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軍艦島の魅力と狂気

ツーリングの予定を立てるとき、普通なら、二時間半もかかるようなツアーは、ルートに組み込まない。でも、軍艦島は別だった。無理をしてでも、ルートに組み込みたかった。九州ツーリングの計画を妻に話したときも、妻が最初に聞いたのは、軍艦島に行くの?だった。
なぜ、軍艦島は、こんなにも人を惹きつけるのか。
歴史的に重要な遺産、というのは、一番の理由じゃない。それなら、他にも、たくさんある。
だいたい、軍艦島ができた理由は、褒められるようなものではない。石炭を掘る、という目的のために、人間が群がって、元の形がわからなくなるくらいに、小さな島を建物で覆いつくし、そこには、異常な人口密度で暮らす人々がいて、その人たちは裕福だったというけれど、それを示すのは、最新家電の普及率や、最先端の高層ビルといったテクノロジーで、そして、石炭の需要がなくなって、利用価値がなくなったら、放置されて、今は、ただ朽ちていくだけ。そういう島。経済成長、という熱狂が、一個の島をめちゃくちゃにした結果。暴走した人間の欲望が、徹底的に自然を破壊した見本の島。環境破壊、という意味では、目をそむけたくなるような代物のはず。
それなのに、みんな、惹かれてしまう。実際、予約したツアーは、満席になっていた。
どこかで見たことのあるディストピアSFのような歴史的背景を持つこの巨大な廃墟に、多くの人が惹かれることを考えると、人間には、無条件にテクノロジーを崇拝する生理的な何かがあるんじゃないか、と思ってしまう。
 
長崎の港を出て、しばらくは、海の上には何もなかった。そのうち、遠くに、軍艦島が見えてきた。海の上に、一塊の廃墟が浮かんでいた。遠くから見ても、わかった。海の真ん中のそれは、異形でしかなかった。なんでこんなところにあんなものが、というのが最初にあって、そのあとで、一つの建造物としての認識が、追いついてきた。海の上に、巨大な廃墟がある。それだけで、異様だった。それが島でも、動かなくなった軍艦でも、どっちでも、関係なかった。
軍艦島、という名前は、西側から見た姿が、土佐、という軍艦に似ているところから来た、と観光船のガイドの人が言っていた。西側から見ると、島の陸地が海と接するところから、コンクリートの壁が立ち上がっていた。人の手の加わっていない部分は、全く見えなかった。その、コンクリートの壁の向こうに、コンクリートの建物が、密集していた。建物の形は、高さも、大きさも、ばらばらだった。島のいたるところに、勝手に、いろんな形の建物が建っていた。建物の形は、島の形と、奇妙にバランスしているみたいに見えた。まるで、それぞれの建物が、雑草のように、勝手に生えてきたみたいだった。建物の形はばらばらでも、色はそろっていた。風雨にさらされて黒ずんだ、むき出しのコンクリート。そんなに昔ではない過去の、即物的な目的で建てられた建物なのに、はるか昔の、誰がどうやって立てたのかもわからない、神秘的な遺跡のようだった。単純に、すごくて、かっこよかった。
島の東側には、上陸用の桟橋があった。双眼鏡で、桟橋を見た。太い鉄パイプの手すりが、つぶれたトイレットペーパーの芯みたいに、グニャグニャに曲がっていた。桟橋は、先月の台風で破損していた。そのせいで、軍艦島には、上陸できなかった。ツアーを予約した時から、それはわかっていた。予約した時は、軍艦島が見られれば、上陸できなくても十分だと思っていた。でも、本物の迫力を目のあたりにすると、もっと近くで見たくなった。
仮に、桟橋が壊れていなくても、天気次第で、上陸できない日も多いらしい。観光ツアーのサイトに載っていた上陸率は、月によっては70%くらいだった。
先日、一緒に夕食を食べた熊本の友達は、軍艦島に上陸したことがある、と言っていた。彼によると、桟橋のところまで行けても、船は、相当に揺れるらしい。上下する船のタイミングを見計らって、せーのー、ハイ!と、桟橋に飛び移って上陸した、と教えてくれた。スーパーマリオみたいだった、と言っていた。
観光船のガイドの人によると、そもそも、桟橋の周りに防波堤がないのが、港としておかしいのだけれど、軍艦島の周りの地形では防波堤を作れなくて、そういう意味でも、この島は、本当は人が住めるような島ではない、とのことだった。
じっくりと時間をかけて、観光船が軍艦島を一周した。静かだった船のエンジンの音が大きくなって、軍艦島が、海の向こうに、小さくなっていった。
それが正しいのかどうかは別にして、軍艦島は、当時の技術を結集して、行けるところまで行った結果でもあって、モラルをぶち壊して突っ走った清々しさというか、今はいろいろあってできないことを代わりにとことんやってくれた突き抜けたものを感じた。暴走した人間の欲望の狂気のような、後ろめたくて、グロテスクで、禍々しいものは感じなかった。
 
今回参加したツアーは、軍艦島に上陸できない代わりに、軍艦島の博物館の見学が、コースに組み込まれていた。軍艦島に行く前に、博物館のある、高島、という別の小さな島に寄った。観光船を下りると、港に、銅像があった。羽織はかま姿の男が、目を見開き、挑むような目つきで、何かを指差していた。
彼の名は、岩崎弥太郎。三菱財閥の創業者。石炭採掘で、一発当ててのし上がった人。ある意味、軍艦島を作った人。たぶん、いろんな闇を抱えていて、尊敬できる部分よりも、真似したくない部分の方が多い人。たぶん、経済成長、という、金儲けという、むき出しの欲望が暴走した狂気の正体。
軍艦島よりも、この銅像が、港に飾られていることの方が、狂っている気がした。後ろめたくて、グロテスクで、禍々しかった。
いつだって、悪いのは、テクノロジーじゃなくて、使い方だ。

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