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左右盲だから

左右盲って知っていますか?
右、または、左、という言葉と、実際の左右が、直感的に把握できず、正確に理解するのに、時間がかかる症状のことを言います。具体的な症例には、次のようなものがあります。
・食器を並べるとき、向きが必ず、左右逆になる。
・駅のホームに立つと、思ったのと反対の方から電車がやってくる。
・道を教えるとき、次の交差点を右、と言いながら、左を指さして、周りを混乱させる。
そんな奴がいるのか、というと、います。それは、私です。
左右盲、という言葉は、去年、インターネットで見つけた。生まれてこの方、ただのどんくさい自分を残念に思う毎日だったのに、左右盲という名前のおかげで、努力が足らないのではなく、そういう種類のハンディキャップがある、と認定された気になった。おかげで、ずいぶん気が楽になった。
私は、基本的に、ミギ、ヒダリ、という言葉を聞いただけでは、それが意味する方向を判断することができない。ミギ、ヒダリ、という記号を、一旦、別の何かに置き換える必要がある。例えば、ミギ、と言われたら、字を書いている自分を想像して、ペンを持っている方の手はどっちだ、となってから、右、にたどり着く。そんな調子なので、右回り、とか、向かい側の左、とかは、かなり難しい。
そんな私が、ツーリング中にカーナビを使うときは、画面がチラチラすると目障りなので、音声だけ聞いて走っている。カーナビの音声なんて、ミギとヒダリしか言わないのに大丈夫なのか、というと、これが意外と大丈夫だったりする。道路は、左右非対称なので、私にとっては、ずっとヒントを見ながら走っているのと同じだ。ミギは、反対車線の方、ヒダリは、曲がりやすい方。カーナビが、ミギ、とか、ヒダリ、とか言うたびに、ん?とか、ああ?とは、ならずに、すぐに置き換えられる。
でも、直感的に理解しているわけではないので、油断すると、間違える。何かをきっかけに、変な思い込みをしていると、かなりの確率でミギとヒダリを間違える。地図を間違って覚えている時に、そうなることが多い。そういうときに間違わないようにするのがカーナビの役目で、彼女はその仕事をしっかりとこなしているのに、オッケー右ねー、と言いながら、左に曲がる。愛用しているYahoo!カーナビは、700m先をミギです、300m先をミギです、まもなくミギです、ミギです、と、4回も言ってくれるのに、間違える。
今回は、小安峡大噴湯から、川原毛地獄に向かう途中で、左右盲が発動した。Y字に分岐した道で、ミギに行くところを、左に進んだらしかった。Y字路は、左右対称で、ヒントが減るので難しい。
道を間違えても、市街地なら、カーナビが、元のルートに戻すために、交差点ごとに曲がらせようと大騒ぎするので、左右盲の発動に気が付く。でも、今回は、山の中だった。元のルートに戻るための交差点がなかった。そういうときでも、カーナビは、絶対にUターンしない。盛大にリルートしてくれる。結果、最初とは全然違うけど、目的地にはたどり着ける、というルートが、私に内緒でできあがっていた。交差点のない道をUターンせずに済むようにリルートした道は、当然、しばらく今の道をまっすぐ進むルートになる。つまり、ミギと左を間違えたのに、そのまま進めばよい、ということになって、カーナビはミギもヒダリも言わない。私は、間違っていないつもりで予定と違う方向に向かって走り続け、カーナビは、間違えたことに気が付いていても、黙ったままだ。
カーナビには、こういうときは、お前は道を間違えた、と素直に教えてほしい。お前は道を間違えたから、それをカバーするために、今からわざわざリルートするのだ。そう伝えてほしい。左右盲の私は、そんなことでは傷つかない。むしろ、感謝しかない。しかし、間違えを指摘することも、Uターンすることも、彼女のプライドが許さない。彼女は、私が間違えたのではなく、彼女の提案が気に入らなくて意図的に違う道を進んだ、と解釈し、私の進みたい道を使ったうえで、目的地にたどり着くルートを速やかに導き出してくれる。それは、彼女の職業意識の高さがそうさせるのであって、彼女は悪くない。彼女にはいつもお世話になりっぱなしなので、不満はない。4回もミギと言われているのに、左に曲がる私が悪い。カーナビからすると、そんな奴がいるのか、という話だろう。います。それは、私です。左右盲、というらしいです。
 
川原毛地獄は広いところで、入口が2か所ある。一つは、大滝湯という、温泉の滝が流れているところに近いところにあって、もう一つは、泥湯、という温泉の近くにある。予定では、大滝湯の方に向かって、大湯滝を見に行くつもりだった。
しかし、ミギに行くところを左に進んだ結果、ナビが選んだのは、泥湯の方の入口を経由して、大滝湯に向かう道だった。結果的に、川原毛地獄方面に向かっていることに変わりなく、道路の標識にも、川原毛地獄→、と書いてあった。おかげで、道を間違えたことには、全然気が付かなかった。
泥湯の近くの川原毛地獄までの道は、タイトなワインディングだった。深い林に囲まれていて、道路にうっすらとヘッドライトの明かりが見えるくらいに暗かった。進んでも進んでも、同じような景色が現れた。疲れたから休憩しよう、と思ったときに、急に視界が開けた。
そこは、木が一本も生えていない、真っ白な世界だった。景色の切り替わりが、トンネルを抜けたみたいに急だった。あまりに突然に景色が変わったので、人知れない山の奥深くの時空がゆがんで、異世界の一部が露出しているようにしか見えなかった。
川原毛地獄の入口には、小さな木の看板があるだけだった。観光地のはずなのに、人の気配が、全くしなかった。普段から、誰も来ていないみたいだった。この場所は、本当に大丈夫なんだろうか、と少し怖くなった。入口のところから、その不思議な景色を眺めた。雨に濡れた真っ白な丘は、濡れて艶があるのが陶器のようで、きれいだった。その、澄んだ感じが、余計に怖かった。丘のところどころから、湯気が噴き出していた。丘の向こうが、かすんでいた。かすんでいるのは、湯気のせいか、雨のせいか、わからなかった。かすんだ丘の向こうに、紅葉した山が見えた。その山の景色は、普通の景色で、そのせいでそっちが作り物に見えた。
入口から、丘の向こうに向かって、細い道が続いていた。道を間違えたことには気が付いていなかったので、大滝湯に向かうつもりで、遊歩道に足を踏み入れた。10mほど歩いて、なんだか不安になった。後ろを振り返った。木でできた素朴な遊歩道の入り口と、そのわきのボルティが見えた。先に進んだ。そのうち、見えるのは、真っ白な丘だけになった。近くから、湯気が噴き出していた。
風向きが変わって、噴き出した湯気がこっちに流れてきた。真っ白な湯気に囲まれて、周りが全然見えなくなった。雨が降っているので、そんなに歩き回るつもりはなかった。景色も見えなくなったので、バイクのところに戻ることにした。後ろを振り返っても、周りを包む湯気のせいで、何も見えなかった。嫌な感じがした。足元だけ見ながら、来た道を戻った。気が付くと、小走りになっていた。そろそろ入口のところに戻るだろう、というときに、風向きが変わった。周りを包んでいた白い煙のような湯気が晴れた。足元に向けていた視線を上げた。入口は見えなかった。ずっと遠くまで、真っ白な丘が続いていた。どっちを向いても、真っ白だった。入口も、丘の向こうの作り物のような普通の山も、見えなくなっていた。
というようなことが起きそうだ、と考えながら、遊歩道を歩いた。自分で勝手な想像をして、本気で少し怖くなった。雨も降っているので、大湯滝に行くのはあきらめて、バイクのところに戻った。
自分のいる場所が、大滝湯の方の川原毛地獄ではない、と気が付いたのは、次の目的地をセットするために、カーナビの画面を見たときだった。
盛大に道を間違えたせいで、大湯滝を見に行く時間がなくなった。でも、そのおかげで、この不思議な景色が見られた。大湯滝に行けなくても、残念だとは思わなかった。

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