稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――⑱
前回は上から。
18. 茶番を続けて、春公演へ
・芝居後の茶番
前回『クロイツェル・ソナタ』について熱く書いたが、だいぶ前の記事でも既にちょっと触れていた。数が多くなってきたので、内容が多少ダブりやすくなってきている。とはいえ、偶々私の記事を読んだ人が他の全部の記事を読むとも思えないから、ちょっと位話がダブってもいいかなーとは感じている。全部読んでくださっている奇特な方がいれば、ちょっと申し訳ないが、余程強調したい出来事なんだな、とモラくない温かい心で受け止めて欲しい。
さて、ついに辛かった本公演が終わり、ある種のカタルシスで前向きな気持ちを多少は抱くことのできた私だったが、私と稲田の関係も、所詮茶番だった。稲田自身も、表向き体裁を取り繕ってはいるけれども、本当に暖かい結びつきはもうありえないことを感じ取っていたのかも知れない。
一年生の時、私にとっては初の舞台だった時のことをこの連載の最初の方で書いたが、その時、私と稲田はまだ付き合っていなかったが、カラオケで皆と夜を明かした後、二人で大学から私の家まで一緒に歩いて帰った。そして、約束していたわけではないが、なんとなく、それをもう一度、とっくに色あせてしまった何かを修復しようとするように私たちは繰り返した。でも、その夜は、雨が降っていて物凄く寒く、どうしても楽しい道のりにはならなかった。何となく、二人の間にも隙間風が吹いているようでもあった。多分、互いにそれを感じ取りながらも、どうにか表に出さずにいたのだが、稲田はそんなにこらえ性がなかった。
道も後半に差し掛かった時、陰気な顔をしていた稲田が突然こう言った。
「死にたい」
まあ、今なら、この時稲田が死んでいたら良かったなーと心の底からそれはもう本気で思うし、綺麗に自ら散ってくれていれば、私も多少彼の思い出を美化して今も、繊細な人だったとか誰にも触れられない深淵を抱えていたとかありもしない幻想を膨らませていたかも知れないのだが、死にたいといった彼の心情を少しだけ慮ってみよう。彼のことを散々悪く書いておいて何だが、稲田は真正の悪人というわけでもなく、彼を多少擁護した人の言葉を借りれば「弱い人」に過ぎないのだ――しかし、弱いからといって、自分より弱そうな相手を見つけて支配しようとしたり、搾取するのは論外で、擁護する人は所詮他人事だから当たり障りの良いことを言うだけだと思うが。
彼がこの時「死にたい」と言ったのは、もう何もかもが手詰まりで、覆水盆に返らず、以前と同じように芝居の後で一緒に帰ってみても私との間柄は再び温かくならないし、もう彼のモラトリアム期間は終わり、現実に入っていくしかないところまで来てしまったとか、逃げ道のない苦しみからだったのだろうと私は解釈している。ただ、それを言われた所で、私に出来ることは何一つないし、あったとしても、私が何かしてあげるべきところではない。いい加減、彼は自分の足で立って歩かねばならない段階だったのだが、彼はそういうことができなかった。私と別れた後は否が応でもそうするしかなかったのだろうから、無事就職もしたわけだが(既に書いている通り、ロシアで結婚した後仕事をやめて帰ってきたので、今何の仕事をしているのかは知らない)、一ミリの望みもない上級公務員試験への望みをちらつかせて、どうにか、養う気概のある男であるという仕草を続けていたのも、逆に一種の逃げだったのではないかと思う。絶対に出来ない高い目標に向かって頑張れば、負けてもそんなに無様ではないと思ったのかも知れない。しかし、そもそも私は養ってほしいと思っていなかったどころか、結婚自体真面目に考えたことのない女だったというのは、彼にとっては誤算だっただろう。彼の世界には結婚したくない男女など存在していなかったのだろうから。結婚は最大の幸福であり、男のプライドを保証する到達点だと彼は恐らく思っているから、後々書くけれども、妻を獲得したその年、突然アクティブにOB業に勤しんで夫妻で現れるということをやったのだと思う(それまでは音沙汰なしだった)。
長々と書いたが、要は、あまりにも足元がおぼつかなく、心もとない稲田の吐き出した掛け値なしの本音が――その勇気はなかったにせよ――「死にたい」だったのである。
ともあれ、そんなことを言われても、私の気分は「めんどくさいなあ、でも慰めないと」であって、多分その場でなんとか元気づけようと色々言ったとは思うのだが、寒いし早く帰りたいという気持ちの方をよく覚えている。彼も、ひょっとすると少しは嗅ぎ取っていたから、敢えてノロノロ歩くなどしていたのかも知れない。私が、自分の時間をもっと取りたいとか自分のことをもっとやりたいということを遠巻きに示したことはあるのだが、あまり尊重してもらった記憶がない。
本当なら、そろそろお別れの時期だったはずだ――しかし、まだ別れは訪れなかった。
芝居が終わって、今度こそ次の芝居、私にとってはそれが本命なのだが、いよいよ春公演を目指して動かなければならなかったからだ。これが終わらなければ、前に進めない。私はそう信じていた。
今思うと、これさえ終われば、稲田とはお別れしても良いという潜在意識がないこともなかったのかも知れないのだが……。ちょっとそうとも言い切れない部分もある。
本公演が終わる頃、稲田は下宿を引き払う手はずになっていた。私は下宿生活をしたことがないので、一般的な下宿に疎いけれども、少なくとも卒業が先延ばしになった延長生で下宿する人というのは少ないのではないだろうか?稲田の場合、大学に入ってすぐは下宿生活で、私と知り合った頃は熊谷の実家からの通いだったが、単位が圧倒的に足りないのと埼京線のラッシュアワーに耐えられないのとで、中野にある風呂なしアパートに再度下宿していた。その終わりに、後輩たち(男子のみ)を招いて手巻き寿司パーティーをやろう!ということになったのだが(彼がよく家族でやるといっていて、それやってみたいねーと私が言ったのである)、私はなんでそれをやりたがったのかよく分からない。多分、青春っぽいことがやりたかったのに加え、思い出を作り上げていけば、再び愛が燃え上がるような気がしていたのだと思う。当時は、彼を愛そう、愛が消えないようにしよう、という方向をまだ辛うじて向いていたのだろう――愛が消えてしまったら、一緒に芝居をやるモチベーションも消えてしまうのだから。
・戯曲探し
ついに、ついに、念願の春公演にとりかかれる――のだが、精神的に疲れ切っていた上に、この時ははっきりと自覚していなかったというか、既に稲田とひと悶着の際にぶつけた「最初に一緒に公演をやりたいと二人とも思っていたはずの、元々の衝動はもう存在しておらず、ただ満たされなかった欠落感を満たしたいだけなのではないか」と自分で分析した気持ちこそ、売り言葉に買い言葉でもなんでもなく真実でしかなかったのだから、本当はそんなに大きなエネルギーは持ち合わせていなかった。それでも私が完遂することに拘ったのは、今となっては、稲田から解放されるためだったのではないのかとさえ感じられる。何より、稲田の「やってあげる感」を終始薄らと感じていたから、「私だけがやりたいみたいだ」と思う度その感情を打ち消そうとしたが、現実は現実である。
なぜ、やってあげる感を嗅ぎ取らざるを得なかったかの根拠はある。まず、戯曲を決めなければお話にならないのだが、どういうわけか、私だけが戯曲を探すことになってしまっていたのだ。彼がどういう表現を使ったのかは忘れてしまったが、兎に角、私たちが行うのにふさわしい芝居を私が探すように言われていて、稲田は何もせず、私より大学に長々といて沢山作品を知っているはずなのに、卒論の準備もしなくてはいけないのに私だけが急遽色々と読んで、これはどうだろう?と思って稲田に見せに行ったチャペックの戯曲を一目見るや、このことは前の記事にも書いているが、稲田はふんぞり返って「俺、チャペックなんかやらないよ!」と世界的大作家を上回る大演出家先生に転生してしまった。なんで私だけが探さなければならないの!という気持ちがないわけではなかったのだが、その気持ちは押し殺した。だって、不満があっても、その都度立ち止まっていたら準備が間に合わないし、兎に角何がなんでも劇はやってしまわねば、私の苦しみは終わらないと感じたからだ。さながら、無自覚ではあったがどうにか貰えるものだけは貰って離婚することを思い描きながら笑顔で夫の機嫌を取り続ける妻の如くである。終わりたくて仕方がなかったが、自分自身をも騙して楽しげに、まるでこの芝居が終わったら二人での生活に入るかのように愛らしく振る舞っていたような気がしないでもない。(とはいえ、ここでも以前書いた記事の通り、不遜にも返礼をしないままアホみたいに手作りチョコを期待していたクズ男へのバレンタインデーで手抜きをして、主張するべき点は主張するなどはした)
とはいえ、なんだかんだあって、戯曲はロシア象徴主義の中では人気のあるアレクサンドル・ブロークの『見知らぬ女』に決まった。これも私が借りてきた戯曲集を稲田に見せているときのことだったが、稲田がそのタイトルを気に入ったのである。要は女のテーマが好きなのだろう。高尚ぶったり文学者ぶったりするが、女を所持していたいし、女のテーマを語れる人間でいたいのだろう。
……ちょっと悪意の色眼鏡で見過ぎたかも知れない。仕切り直して、何かと女のテーマを好んで語りたがった彼のチョイスについて、もうちょっと好意的に見てみよう。周囲に善人だと思われようとする女性を「業の深い女」と呼んだり、「この女と結婚してやるよ!」と、結婚って美味しいの?状態の私に向かって啖呵を切る彼が、全然知らないブロークの『見知らぬ女』に惹かれた理由は、なんとなく主人公が詩人で、例によって、自分を重ねたくなるような夢想的な人物が、罪もなく無邪気に、生身の存在に過ぎない現実の女性を美化して聖女に仕立ててしまうというモチーフが気に入ったからではあると思う。しかし、現実は逆で、私こそが、長らく彼を単なるありふれたオスではない一門の人物だと見なすために無駄にあがいていて、彼は、私に生身の女(※ただしミューズにも世話焼きなお母さんにもおバカな妹にもなれる笑)以外本当には求めていなかったのだが、彼自身が自分を大それた人物だと思いたいばかりに、現実の図式から目を背けていたのだと思う。ブロークも随分、自分の妻を妙に理想化したり美化したりすることによって彼女を苦しめ、自分も幻滅するようなことを経験したようだが、芸術家として彼はそういう部分を客観化し、美的に昇華することが出来た。
一応、断っておくと、ブロークの戯曲をやれたのはとても良かったと思っている。が、どうせなら、自分で演出してみたかったと思わなくもない。どうせ私があれこれ仕事をしたのだから、全部自分でやっても同じことだったように思えるし、稲田に適当な役があると判断すれば頼んだかも知れないし、他の人に頼んでも別に良かった。稲田とやることに拘らず、ブロークの美しい文体、皮肉に満ちながらも繊細な世界を表現できることを楽しむほうに力を傾けるべきだった。勿論、それも頑張ったのだが、稲田も私もあまりにナイーヴであったから、そこに表現されているブロークの絶望感みたいなものにあまり触れることができなかったように思う。だが、とにかく、芝居は決まった。あとは人だ。
その協力者を探すのも私だけの仕事だった。金になる芝居ではないからこれはなかなか大変なのだが、サークル団員だけではなく、できれば外部の他人の手も借りたいと稲田は言ったのだが、その時私をどう利用したのかについても少し書こう。当時、ロシアからメイエルホリドの「ビオメハニカ」(説明はめんどくさいのでググッてください!)を受け継ぐ演出家が来日しており、私はその人のワークショップの参加権を得た。そこで、俳優をやってくれる人を私が探して、頭下げて頼んでくるということになったのである。(その人は演技力も雰囲気もあり、親切な役者さんで、喜んで参加してくれたし、共演できたのはよかったが、本当なら稲田からも頼まなければならなかったはずだが、彼は頭を下げるような仕事は他人にやらせたい質だった)あとは、稲田に割と懐いていた劇団の後輩たちに力を貸してもらうことになった。正体を知らない内は、彼が良い先輩に見えるものである。へたをすると、団員を使うこと自体に顧問のN先生が反対するかも知れないという懸念があったといえばあったが、稲田によれば、私と芝居をやることを伝えた時、N先生は「ソラリスのためにやるのね」と特に批判もせずやらせる感じだったということなのだが、なぜそれを私にわざわざ伝えたのかはよくわからない。私は、私の為にやってほしいのではなく、お互いに望んで自発的に芝居をやりたいのでなくては納得できないのだが、どうもその感情は最後まで伝わっていなかった、あるいは自己犠牲を神聖視する稲田にとっては「君の為にやってあげる」こそ最上の愛情表現だと思ったのかも知れない。私にはどうも理解できないが、元来考え方がかけ離れているだけで、この点では稲田にそこまで罪はないのかも知れない。私にとっては同じ方向を向いていれば、自己犠牲的な気持ちとか、義理立てとか、そういうのは余計なものだと思ってしまうのだが。
ともあれ、色々な蟠りを残しつつ、万年大学生の如くであった稲田がついに大学を卒業する三月に公演の期間を定めて、準備は進められることになる。私もこの時は若かったし、兎に角変わったことがやりたいという欲求もあり、場所を不便な八王子の某セミナーハウス(サークルでどうせ合宿があるから、時期を合わせることにより内輪の観客を確保できる)にある野外舞台のようなところがよさそうだったのでそこに決めてしまったが、大学近くで練習するにせよ、現地で練習するにせよ寒いし、現地の場合は交通費もバカにならないし、今思えばリソースを本当に惜しまなかった点で私もちょっとした死に急ぎ野郎な気がしてくる。一方、ブロークの芝居の舞台としては、へたに屋内であれこれ舞台を作るより、寒々とした屋外のほうが確かにふさわしかったのかも知れない。
今となってアレなのだが、もっともっと演技も文学も勉強して、私が演出してみたかったなーとちょっぴり思ってしまう――私が演出を最初で最後に経験するのは、この一年後のことになるのだが、稲田との関わりはその頃まで続く。
★次からはこの芝居後、大学生でなくなった稲田に対し、四年生となって卒論などで多忙だった私が、「モラハラ」という概念がなかったためにそれとは気づかないまま疲れをため込みつつも彼がいないことの楽さに気付いてしまい、別れに向かっていく過程をしっかり綴っていきたいと思います。
この経験からですが、交際中にせよ婚姻関係にせよ、相手の言動に疑問を覚えたら「物理的に」距離を置くことがとてもとても大切なのだと私は信じていますし、話し合おうとかウダウダ言ってないで兎に角なんでもいいから一旦離れて、頭の中の霧が晴れるまで離れ続けていることが重要だと断言します。
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