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行ったことないとこ

獅子の霊厳展望台から、瀬戸内海の景色を見下ろした。手前に町があって、その向こうに海があって、島がいくつかプカプカ浮かんでいる。今日のツーリングはこれで終わりで、あとはホテルに向かうだけだった。美しい景色を前に、充実した一日だった今日という日を振り返り、ゆっくりとその場に一人たたずむ。これこそがソロツーリングのだいご味。のはずが、どうも落ち着かない。ムズムズする。景色は見たからハイおしまい、と言っている自分がいて、それを我慢して、ゆっくりたたずもうと頑張っている。
ツーリングの初日は、だいたいいつもこうなる。様々な事柄から余計な要素を削り落として、本当にやらないといけないことだけを片付けて、余計じゃなくて大事かもしれないけれど嫌なことからも逃げて、それでも次々と際限なく現れる日々の様々な物事を必死でかき分けてやっつけてる。それが、普段の毎日だ。そこから、バイクに乗ってあっちこっち訪れるだけの生活に急に切り替えても、それまでの毎日の癖は、なかなか抜けない。
バイクでどこかに行こうとするとき、私の原動力は、まだ見たことのないところだ。「イージュー★ライダー」、「さすらい」と、旅についての名曲を作ってくださっておられる奥田民生大先生は、こうおっしゃっている。
「あれが見たい。あれを見たい。きっとすごいあれを見たい」(トリッパー/2007年/記念ライダー2号奥田民生シングルコレクション)
こうもおっしゃっている。
「夢の続きに行ってみよう。行ってないとこに行ってみよう」(エンジン/2017年/カーズ・クロスロード)
奥田民生大先生はバイクの曲も作ってくださっていますが、バイクに乗るのかな。
ともかく、そんな気持ちに正直に従って、行ってないとこに行ってみようと毎年ウロウロして、気が付くと、どこが行ってないとこなのか、わからなくなってきた。いや、行けばわかるよ、来たことあるかどうかは。それがわからないなら、それは行ってないとこだ。2回でも3回でも行って、毎回新鮮な気持ちで感動すれば良い。わからない、というのは、観光地の名前と場所だけ見ても、そこに行ったことがあるかどうかわからない、という話。良い景色は良い景色なだけであって、名前はそれを区別するためのただの記号で、場所は行きやすさの目安だ。名前と場所は、景色の良さとは関係ない。ので、どの景色がどの名前の観光地だったのか、覚えられない。
でも、これを覚えていないと、ツーリングの予定を立てるときに、どこに行けばいいのかわからなくなるのです。だいたい、ツーリングの予定を立てるときは、行こうと思っている場所の観光地をマップルで一生懸命調べるので、行ったことのない観光地の名前と場所が、たくさん頭の中に入ってくる。で、頭の中はというと、行ったことある観光地の名前と場所が散らかっている。結果、これとあれが混ざってしまうことになり、そうなると、これはね、もう無理です。はたして、この名前の観光地は、行ったことあるのか、それとも、行ったことないけど名前だけ知っているのか。こんな状態では、「もっとすごいあれを見たい」(トリッパー/2007年/記念ライダー2号奥田民生シングルコレクション)と思って、「鼻歌まじりで行ってみよう。リズム取りながら行ってみよう」(エンジン/2017年/カーズ・クロスロード)と、機嫌よく走ってみたものの、着いてみたら、それは行ったことあるとこだった、ということが起きてしまう。そういうのは、できるだけ避けたい。
そのことに気が付いた私は、何をしたかというと、変なところだけ妙に真面目、という特性を発動させて、行ったことないとこと、行ったことあるとこを、きちんと整理し始めたわけです。家の中は全然整理できていないのに。まず、撮りっぱなしになっている写真を、ツーリングごとにアルバムを作ってまとめた。それから、ツーリングのルートを作るときにグーグルのマイマップにとりあえず入力したままの観光地を県別にまとめて、行ったことあるとこと行ったことないとこに分別した。そのあと、ルートを作るときに調べた観光地の情報も、行ったことあるところは実際の現地の情報を追加して、県別にまとめて分別した。散らかっているものが片付くのは、気持ちが良い。それに、きちんと片づけると、見栄えが良くなる。すると、次はどうなるかというと、飾りたくなるわけです。写真と観光地の情報をまとめてブログにしてみたり、写真をスライドショーにして、ちょっとした字幕と効果音をくっつけて動画を作ってみたり。
どうやら、これが良くない。飾ると、収集癖が作動してしまう。行ってないとこに行ってみたかっただけなのが、行ってないとこにできるだけたくさん行きたくなってしまう。できるだけたくさん、は、効率良くこなさないといけない、になって、それは、いつもと同じになってしまう。到着したという事実を確保し、ブログに貼り付ける写真を撮ったら、収集という目的に対して、その場所はもう意味がない。その場にとどまることは、非効率的だ。結果、景色は見たからハイおしまい、と言ってしまう自分がいる。効率重視のつまらない野郎だ。だって、いつもそうなんだもん。
旅の目的は人それぞれで、楽しみ方も様々だと思う。でも、旅に出るということは、多かれ少なかれ普段と違う生活をするということだ。そのギャップは、意識して丁寧に埋める必要がある。だから、私は、リハビリをする。そわそわしながら、獅子の霊厳展望台から瀬戸内海の景色を見下ろして、沖の方にプカプカ浮かんでいる島を、もう一度見る。さっき見たはずなのに、初めて見たような気がする。もう十分見た、と思っても、もう少し頑張る。そのうち、景色を見た、という以外の何かが引っかかって、その場から動きたくなくなって、そばのベンチに腰を下ろす。予定だと、そろそろ出発の時間だけど、もう少し座ったままにする。

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