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機械式

ゆっくりと回っていくオドメーターの一番右の白い部分の数字に気をつけながら、先に進んだ。メーターを気にしながら走るのは、安全じゃないのは、わかってる。でも、今だけは特別だ。山の中の道で、前には誰もいないけど、メーターと前を交互に見ながら走った。いよいよあと少しになったので、バックミラーを見て、後ろに誰もいないのを確認してから、オドメーターをもっとゆっくり回すために、スピードを落とした。変なペースで走ると周りの迷惑になるのは、わかっている。でも、今だけは特別だ。前見て、バックミラー見て、メーター見て、前見て、バックミラー見て、メーター見て。こんなことしても、どこもまともに見れていないのも、わかってる。でも、今だけは特別だ。そして、いよいよその時が来た。バイクを止める場所に見当をつけて、メーターをじっと見たまま、ボルティを進めた。わかってる。でも、今は特別なんだ。オドメーターの一番右の白い部分の9という数字の下から、0という数字が現れて、それと同時に、その左に並ぶ黒い部分の5桁の数字が全部一緒に回転した。一万キロに一回だけの瞬間。50000、という数字が、初日の出のように、オドメーターの下からゆっくりと現れた。バックミラーを見て、バイクを止めた。写真を撮った。
おめでとう50000km。前回の四国ツーリング、つまり、ボルティが十数年の眠りから復活して最初のツーリングに出発したとき、オドメーターの数字は18007だった。この程度の走行距離は、とても自慢できるようなものではないし、距離を稼ぐためにツーリングをしているわけではないけれど、それでも、こういうのは、やっぱりうれしい。今回の四国ツーリングは、今までのツーリングに思いを巡らせる機会が多い。日本を一周した後も旅を続けるというのは、そういうことなのか。
それにしても、オドメーターは機械式に限る。メーターの全ての数字がじわじわと動いていく様には、そこに至るまでの距離に見合った重みがある。デジタルの、電卓みたいな数字が並んでいるだけのオドメーターでは、この味わいはないだろう。右端の数字がじわじわと上がっていって、いよいよ来るぞ、の高まりもない。その時が来たら、それまでと同じみたいに、ペッと数字が変わって、終わり。そりゃ味気ないぜ。偉そうなことを言っているけれど、機械式の良さに気が付いたのは、50000.0の瞬間を見た今さっきだ。それまでは、そんなこと考えたこともなかった。
アナログの良さ、というと、なんかいいんだよねえ、みたいな雰囲気とか、あえて不便を楽しむとか、便利なデジタルに対する負け惜しみのようなものしか知らなかった。こんなにもはっきりとアナログの良さがデジタルを打ち負かす瞬間を見るのも珍しい。こういうのは、大切にしたい。そう思うと、トリップメーターでガソリンの残りを測りながら走るのも悪くない気がしてきた。給油したら、ダイヤルをくるくると回して0に戻す作業すら、便利な機械に任せっきりになっているんじゃなくて、機械を使いこなして渋い。そんな気がする。さっき、あえて不便を楽しむ、と言っているアナログの人達のことを、負け惜しみ、と言ってしまったけど、すみません、間違いでした。こういうことだったのか。ここを乗り越えて、楽しめるようになっていたのか。
あらゆる機械仕掛けは、便利なものがあれば、必ずそれが実現されるし、一度実現されたら、戻ってこれなくなるけれど、やっぱり、手に入れたものがあれば、失っているものもあるわけだ。手に入れた便利はわかりやすくて、失ったものはわかりにくい。ダイヤル式のトリップメーターなんて、そんなに大昔でもない時代の技術だと思っていたのに、気がつけば、今どきこんなの珍しい、となってしまっている。便利怖い。機械式のオドメーターは、失う前に、その良さに気が付くことができて良かった。これからは、ガソリンを入れた後、トリップメーターのダイヤルをくるくると回すたびに、その良さを味わうようにしよう。
50000.0、という数字を、念のために何回も写真に撮って、カメラをポケットにしまった。エンジンをかけて、走り出した。オドメーターの、一番右端の数字がゆっくりと回った。

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