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その後の、奇跡の一本松

鳴子峡から、志津川に出た。奇跡の一本松まで、海の近くを通るR45を走った。
R45は、海の近くを通るけれど、海が見えるわけではないのは知っていた。でも、南三陸の、普通の道を走りたかった。二年前と比べて、工事が終わっている個所が増えていた。その分、次の工事が始まっていた。気仙沼の市街地は、ダンプカーの往来が多くて、走りにくかった。
二年前に来たとき、奇跡の一本松の周りは、何もない更地だった。駐車場もなくて、どこに奇跡の一本松があるのかも、よくわからなかった。道端にバイクを止めて困っていたら、交通整理の格好をしたオジサンが現れて、親切に案内してくれた。オジサンは、奇跡の一本松が、この辺りにあった七万本の松の木の一本であることや、一本松の保存処理は大阪の業者に頼んだことを教えてくれた。奇跡の一本松の下で、オジサンの話を聞いているうちに、日が暮れた。最後に、オジサンは、懐中電灯で看板を照らしながら、この辺りは、今の工事が終わったら公園になる、と教えてくれた。看板には、どこかで見たことがあるような、大きな駐車場のある広いきれいな公園の絵が描いてあった。
2年前のことを思い出しながら走って、奇跡の一本松に着いた。周りは、広いきれいな公園になっていた。大きな駐車場にバイクを止めた。
高田松原津波復興祈念公園の入口には、売店と展示館があった。そこを抜けると、海に向かうまっすぐな道があった。道の向こうは、堤防になっていた。海は見えなかった。真っすぐな道を歩いて、堤防の階段を上がると、上は展望台になっていた。R45を走っているときは、チラチラとしか見えなかった海が、よく見えた。海は穏やかだった。さざ波が、日の光を反射して、キラキラと光っていた。展望台の、右にも、左にも、海岸が広がっていた。たぶん、海岸の形は、ずっと昔から、ほとんど変わっていないだろう。その時間の長さと比べると、ここに七万本の松の木があったのは、一瞬のことなのかもしれない。
奇跡の一本松は、展望台の右側のスロープを下りたところにあった。二年前に見たときは、日が暮れて、ライトアップされていた。天気の良い昼間に見ると、ずいぶん印象が違って見えた。覚えていたよりも、背が高くて、飄々としていた。一本松の隣には、震災遺構のユースホステルがあった。二年前に来たときは、暗くてほとんど見えなかった。今回は、よく見えた。でも、正視できなかった。
公園は、まだ完成していないようだった。一本松の近くに、ショベルカーやトラックが止まっていた。
あの日のオジサンは、この公園に、よく来るんだろうか。

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