ずかしかったに違いない。自分の整備のセンスは残念だけれど、運は良かった。
お兄さんは、被覆は削れた配線を調べて、そのまま使えるのを確認してから、熱収縮チューブで配線を修理して、緩んだボルトを締め直した。緩んでいたのは、リアキャリアのステーの左側のボルトだった。お兄さんは、右側のボルトも確認した。そっちも緩んでいた。リアキャリアは純正品ではなくて、ヤフオクで買ったのを、自分で取り付けた。ウインカーの配線のクランプすらまともにできない人間が締めたボルトなんて、緩んで当たり前なのだ。
修理が終わった頃には、馬生駆屋の白い看板が、夕日でオレンジ色に染まっていた。ここから、今日の宿まで、あと75km。到着する頃には、すっかり日が暮れているだろう。最近は、歳のせいで暗いところが見えにくいので、夜は走らないようにしている。ツーリングの計画も、夕方の5時には走り終えるものにしていた。そんななので、夕日を見た後で75km走る、というのは、未知の領域に入り込んだような不安があった。でも、バイクが前よりもまともに整備されている、というのは気分が良かった。それを頼りに、馬生駆屋を出発した。
四国の地図の、左下のとがったところの右側を下に向かって走った。ここからしばらくは、R56を道なりに走るだけで、残念ながら、せっかく修理したウインカーの出番はない。まもなく、夕日が西の山の向こうに沈んでいった。山の向こうの空が、オレンジと紫のグラデーションになった。交通量が多くも少なくもないR56は、慣れない夜の走行にはちょうど良かった。夜の走行、と言っているけれど、まだ6時過ぎだ。日が沈んで暗くなってはいるけれど、小学生でも平気で出歩く時間だ。バイクに乗る姿勢が慎重なのは悪いことではないけれど、前の車のテールランプをにらみつけるようにして走っている自分が笑えた。深呼吸して、肩の力を抜いた。
そのときに、月が出ていることに気がついた。満月から少し欠けた月が、左上に見えた。さっきからずっと同じ方向を向いて走っていたので今までも見えていたはずだけど、気が付かなかった。そこにあるのがわかってしまうと、進行方向の上からこちらを照らす月はとても明るくて、少しまぶしいくらいだった。さっきまで考えすぎて不安になっていたのが、楽になった。
四万十川を渡って、R56からR321に入った。左に出したウインカーが、規則正しく点滅した。R321に入って、しばらく山の中を通った。そのあと、自分が海沿いを走っていることに気が付いたのは、海面に反射する月の光を見たときだった。
月が風流だと思ったことは、今まで一度もないけれど、風流という言葉の意味もよくわかってないけれど、今夜の月は特別だ。こんなに気分がいいのなら、きれいな月が出ている夜に、わざわざバイクで出かける、なんていうのも粋な気がした。


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