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最後の試練

今日の天気が悪いのは、天気予報で知っていた。晴れの日があれば、雨の日もある。今回のツーリングは、特に、そんな感じだった。この日泊まった宿の御主人は優しい人で、早朝の出発でも、朝食を用意してくれた。今日はどこに行くのか、聞かれたので、襟裳岬を回って苫小牧まで、と答えた。ご主人は、スマホで天気予報を調べて、襟裳岬は大丈夫みたいだよ、と、雨雲レーダーを見せてくれた。
宿を出る瞬間に、雨が止んだ。10分後に、また、降り出した。空は、分厚い雲に覆われていた。今日の雨は、そんなに簡単に止みそうになかった。
R38で帯広の方に向かう間、雨は、確実に降り続いた。真面目で融通の利かない職人の仕事のように、一定の量の雨が、確実に、ていねいに降った。山の中の特徴のない道を走っていると、好きでバイクに乗っている感覚が、なくなってきた。苫小牧を出発して9日目。無理はしていないつもりだけど、疲れが全くない、というと、嘘だった。安全で、確実に、前に進む、ということに集中した。天気が悪い、とか、疲れた、とか、泣き言を言っても、何もよくならない。今は、試練の時だ。
幸福駅に着いたときも、真面目で融通の利かない職人は、実直に仕事を続けていた。感心するほど、ていねいな雨だった。バイクを止めて、ホームの方に歩いた。どこにもつながっていない線路の横の、小さなホームと、その前に止まっているオレンジ色の電車は、ていねいな雨に濡れていると、それはそれで趣があった。幸福駅、という名前には、似合わないかもしれないけれど、こういう日には、こういう日の、幸福があってもよさそうな気がした。
ホームの手前の小さな駅舎には、切符の形をしたA4くらいの大きさのピンク色の紙が、たくさん張り付けてあった。紙には、いろんな願い事が書いてあった。紙は、上の真ん中の一か所だけ、画鋲で貼り付けてあった。薄い紙の端が丸まって、ビラビラしていた。なぜか、どの紙にも、そんなに真剣でもない、何かのついでみたいな、どうでもいい願い事が書いてあるように見えた。そんな紙が、雑に、たくさん張り付けられた駅舎は、広告をたくさん貼られた電話ボックスみたいだった。
幸福駅を出るときに、襟裳岬までの道をナビで調べた。ナビには、無料の帯広広尾自動車道を使うルートが表示された。普段なら、自動車道はつまらないので使わない。この天気では、そこにこだわっても、あまり意味はなさそうだった。ナビのいうとおりに、自動車道を使うことにした。
自動車道に入ると、雨が強くなった。職人が、こういう手順になっていますので、と言うのが、聞こえた気がした。彼は、彼の仕事をしているだけだ。文句を言うつもりはなかった。だから、そのつもりで、こうやって、つまらない自動車道を走っている。ただ、意地を張って下道を走って余計に疲れるのは正しくない、という判断が正解だったのかどうかは、よくわからなかった。幸福ICから忠類ICまでは、30kmしかなくて、自動車道なら大したことがないはずなのに、なぜか、とても疲れた。宿から幸福駅までの100kmの方が、楽に感じた。
忠類の道の駅で休憩した。全身、ずぶ濡れだった。ヘルメットを脱いでいる間に、足元に水たまりができた。レインウェアを着たまま、トイレに行った。疲れたときだけ飲むことにしている微糖の缶コーヒーを買った。外の軒先で、休憩した。缶コーヒーを開けて、一口飲んだ。
「ちょっと疲れた」
わざと、声に出して、言ってみた。肩の力が抜けた。そのとき、今まで、肩に力が入っていたのを知った。缶コーヒーを、少しずつ飲んだ。飲み終わるころには、微糖の缶コーヒーの効果が出てきた。気のせいだとは知っているけど、前に進む力が出れば、それでよかった。ヘルメットに、頭を押し込んだ。
R236から、R336に入った。海沿いに出ると、雨が弱くなった。左側に海を見ながら、襟裳岬に向かった。海沿いの道は、トンネルが多かった。トンネルを通るたびに、雨が弱くなる気がした。そのうち、雨が止んだ。雨が止んだ後も、トンネルを通るたびに、天気は回復し続けた。このまま、晴れてくれれば、と、願って走った。
少し長めのトンネルを通り抜けたら、急に青空が広がった。ヘルメットの中で、大声が出た。職人が、こういう手順になっていますので、と言うのが聞こえた。仕事を終えた彼は、最後に、ニコリともせず、良い旅を、と言ってくれた。
 

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