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天才と努力の木道

カムイワッカ湯の滝の後は、そのまま知床峠に向かう予定だった。ダートを抜けて、舗装路に戻った後、なんだか落ち着かなかったので、知床五湖フィールドハウスで、少し休憩することにした。
結局、カムイワッカ湯の滝では、何があったのか、よくわからなかった。沢登りをして、カムイワッカの足袋の性能に感動し、外国の人に話しかけられて緊張し、熊を見て、歩み寄られてビビッて、周りが騒がしくなったので引き上げた。カムイワッカ湯の滝は、まともに見ていなかった。
知床五湖フィールドハウスは、予定に入っていなかったので、どういう施設なのか、わかっていなかった。でも、確か、ここは、30年前に来た。あのときは、ここのお土産屋で、コケモモのソフトクリームを食べた。そして、泥だらけのバイクが何台も並んでいるのを見て、カムイワッカに行くのをあきらめた。あのときも、知床五湖の遊歩道も歩いた。第一湖まで歩いて、景色があまりぱっとしないので、引き返した。そんな感じの、ぼんやりとした記憶がよみがえった。とりあえず、思い出のコケモモソフトクリームを食べて、気を落ち着けるつもりだった。
現在の知床五湖フィールドハウスは、とてもきれいで、立派な施設だった。コケモモソフトクリームを売っているような雰囲気はなかった。知床五湖の遊歩道は、ガイドツアーに参加しないと、歩けなかった。記憶の中の知床は、ここにはなかった。
現在の知床五湖は、遊歩道は自由に歩けない代わりに、高架木道という設備ができていた。ここは、自由に歩ける。木道の終わりは第一湖で、往復40分。時計を見た。3時半だった。今日は、この後、羅臼で宿泊の予定だった。木道を歩いても、暗くなるまでには着けるだろう。せっかく来たからついでに、という、これ以上ない、期待しない態度で、高架木道に入った。
言葉を失った。見えるところが、全部絶景だった。見渡す限りに続く緑の景色。その奥に、立派な山が並んでいる。反対側には、海が広がっていた。どっちを向いても、どこよりも大自然。どんな景色か、説明しようとすればするほど、素晴らしい景色をダメにしてしまいそうな気がするので、もう、何も言いません。
高架木道の下には、笹のような葉っぱが、びっしりと生えていた。おそらく、高架木道ができる前は、この笹のような葉の間をくぐるような遊歩道があったのだろう。そこからは、景色は何も見えなかったと思う。今は、高架木道があるおかげで、その草原の上に立って、この絶景を見ることができる。いったい、どこの天才が考えたのだろうか。どこの誰だかわからない天才の人に、感謝した。
高架木道の終点の、第一湖に着いた。湖の中に、鹿がいた。角が生えかけの鹿は、湖の周りの草を食べていた。鹿は、木道の上に人がいても、気にならないみたいだった。カメラを向けても、物音を立てても、関係なく、のんびりと草を食べていた。高架木道には、野生の動物との距離が近くなる効果もあるらしい。天才の人は、つくづく天才だ。感心するしかない。さっき、せっかく来たからついでに、とか言っていた奴は、ちゃんと謝らなければいけない。どうもすみません。北海道で、一番良い景色が見られた。カムイワッカのドタバタも、すっかりかすんでしまった。
第一湖からの帰り道は、絶景に圧倒されて、少し疲れてしまった。ゆっくりと、高架木道を歩いた。手すりのところに、小さな写真が展示されているのに気が付いた。小学校の運動場のようなところに、不自然に横たわる熊の写真。隣には、無責任な観光客から、ソーセージをもらってしまって、人間に慣れて、人間に近づきすぎてしまった、悲しい熊の物語が、書いてあった。
30年前は自由に散策できた、ここではないどこかの知床五湖。
熊が出たのに、いなくなったら、速やかに立入禁止が解除された、カムイワッカ湯の滝。
どこかの天才がひらめいた、と思っていた高架木道が、知床の自然を守ったまま、観光も楽しんでほしい、という、地元の人の気持ちが、具現化したものに見えた。ひらめきではなく、頑張って考えたからたどり着いた、必然の答え。高架木道から見える自然は素晴らしいけれど、人間だって、頑張っている。
勝手な想像だけど、なんか、元気出た。

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