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創造と破壊

ドライブイン泉やの裏の展望台から、関谷大滝を見下ろした。展望台からは、滝を近くから見られたけど、滝つぼが見えなかった。展望台の先に続く道を進むと、渓流沿いに降りられた。
階段を下りて、橋を渡った。川の向こう側から、滝の方に向かうと、大きな岩が行く手を遮っていた。岩の上には、階段がかけられているけれど、入口が閉鎖されていた。階段は全体的にサビだらけで、触ったところから崩れてしまいそうだった。でも、ここに階段があるのは、大きな岩の向こう側の、景色の良いところに行くため、というのは、簡単に想像できた。
大きな岩は、山から渓流に向けて張り出すように立ちふさがっていた。渓流側から迂回するには、渓流の中を進むしかなかった。山の方を見ると、なだらかな坂になっていた。坂の先は林になっていて、岩の向こう側に回り込めるようにも見えた。階段が閉鎖されたのは、階段を使わなくても、向こう側に行けるからかもしれなかった。
山の方に踏み出そうと思ったら、坂の向こう側から、若いカップルが歩いてきた。何があるか聞いてみたら、坂の向こうには、何もない、と教えてくれた。
この岩の向こうには行けない。そういうことだ。岩に取り付けられた階段を見た。手すりや踏み台は、工事用の足場のパイプのようなものでできていた。プロの仕事には、見えなかった。
エクステリアをDIYすると、思いのほか、早く痛む。それは、知っている。でも、作っているときは、それが痛んで使い物にならなくなることなんて、ほとんど考えない。それも、知っている。
マメにペンキを塗れば錆びずに済む、というのは、みんな知っている。階段を作った人も、半年に一回くらい、ペンキを塗るつもりだったかもしれない。でも、それは、そんなに簡単じゃない、というのも、知っている。なぜなら、メンテナンスは、作るのに比べものにならないくらい、つまらないからだ。
どうせ岩の向こう側に行けないのなら、いっそのこと、階段を撤去してくれれば、変な期待をしないで済むのに、と思った。でも、撤去するのも大変だ、というのも、知っているから、そんなに悪くは言えなかった。だいたい、撤去する、ということは、自分の作ったものが役に立たなくなった、というのを認めるということだ。そんなの、楽しいわけがない。
なぜ、屋外で朽ち果てたDIYの痕跡に、こんなにも理解があるかと言うと、上記のような経過をたどった結果、我が家の庭の隅で、木屑と化した物体がいくつかあるからだ。残念な日曜大工の成れの果て。家に帰ったら、今度こそ、あれを片付けよう。楽しくないけど。

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