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リハビリが必要

スマホが、不思議な壊れ方をした。カーナビのアプリを使うと、10分くらいで、再起動する。それ以外は、何ともなかった。たぶん、ツーリングに来る前から、壊れていた。普段は、スマホのカーナビは使わないので、ツーリングに来るまで、壊れているのがわからなかった。
いつも、ツーリング中は、カーナビを起動したスマホをバックパックに入れて、音声だけ聞いて走っている。その状態で、壊れたスマホが再起動すると、当然、カーナビは止まる。何の音もせずに、ひっそりと止まる。ひっそりカーナビが止まると、どういうことになるかというと、曲がるべきところで何の案内もされないので、そのまままっすぐ走り続けることになる。何回か、それを繰り返したあと、カーナビはあきらめた。地図を頑張って覚えて、不安になったら止まって地図を見た。カーナビが使えるつもりで立てたルートは、覚えるのが難しかった。
そして、ここにきて、ちょっと道を間違えた。道が気持ちよかったので、地図も見ないで走り続けてしまった。道が気持ちよくなくなったところで、様子がおかしいことに気が付いた。地図を見たら、曲がるところを間違えたまま、20kmほど走ってしまった。
残念な自分と壊れたスマホに腹を立てつつ、残り時間を計算した。今ここにいて、花貫渓谷まで20kmで、残り時間がこれくらいで、花貫渓谷の後は、あそことあそこに行って、と頭の中で予定を組みなおした。時間に余裕がなくなるけど、行けなくはなかった。
花貫渓谷は、吊り橋から見る紅葉の景色がすばらしい、とのことなので、夏に行っても、それなりの景色しか見られない。それはわかっていた。わかっていて、20km引き返すことにした。だって、せっかく近くまで来たし、それに、間違った20kmは、気持ちのいい道だった。
さっきの大雨のせいか、吊り橋から見下ろす花貫渓谷は、茶色い濁流になっていた。ゆらゆら揺れる吊り橋よりも、濁流の方が怖かった。
花貫渓谷からひたちなか市に入って、海沿いに向かった。時間は、予定通りに余裕がなかった。体力の消耗が、思ったよりも大きかった。その時になって、20km行き過ぎて引き返したら、予定よりも40km多く走ることに、気が付いた。40kmは、長い。そんなことをグジグジと考えながら走っていたら、また道を間違えた。地図を確認した。曲がらないといけない交差点は、わかりにくかった。スマホを取り出して、カーナビを起動した。ルートを検索して、交差点のあたりを拡大した。目印は、なにもなさそうだった。その交差点は、ここからそんなに遠くなかった。これくらい短い時間なら、カーナビも動くはずだった。カーナビを起動したまま、来た道を引き返した。いくつか交差点を通りすぎたあと、ここじゃないか、と思う交差点に差し掛かった。カーナビは、沈黙したままだった。カーナビを使ってなかったら、間違って、今のところで右折していた。そう思いつつ、交差点を通り過ぎた。5分後に、様子がおかしいことに気が付いた。道路わきにバイクを止めて、バックパックからスマホを取り出した。再起動中だった。ヘルメットの中で、言葉にならない大声をあげた。ソロツーリングは、どれだけ失敗しても、自分に腹を立てるだけで済むので、やっぱり気楽だ。怒りの感情をむき出しにしても、場の空気が悪くなったりしない。
今日は、この後、大洗磯前神社に寄ってから、鹿島神宮で、鹿の絵が描いてあるお守りを買うつもりだった。この調子だと、鹿島神宮に着くのは5時前になる。社務所が閉まるまでに着けるかどうかギリギリだった。
なんだか、どうでもよくなってきた。昨日も、同じようなことをやっていた。時間を気にしながら、予定を遂行するために、行程を隙間なく詰め込んで、それに追いかけられた。昨日、これではいけない、と反省したはずだった。仕事の癖は、なかなか抜けない。リハビリのために、もっとツーリングをしないといけない。ツーリングをしないといけない、という考え方もよくない。もっと気楽にしないといけない。しないといけない、という考え方が、そもそもよくない。ああ、抜け出せない。
ここまでくると、とことん落ち込むしかなかった。大洗に向かって走りながら、ダラダラと愚痴った。だいたい、昨日も時間ばっかり気にして、志村けんの木なんて、全然落ち着いて見てないし、あんなんじゃ、無理して言った意味がないだろ。高速使ってまで何しに行ったんだ俺、とぶつくさ言ったときに、東村山一丁目に行っていないことに、気が付いた。イッチョメイッチョメ、ワ~オ。ホントにワ~オだ。痛恨のミスだ。ツーリングの計画を立てているときから、ずっと見落としていた。東村山一丁目には、たぶん何もない。何を見て、東村山一丁目とすればいいのかも、たぶんわからない。しかし、志村けんが、東村山駅の前に、志村けんの木を植えたのは、イッチョメイッチョメって言ったからだ。その地を踏まずして、何のための東村山だ。ホント、何しに行ったんだ俺は。もっと余裕をもってツーリングしていれば、志村けんの木の前で、きっと、最高のひらめきが得られたはずだ。悔しい。あー悔しい。もう急がない。俺は、もう急がないぞおうぅ。ゆっくりだ。ゆっくりするぞ。ちょっとスピードも落としてやる。ほら、見てみろ。俺は、今、ゆっくりしているぞ。俺だってな、やればできるんだよ。
海沿いの県道108は、渋滞していた。渋滞の中を進んで、大洗海洋博物館の看板を見つけた。博物館の駐車場にバイクを止めて、大洗磯前神社の鳥居を見る予定だった。そのまま、渋滞の中をゆっくりと進んだ。左側に海が見えた。その向こうに、鳥居が見えた。車の流れが止まったので、そのまま路肩に乗り上げて、バイクを止めた。時計を見た。時間は、予定通りに余裕がなかった。ここから鳥居に行けば、駐車場からの往復の時間が稼げる。頭の中には、それしかなかった。良くない、と思いつつ、歩道にバイクを止めた。小走りで、海に向かった。大洗磯前神社の鳥居は、思ったよりも小さかった。写真を撮って、鳥居を眺めた。歩道に止めたバイクが気になった。小走りで、バイクのところに戻った。志村けんの木を見たときよりも、余裕がなかった。ごめんよママ。僕は、できない子だ。
セコセコと時間を削って、鹿島神宮の駐車場にバイクを入れたのは、4時45分だった。予定通り、間に合った。急いでヘルメットを脱いだ。小走りで参道に向かった。参道の入り口に、社務所の営業時間は4時30分まで、と書いてあった。浅はかな計画を立てて、せこいツーリングをしている自分を見透かされたようで、恥ずかしくなった。
 

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