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雨男疑惑

「トトロの木→」という看板をたどって、田舎の道を進んだ。トトロの木は、山の中の田んぼの中にあった。正しい名前は、小杉の大杉、という。
小杉の大杉が、トトロの木、と呼ばれるようになったのは、見た目がトトロに似ているから、という単純な理由だ。でも、小杉の大杉全体が、どこから見てもトトロと同じ形をしているわけではなかった。特定の角度から見上げた時だけ、トトロの形に見えた。少しでも違う角度から見ると、トトロの気配すらしない形になった。トリックアートのようだった。
小杉の大杉が再現しているのは、トトロのシルエットだけで、サイズは全然違った。高さが10m以上あった。近くで見ると、とても立派な木だった。トトロのとんがった耳の形に見えるところが2か所あって、それがどっちも木の先端に見えたので、木が2本生えているのかと思ったら、1本の木が、枝分かれしてい、どっちもが巨大だった。
小杉の大杉は、樹齢1000年以上の大木だという。トトロの木、なんて気軽に呼んじゃっていいのかどうか、と、少し恐縮してしまうくらいの歴史がある。そういう意味では、サツキの家の近くの神社の楠の方が、小杉の大杉に近いのかもしれない。
トトロの木、という名前になったのは、樹齢1000年のうちの、最近の30年くらいだろう。たぶん、小杉の大杉は、この先も数百年はトトロの形をしていそうだけれど、トトロの木、という名前は、どれくらい通用するんだろう。

前回、笹川流れに来たときは、台風だった。テレビが、荒れた海の様子を取材にくるくらいの嵐だった。私が雨男だ、という認識が、周りに定着するきっかけになったのは、私がツーリングに来た日に、普通は日本海側に来ない台風が笹川流れまでやってきた、あの時のような気がする。
今回のツーリングは、いろいろとリベンジがあるけれど、この笹川流れもリベンジだった。海沿いの笹川流れは、道路の高さが海面に近い。台風の中を走ったときは、厳しさしかなかった。厳しさの中、歯を食いしばりながら走りつつ、もし、これが、さわやかな青空の下であれば、と想像した。想像した景色は、とても気持ちよさそうだった。
今回は、快晴、というほどではないけれど、青空が広がっていた。でも、そんなことは関係ないくらい、風が強かった。海は、道路に波が打ちあがるくらいに荒れていた。想像していたのと、ちょっと違った。青空が見えていても、前回経験したのと、ほとんど同じだった。
村上市の井筒屋で、極上豪快はらこ丼を食べた頃には、空は、薄い雲に覆われて、青空は見えなくなっていた。
村上市からは、海沿いを離れて、R290で長岡市に向かった。ここから、長岡市までは、これといった観光地はなかった。ワインディングがあるわけでもなかった。地図で見る限り、おとなしそうな普通のローカルロードだった。ツーリングは、明日で終わりだった。このルートを選んだのは、ツーリングの最後を、しっかり走って締めくくりたかったからだった。穏やかな風景の中、この一週間のツーリングをしみじみと振り返りつつ走って、疲れたら道端で休んで、景色のいいところが見つかったら長めに休む。そんなふうに、淡々と走るつもりだった。
村上市を出たときは、空は薄い雲に覆われていた。間もなく、雨が降り出した。かなりの雨量だった。のんびり走って、気が向いたらバイクを止めて休むつもりだったのに、雨のせいで、バイクを止める気にならなかった。走っているうちに、寒さが、だんだんと、体の芯の方まで浸みこんできた。のんびりとツーリングを締めくくるはずが、修行のようになっていた。
心を無にして、淡々と走った。なぜか、若かったころの、思い出したくもない嫌な記憶が、次々とわいてきた。若かったころの、無知で、独りよがりの、この上なく恥ずかしい、残念な失敗の数々。
あの時、どうして、あんなことを言ってしまったんだろう。
あの時、どうして、あの一言が言えなかったんだろう。
あの時、どうして、あんな余計なことをしてしまったんだろう。
あの時、どうして、ちゃんと向き合わないで、逃げてしまったんだろう。
雨に打たれて、バイクで走り続けながら、今更どうしようもないことを思い出して、クヨクヨした。今更クヨクヨしても仕方がないけど、他にやることもないので、そのまま、クヨクヨした。飽きるまで、クヨクヨしてみたけれど、どれだけクヨクヨしたところで、これからも、似たような失敗を繰り返すだろう。クヨクヨしながら、そう思った。残念な失敗は、失敗しているときに、今、残念なことになっている、と気が付かないから、あとで気が付いたときに、残念になる。そういうものだ。
はあ、と、ため息をついて、雨の中を、バイクで走った。どれだけクヨクヨしていても、アクセルを握っていれば、バイクは前に進んでくれた。前に進めば、いつかは、目的地にたどり着く。振り返ると残念なことだらけでも、アクセルを握って、前に進む。前に進むのに、理由はいらない。どんなときも、できることは、それくらいしかない。
 
雨男疑惑発祥の地の笹川流れでは、雨は降らなかったけれど、厳しい天気になった。そのあと、結局、大雨が降った。これは、私の問題なのか。私は、雨男なのか。
長岡に着いて、夜、食事をした居酒屋の板前さんは、冬の新潟は、天気のいい日がほとんどない、と言っていた。つまり、この時期の新潟は、この天気が普通、ということだ。だから、私は雨男ではない。
繰り返す。私は、雨男ではない。

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