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「ホモデウス」のハラリ氏は「エモデウス」

やっと友だちに借りたホモデウス読み終える。


正直、読みにくくてモチベーション維持に苦労した。訳者さんの文章力の問題?でも訳者さんの「後書き」はとてもわかりやすくていいし。
てことはハラリさんの原文のせいなの?

あ、先に言っておく。
本をディスりたいのではない。
むしろ、本書を読んだ人には、あらたな気づきを提供できるかもしれない。


はなしをもどす。
みなさんどんな感想なのか。
Amazonレビュー見てもnoteみてみた。うーん、あまり感想にしっくりこない。悪口じゃない。わたしとぜんぜん読み方が違う。なんだこれは。
みんな、何にインスパイアされて、こんなに読みにくい本、売れているのだろう?

というのは、結論から言うと、
神智学の「アカシックレコード」の概念を知ってる人には、(人智学ではシュタイナーも使った概念)、
なにをそんな回りくどくアカシックレコードの話しをしているんだろうか??と思うだろうなぁと。

※アカシックレコードについて初耳なかたは、これを機会にググってみてほしい。
インターネットは何故できたか、何を目指しているのか、パラダイムシフトがおきるかもしれない。


しかも、世知辛い世の中について、それをいっちぁおしめぇよ的なことを、ミもフタもない言葉で飾りつけブチマケながら、そしてたたみかけるように、肯定文を使いながらたっぷりと「皮肉って」みせるように映るのだ。
めっちゃネガティブに、危機感煽るように。
一部のホモデウスが支配するよ、はい、負け犬たち、あがいても無駄よ。動物よりは知性ある家畜になんなさいねー。みたいな。

静かにめちゃめちゃ「エモい」。


そして「〇〇ではない。」の連射。
まるで追い詰めているかのように、“ない”の否定形、ネガティブな話しが永遠と続く。

おいハラリっち、ストレスたまってんなー、キレてんなー、飲みつきあおか?
それともオマエはサイコパスか?と思うほど。
(わたしがそう感じただけ。あしからず。)

歳は四つ下、弟と同い年である。
このハラリっち、サピエンス全史以前は目立った功績もない。
いったい、どんな人なんだろう?なぜこんな本を?そしてみんな、どこに感銘を受けたの?

ホモデウス上巻後半からのこの得も言われぬぶっ込み情動派文脈がひっかかり、なんでこんな書きかたすんだ?いったい、何が言いたいことの本質なんだ?と思い、彼の人生の謎に迫ってみた(ググっただけ😂)。

ほほう。。。
すまんハラリっち、キミのパーソナルをぜんぜん知らずに読んでいたよ。なるほどね。

まず、
テクノ至上、データ至上といった言葉を嫌と言うほど登場させ、何でも数値化できる、としながらも、下巻の、「右脳と左脳が電気信号でコントロールできるほど単純であり、自我など虚構である」的なあたりには、正直“イラッ”とした。松果体なんのためにあんのか言ってみやがれなさい!と。
だがリアルでは、なんと彼自身はヴィパッサナー瞑想により彼なりの覚醒をしたそうだ。完全に知っている。

次に、
動物に世界を見せず家畜化し完全に支配した、家畜も農作物もアルゴリズムでしかない、(次のアルゴリズム化はニンゲンの番)などといった、冷たいことを気持ちも込めずサラッと書くが、リアルでは、なんと彼はヴィーガンであり動物愛護者であった。
ヴィーガンとは、ファッションベジタリアンではなく、完全なる菜食主義者だ。ダシにカツオが入っててもダメ。わたしには到底できない。

そして、
「性のテクニックもセンサーやデータ化してしまえば、合う人の順位も数値化できるしアンドロイドに真似させればいい」、などとハチャメチャサバサバ系。まるでモテない男、異性と愛し合えた経験ないのか?!・・と思ったら、なんと彼の“夫”はマネージャーとして謝辞にも名前が出てきて、「その通り」で言葉を失う。
小学生のころは、異性を好きになると信じ切っていたそうだ。しかし現実は違った。理解されない辛い時期もすごしたそう。

そういった彼のマイノリティなバックヤードが、本書を書かせたんだなと確信した。

激エモいじゃないか!もらい泣き。


オカルト的にネガティブな危機感をニオわせながら、
皮肉という人が寄り付く香辛料をたっぷりかけた衝撃的な物言いで、
「〇〇したくば△△すればよい。」と言うことを様々いうのだ。しかしそれはつまり、△△には注意せよ流されず自分で考えろ、といっている、まるで真逆。

結果、
データ至上主義だろうがホモデウスなる神の代理人が登場しようが、
更なる二極化がすすもうが、
「科学と信仰の融和」は、
インターネットテクノロジー上で加速する!
いまはみんなネットでトライアル、リハーサル期間!
そろそろ本番来るよー!
心せよ!Are you Ready?

てか、お願いだから、早く気づいてよ!行動してよ!もう待てないわ!はやくこの気持ちを、見せかけの自由という呪縛から解放してくれ!
と言いたいのだろうと思う。

鬼エモ。
冷静に見せかけながら実はカミエモン

それを彼は、このたった二冊で、
単語として「アカシックレコード」も「ヴィーガン」も「スピリチュアル」も「ワンネス」も「覚醒」も使わずに、
それらの言葉を知らない大多数の大衆にたいして、「よろこべー!シフトが始まってるぞー!」でも、「データ至上主義に引きずり込まれないように細心の注意をすべし!」ってことを、知らせたかったのだろう。

それらの言葉を書き並べた瞬間、ベストセラー等ほどとおく、オカルト本、アヤシイ、アブナイ、宗教かも、扱いとなるからだ。
彼の精神性レベルのままアウトプットされては、おそらくあらかたの平均的常識人には、何言ってるかぜんぜんわからないかも知れない。

つまりこの本は、「作戦」であり「仕掛け」だ!やるなハラリん。

だとしたら、ウルトラ凄い人。
いや、ありのままの彼を、わかりにくい言葉を避けて全てぶつけた、場合によっては、涙ぐみながら、彼の全てを出し切ったのかもしれない。

つまり彼は、「エモデウス」。
ホモデウスは無理そうだが、エモデウスならわたしも目指せそうだ。ハラリんのエモーショナルに感謝。



※こういう着眼点の感想かいたのはわたしが見た限り他にはいないんだが、ハラリくんに聞いて、「おー!ビンゴ!よくわかったね!そんなかんじ!」って言われる自信は、そこそこある。
「あなたはサイコパスか?クレイジー。」と言われる自信も同じくらいある😂


※ホモデウスをパワポにまとめ上げたぶっ飛んでるnoteもご参考まで。
https://note.mu/nogacchi/n/n0a09f10fa38e

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