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できることと、できないこと

御釜から秋保大滝に向かう道は、のどかな道だった。一曲のうち、半分以上の歌詞がわからない鼻歌を、口ずさむというには大きな声で歌いながら、スピードを出さずにのんびりと走るのが気持ちよかった。
秋保大滝から関山大滝に向かうR48も、同じように、のどかな道だった。交通量はそれなりにあったけど、それなりの速度で流れていた。その流れに乗って、淡々と走った。スピードメーターを気にせずにしばらく走ったあと、メーターを見たら、50km/hだった。少し驚いた。
こんなに走りやすそうな道で、50km/hのペースは、以前の自分なら、我慢できなかった。車間距離を詰め気味にして走って、中央車線が白点線になると同時に、何台か追い越して、前に車がいなくなった、と思ったら、5分後に、違う車に追いついて、キリがない、と、疲れてあきらめて、15分くらいしたら、また、我慢ができなくなって、追い越す、というのを、繰り返すのが、以前の自分のはずだった。このときは、そんな気分にならなかった。
そういえば、那須高原から会津若松に向かうときに通ったR289では、他の車にずいぶん追い越された。緩やかに山を下る豪快な道なので、スピードを出したくなる道だった。他の車に抜かれたあとで、頑張ってスピードを出した。70km/h以上で走り続けるのは、踏ん張っているだけで、全然楽しくなかった。
人はこれを、老化、と呼ぶかもしれない。老化、というと、体の機能が衰えて、若いころと同じように遊べなくなった、というネガティブなイメージがあるけれど、これは、そういうのとは、ちょっと違う気がした。できていたことができなくなったのではなくて、できなかったことができるようになった、という方が、感覚的に近かった。だから、私は、これを、成長、と呼ぶことにした。

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