見出し画像

ハイヒールの登坂能力

布引観音は山の上にある。駐車場には、上まで20分ほどかかる、という看板があった。
最初に階段を上って、そのあと、緩やかな上り坂を進むと、細い流れが落ちる涼し気な滝が現れた。上り坂の先には、その滝をさかのぼるような階段が続いていた。石を積み上げた階段が苔の緑に覆われている様子は、人の手があまり入っていない、静かな雰囲気をたたえていた。階段を上りきって、さらに坂を上ると、大きな岩に囲まれた薄暗い場所に出た。少し広くなったその場所の右前方に、平らな岩の上に胡坐をかくように、うねった根を下ろした木が見えた。景色を眺めて、少し休憩した。疲れたわけではないけれど、ここまでの上りは、そんなに楽でもなかった。
景色を楽しんだ後、胡坐をかいた木の横の、崩れかけた石積みの階段を上がった。石積みの階段は趣があって良いけれど、足を置くところが平らではないので、歩きにくかった。こういうところを歩くために、ツーリングには、バイクのブーツとは別に、メリルのジャングルモックを持ってきている。横着しないで、履き替えておいてよかった。もし、足首の動きにくいバイクのブーツだったら、バランスがうまく取れなくて、歩きにくかっただろう。
石積みの階段を上った先にも、上りの道は続いていた。道の周りの景色は、さっきまでと同じように、静かで落ち着いた雰囲気だった。足元も、さっきまでと同じように、少し不安定だった。最後に、少し長めの階段を上りきると、お寺があった。お寺の境内の、谷を挟んだ向こう側に、崖に埋め込まれた布引観音が見えた。見たときには、まず、何であんなところに、と思った。そのあとすぐに、いい感じのくぼみを見たらお堂を立てたくてたまらなくなった、という大工の気持ちが理解できそうな気がした。
境内から、崖に刻まれた廊下のような道を通って、布引観音に向かった。小さな祠の前を通って、小さなトンネルを通り抜けた先に、布引観音があった。
布引観音には、先客がいた。二十代前半に見える、一組のカップル。男の方は、パッとしない感じで、不機嫌そうに、暗いお堂の中を覗いていた。その半歩後ろに、ミニスカートでハイヒールのサンダルを履いたネーチャンがいた。
あの娘、あの道をあの装備で踏破してきたのか。予想外の展開に、ネーチャンをじっと見た。あんまり見ると、若いミニスカのネーチャンをじっくり見ているオッサンになってしまう、と思いながらも、視線を外せなかった。あの娘が履いているサンダルは、普通の道を歩くだけでも足のいろんなところが痛くなりそうなハイヒールにしか見えない。あれで、あの道を。ネーチャンは、パッとしない男の手を握って、ネエー、ネーエ、アノネ、ウフフ、と、いちゃついていた。おお、あの娘、あの山道をあの装備で踏破したうえで、さらにサカるだけの体力があるとは。そんなに簡単な山道じゃなかったと思うけどなあ。
私は、普段から体を動かすことは意識していて、ジムにも通っているし、週に1度は、4kmほどのジョギングもする。体力は、豊富ではなくても、それなりにはあるつもり、だった。今、それなりに手ごたえのあった山道を登り切った先で、ミニスカでハイヒールのサンダルのネーチャンがねっとりといちゃつく姿を見て、ささやかだけど大事にしていた小さな何かが、さらさらと音を立てて崩れた気がした。ハイヒールのサンダルの登坂能力は、あるいは、私が思うよりも高いのかもしれない。ミニスカートから見える足は、7月末でも全く日焼けした気配はないけれど、あるいは、日ごろから鍛えられた強靭な足なのかもしれない。だが、おそらく、そんなことはないだろう。それは、さらさらと崩れた何かを両手ですくってたたずむ私の、そうであってほしいという願望に過ぎない。あれが、若いということなのだろう。もしくは、私は若くない、ということなのだろう。
布引観音の前にたたずむ私の目の前で、一組のカップルが、下手すると神の御前で事に及ぶんじゃないかというくらいにいちゃついていた。私は、御堂の中に足を踏み入れた。谷の方へ行き、下を見下ろした。20mくらいか。かなり高かった。なんだあのオッサン、という男の目線が飛んできた気がした。カメラをかまえて、御堂の下の景色の写真を撮った。あるいは、私は、速やかに布引観音から退き、若い二人に好きなだけイチャイチャさせるべきだったのかもしれない。けど、そんなん知るか。簡単ではない山道を登ってたどり着いた布引観音だ。元を取るまではじっくり観光させてもらう。なんだったら、カップルの横に立って、一緒に薄暗い御堂の中をのぞいてやる。いいんだよ、どうせオッサンだし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?