おへんろさん
四国には、お遍路さんがたくさんいる。今回のツーリングでも、いくつかお寺に行ったけど、白い服を着て杖を持った人をたくさん見た。室戸岬に向かうR55では、歩いている人もたくさん見た。7年前に四国に来たときよりも多い気がした。もしかしたら、7年前よりも気になっただけで、数は同じなのかもしれない。
お遍路さんが気になったのは、慈眼寺の穴禅定の影響が大きい。軽い気持ちで体験してみたら普通にしっかりと修行だった、というのが、お遍路のイメージを変えた。それまでは、過去には修行とされていたけれど、今となっては四国を観光して回るきっかけとしてのスタンプラリー的イベント、と思っていた。違った。お遍路は、今でもちゃんとした修行だった。そういうことなら、と、興味がわいた。お寺のお参りをちゃんとやってみたくなった。お寺をお参りするときは、二礼二拍手一礼じゃない、は知っているけど、南無阿弥陀仏というべきなのか、南無妙法蓮華経というべきなのか、どっちかわからなくて本堂の前で立ちつくす、とか、そういうのを、なんとかしたい。だいたい、お寺は、お参りでいいのか。平野林道の料金所のオジサンは、御納経って言ってた気がする。それに、どうせちゃんとやるなら、お経も覚えて、しっかりと八十八か所まわってみたい。そして、八十八か所巡りの途中で、二十番札所奥の院として慈眼寺を訪れ、穴禅定を務め、洞窟の一番奥の洞で先達さんと一緒に般若心経を唱える、というのが理想だ。穴禅定の後は、お遍路さんの姿を見るたびにそんなことを考えていたので、お遍路さんが目についたのかもしれない。
ツーリングから帰ってきた今でも、お遍路さんへの興味は消えていない。いつかは、八十八か所巡りをしてみたい。移動手段は、やはりバイクということになるだろう。かなり大変そうなイメージがあるけれど、実際はどんなものなのか。
お遍路、距離、検索、と。
1400kmだそうです。今回のツーリングは1971kmだった。思ったよりも現実味のある距離感。単純に移動距離だけで考えると、わりといつでも行けてしまう。いやいや、お遍路さんはそんな簡単な話じゃないはずだ。もう少し掘り下げてみよう。
お寺はだいたい8時~17時が営業時間なので、この間に訪れないといけない、とします。この9時間のうち、移動時間が半分かかるとして、残り4時間半。270分。一つのお寺につき、所要時間を40分としますと、一日7か所。八十八か所なので、13日。1400kmを13日で移動する、ということは、一日108km。移動距離は問題ないので、所要日数は13日。四国までの往復に1日ずつかかるとして、全行程15日。15日か。ちょっと長いけど、なんとかならなくもない日程感。例えば、毎年のロングツーリングを、何もない10月末じゃなくて、GWや夏休みにくっつけると、2週間に土日がくっついて16日になる。15日だったら、行ける。
あれ?
行こうと思ったら行けちゃうのか、お遍路。自分の中では、日本一周と同じくらいの扱いだったのに。日本一周は大変だけれど、お遍路ならできるかも、くらいの扱い。退職後、体調を整えて、心技体を充実させて一生に一度のビッグチャレンジ。そんなイメージだったのに、やや無理めだけど頑張ればなんとか、くらいのところにあったとは。
軽い気持ちで、お遍路、距離、とか、思い付きで検索してみたら、1400km、13日、という具体的な数字が簡単に出てきてしまった。ちょっと気になって調べただけなのに、お前さっきお遍路やってみたいって言ってたよな、やろうと思ったらできるぞ、さあどーすんだ、と、自分の覚悟を改めて問い詰められて、うろたえる。なんでもかんでもちょっと調べればすぐにわかるというのは、便利だけど、あいまいさがなくて息苦しいよ。恐るべし、情報化社会。
果たして、私は、本当に、お遍路に行きたいのか。
…。わかんない。正直に言うと、すごく難しいからできない、と半分くらい、思っていた。できなそうだから、軽い気持ちで、やってみたい、と言ってみたところもある。もしかすると、いつかはやってみたい、と口にすることの大半は、今はできない、という前提で言っているのかもしれない。そして、その前提は、自分で勝手に立てた壁なのかもしれない。行こうと思えば行ける、というのがわかった今では、いつかはやってみたい、は通じなくなった。でも、じゃあ、来年はお遍路か、となると、それはちょっと違う。たぶん、そんなに遠くない未来に、まだ体がちゃんと動いていたら、行くことになると思う。
だって、日本には、まだ行ったことがないところが、たくさんあるんだ。今は、お遍路より、行ってないところに行ってみたい。鼻歌交じりで。
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