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去り難い

弁慶岬を出て、R229を東に向かって走った。ずっと沈黙していたナビが、間もなく右に曲がる、と突然言い出した。先を見ると、確かに、右側に細い路地のような道があった。普通なら、国道から、右折して入るような道じゃなかった。でも、ナビがいうなら、仕方がない。ちょうど、対向車が切れたので、右折した。車がぎりぎり一台通れるくらいの幅の道は、きつい上り坂だった。上りきった先は、突き当りだった。ナビが、右に曲がる、と言った。普通の家の裏通りのようなところを進んだ。次の十字路で、ナビのいうとおりに、左折した。その先には、学校のような施設があった。その前を通り過ぎると、急に、周りの景色から、生活感が消えた。林の中のワインディングを、山の上に向かって走った。そのまましばらく、林の中を走った。そして、急に、景色が開けた。
風力発電の風車が、いくつも回っていた。手前の風車の前に、砂利敷きの広い場所があった。バイクを止めて、周りの景色を見た。遠くに海が見える、なだらかな山の景色が見えた。違う、ここじゃない。先に進むと、風力発電のメンテナンスのために作られたらしい、真新しい細い道路が、左に分岐していた。Uターンするように回り込んでいる細い道の入口の奥のところに、少し広くなっているところがあった。バイクを止めて、そこから景色を見下ろした。ここだ。ナビは黙っているけれど、ここが目的地だ。
目的地の名前は、磯谷牧場跡地。景色がきれいだ、とマップルで紹介されていた。観光用の看板もない、数年前に閉鎖された町営の牧場の跡地。到底、観光地とは呼べない、地味な場所。
どこかの誰かが、きれいな景色を見つけて、それをネットで紹介して、それを見つけた何人かが騒いで、騒ぎがどんどん大きくなったら、それだけで、そこは観光地になる。名前がつけば、ナビにも登録されて、そうなったら、誰でも来られる。私みたいに、近くに行くし、ちょっと寄ってみようかな、という人でも、来られてしまう。自力では発見できない場所を発掘してもらって、自力では到底たどり着けない絶景に簡単に導いてもらえるのは、ありがたい話だ。でも、こんなにも地味で何もないところに、簡単にたどり着けるのは、便利、の一言で片づけていいのか、と不安になった。今はまだ、あまり人が寄ってこないみたいだけど、もしバズったら。観光客が増えて、無礼とゴミが増えて、事故が増えて、受け入れ態勢がどーのこーの。ここに来る途中の、普通の家の裏通りみたいなところも、たくさんの車がウロウロすることになる。地元の方々にとっては、迷惑な話だ。でも、どうすることもできない。まるで、突然、バッタの大群が押し寄せるようなものだ。今の自分は、そのバッタの一匹で、大群じゃないだけ。難しい話だ。
そんな複雑な気持ちになるくらいに、何もない場所なのに、景色がきれいだというだけで、有名になっただけあって、景色は、まさしく絶景だった。横も、奥も、どこまでも見通せて、圧巻のスケールだ。その広大な景色の中に、海と、山と、川と、畑が、全部あった。大きな景色の中に、たくさんの風景が詰め込まれていて、どれだけ見ても、全部を見た気がしなかった。景色を眺めて、数分してから、畑の中に、まっすぐな道が伸びているのに気が付いた。小さな、点のような車が、気持ちよさそうに道の上を通っていた。ほら、まだ見てないところがあった。
いつ、見るのを終わりにすればいいのか、わからなかった。気が済むまで、じっくり見たつもりで、そろそろ行くか、と思うのに、気が付くと、まだ景色を見ていた。目覚ましのスヌーズみたいに、何回も、そろそろ行くか、を繰り返した。やっと、ヘルメットを手に取ったときも、本当に、気の済むまで景色を眺めたのか、よくわからなかった。
 
この日、泊まったペンションは、他には客がいなかった。案内された部屋は、部屋の正面に大きな窓がある、広い部屋だった。
窓からは、海と、きれいな夕日が見えた。シャワーを浴びた後、ベッドに腰かけて、夕日と、流れる雲を眺めながら、ビールを飲んだ。今朝の雨が、数日前のことのようだった。窓の上側から、雲が、海に向かって流れていった。陸の上にある雲は、このまま全部海に流れてしまえばいいのに、と思った。
海の上に浮かぶ雲は、右から左に流れていた。陸から海に流れている雲が、その流れに合流するところが見たくて、ゆっくりと流れる雲を眺め続けた。自分では、しっかり見ているつもりなのに、合流するところは、よくわからなかった。海に流れていく雲の一つに目をつけて、それを追いかけているはずなのに、なぜか見失ってしまった。何回やっても見失ったけど、他にやることがあるわけでもないので、気が済むまで、やってみることにした。
気が済む前に、日が暮れて、雲が見えなくなった。

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