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今、ツーリングに行くということ

今回のツーリング、というか、今後しばらく、ツーリングに行くことを考えるときに、避けては通れない話がある。コロナ禍の最中、ツーリングに行く、ということは、不要不急の県外への移動をする、という件だ。
感染拡大防止を単純に考えれば、どこにも行かず、家でじっとしていれば間違いない。それは、わかる。おうち時間を楽しもう、だ。最近は、おうち時間、という言葉を耳にするだけでイライラするので、この言葉は、そろそろ逆効果なんじゃないかと思う。
では、ソロツーリングに行くというのは、家でじっとしているのと比べて、どれくらい違うのか。具体的に考えてみた。私の場合、ツーリングに行く一番の目的は、一人になることなので、人が多いところは、コロナ禍になる前から、自主的に避けている。旅先での他人とのふれあいを好まないので、他人と話をすることもほとんどない。移動中も、観光も、ほとんど外なので、密室になりようがない。こう考えると、三密、という観点からは、何の問題もなかった。バイクでのソロツーリングは、新しい生活様式に最も適した旅の形だ。そう言えるくらい、理屈の上では、リスクは少なかった。
もちろん、こういう考え方が、ただの言い訳に過ぎない、というのは、わかっている。道中、どれだけ気を使っていても、ツーリングに行って、コロナに感染したら、ほらやっぱり、と言われる。発症前に出勤して、職場に濃厚接触者を出してしまったら、こんな時に旅行に行ってたのか、と言われる。できることなら、ツーリングから帰ってきた後は、2週間、自主的に自分を自宅に隔離して、万が一に備えたいくらいだった。残念ながら、弊社はテレワークが充実していないので、そういうわけにもいかなかった。
それでも、いろいろと考えた結果、やっぱり、ツーリングに行くことにした。何もしないのが最善、と言って、じっとしているのは、思考停止しているだけのような気がした。実際、私が恐れているのは、コロナに感染することよりも、ほらやっぱり、と言われることだった。恐れなければいけないのは、コロナに感染することだ。最善を尽くすなら、何もしないだけじゃなくて、コロナに感染しないでツーリングをすることに最善を尽くしたい。
自由なオイラの心は誰にも縛ることはできないのさ、などというような、バカなことを言うつもりはない。私のやっていることは、今の判断基準でいうと、程度の大小はあっても、いくらかは無責任な行動、ということになる自覚はあった。
できれば、政府の方々に、特定の個人と、15分以上1m以内に入ることがなく、言葉もほとんどしゃべらないのであれば、県外の移動も問題ない、というガイドラインを引いてもらいたいところだ。そうしたら、もう少し、気が楽になるのに。わざわざ県外まで出かけていって、そんな行動をする人はほとんどいないから、そのガイドラインは対象者がいなくて意味がない。政府の方は、そう言うだろう。

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