映える写真がわからない
朝7時の下灘駅には、ほとんど誰もいなかった。大きなアメリカンに乗ったカップルが1組と、若い女の人が一人。インスタ映えスポットして有名なので、土曜日の今日は、早朝でも、もっと混んでいると思っていた。
地図で見るとR378沿いに見える下灘駅は、実際は、R378から線路を挟んで南側の細い道沿いにあった。道幅は車一台分くらいで、駅の前には、車五台分くらいの、区画が分けられていない未舗装の駐車スペースがあった。駅までの細い道沿いには、民家が数軒並んでいた。
無人の小さな駅舎を抜けて、ホームに立った。いろんな人の写真で見た通り、駅にはホームしかなくて、ホームの向こうには海があって、他には何もなかった。十月末の朝7時の薄曇りの日の海は青というより黒で、空は青ではなくて薄い灰色だった。ホームは海面からかなり高いところにあって、線路の近くまで行くと、下にR378が見えた。左を見ると、海岸線に沿って緩やかにカーブを描くR378と、単線の線路が見えた。右を見ると、線路が向こう側で海沿いから逸れて見えなくなっていた。R378も、道路と線路の間の植え込みの陰になって見えなかった。景色はそれで終わりだった。それは、だいたいわかっていた。ここは、写真を撮る場所で、景色を見る場所じゃない。
小さな屋根とベンチだけのホーム越しに、海の写真を撮ってみた。何か違う。ホームの先に立って、海沿いに緩やかにカーブを描くR378と線路の写真を撮った。これはこれでよい写真だと思うけれど、思っていたのとは違う。その場で振り返って、ホームから下灘駅の駅名の看板越しに小さな駅舎の写真を撮った。これは全然違う。ホームの端まで行ってみたり、駅名の看板越しに海の写真を撮ってみたりしたけれど、どれも違った。どの写真も、全然映えてない。映える写真を甘く見ていた。
私はおじさんなので、インスタ映えスポットには、興味はない。どちらかというと、あまり良い印象もない。見える景色よりも、写真に写る景色を良いとか悪いとかいう風潮に違和感がある、というのは、考え方が古いのかもしれないけれど、若者たちの価値観を正として、それに同調しない歳を取った人の意見を、古い、と間違っているように表現することにも違和感がある。写真がきれいなだけで大騒ぎするのはどうか、とか偉そうなこと言いながら、そのきれいな写真が撮れないのだから、要するに、若者について行けないオジサンがひがんでいるだけ、ということだ。スマホは薄くて持ちにくくてシャッターボタンがないから写真が撮りにくい、と言って、デジカメを持ってツーリングをするおじさんは、やることがなくなって、ホームにたたずんだ。
左側に、カーブミラーがあった。おそらく、運転手がホームの様子を見るためのミラーだと思う。以前見たテレビ番組で、旅行が趣味だという若い女優さんが、下灘駅で撮った写真を見せていたのを思い出した。ミラー越しに下灘駅のホームと海を写した写真だった。周りの出演者が、それを見てワーワー騒いでいた。左側にあるミラーには、その時テレビで見たのとだいたい同じ景色が写っていた。このミラーの写真を撮れば、映える写真になるらしい。そこに、正解がある。でも、少し恥ずかしくて、真似できなかった。やっぱり、映える写真は難しい。
振り返ると、さっきまで駅舎の前でずっとスマホを見ていた若い女の人が、ホームのベンチの前にカバンを置いて、その上にスマホを固定しようとしていた。布のカバンは柔らかくて、スマホはうまく固定できないみたいだった。写真撮りましょうか、と、声をかけた。若い女の人は、こちらを向くと、少し浮かない表情で、ありがとうございます、と言った。スマホを受け取って、私がスマホをかまえると、彼女はベンチに座って、浮かない表情のままこちらを見た。ニコリともしなかった。私は、自分が取ろうとしている写真が、彼女が撮りたい写真になっているのかわからなくなって、これでいいですか、と聞いた。彼女は、無表情のまま、ハイ、と返事をした。私は、私なりにがんばった。でも、撮れた写真は普通の写真だった。
女の人にスマホを返すと、本当に何もやることがなくなったので、出発することにした。バイクのところに戻って、身支度を整えた。ヘルメットをかぶる前に、もう一度、下灘駅の方を見ると、さっきの若い女の人が、柔らかい布のカバンの上にスマホを立てようとしていた。インスタ映えする写真と、それが撮れる観光地と、その楽しみ方の、何もかもがわかっていないオジサンは、ヘルメットに頭を押し込んで、バイクにまたがった。
下灘駅をでて、R378を東に向かった。五分ほど走ったところで、単線の線路を走る小さな電車とすれ違った。下灘駅の方に向かって走る小さな電車を見たとき、若い女の人が駅舎の前で退屈そうにスマホを見ていた理由がわかった。私は、やっぱり何もわかっていなかった。何事も、立派な成果を出すには、熱心に取り組む必要があるのだ。何の努力もせずに、そこに行くだけで、望むものが手に入るほど、世の中は甘くない。
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