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稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――⑪

前回はこちら。

11. モラとイベント

 交際相手がいる場合、季節のイベントには色々な形で巻き込まれる。商戦に乗せられていることは自明だが、何も言わずしてバレンタインデーだのクリスマスだのをスルーできる人はあまりいないだろうし、大体は、そういうものは一緒に楽しむべきものということになっているのだろう。

・重複問題
 さて、私は所謂というほどお金と時間をかけているかは微妙だが、小学生からバンギャである。「卒業」とかいう人がいるが、バンドマンも仕事であり、彼らの生み出す音楽が趣味と合わなくなったとか、結婚して生活が変わるからとか色々な理由で「好き」をやめるのは勝手だけれども、「卒業」とかいうやつは、お前何様なの?と思っている。私も、中高生の時ほどの熱量傾けられないのが実情ではある。やらなければならないことがいっぱいで、ゆっくり好きな曲を聴く時間もあまりとれない。昔のようには気力を費やせないけれど、それでも穏やかに「好き」を続けている。私にとって、好きなバンドのライブに行くことはとても大切なことだった(今はコロナでそういうのもなくなりつつあるが、いつかはまた行くだろう)。
 なぜいきなりバンドの話をするかというと、バンギャでなくとも好きなミュージシャンがいる人は結構わかるのではないかと思うが、クリスマスとか、年末年始などのイベント毎に合わせてライブが予定されていることが多いからだ。要は、パンピ()の恋人が出来てしまうと、俗っぽいことには関心がないという人なら話は別だが(私は今や、バレンタインに手作りのチョコがほしい…みたいなのはもう無理である)あちらにしてみれば、そういう日は恋人で過ごすものと思い込んでいることが多く、先回りして理解を得なければならなかったりするし、結局理解が得られない場合もありうる。稲田には、付き合う前から私のバンギャっぷりを曝け出していたし、稲田自身が「俺嫉妬心とかない」と交際初期に大嘘ぶっこいてたので(まあ、当人も最初は本気でそう思っていたのだろう)、私がバンドに熱をあげていることが問題になってくるとは思っていなかったのだが、稲田にしてみれば、後輩兼友人の内は気にならなかったことでも、自分の所有物であるはずの女が「キリトー!!」(※漫画の人じゃないよ)とか言っているのは段々面白くなくなってきたのだろうし、まあ無理もないといえなくもない。実際、稲田よりヴィジュアル系バンドマンのほうが全員かっこいいし、それなりに売れているバンドなら、将来がかなり暗い稲田に比べて社会的に成功者であるといえる。でも、私は稲田の外見が好きになったから付き合ったのではなく、一緒にいて話題が弾むとか、彼に独創性があるような錯覚を起こしたから敬慕の情を抱いたのであり、私のバンド愛はもはや宗教みたいなものだったから、キリスト教圏の女性に「夫とキリストどっちが大事なんだ?!」と詰る人はいないと思うけれど、私に二択を選ぶのはそういう愚問だったのである。(まあ、夫にもよるけど、キリストのほうが大切な気もする…)
 そんなこんなで、旅行の時にもお金のことで私のバンド愛が問題になった訳だが、私のバンド好きは彼にとっては、決して受け入れられない類の趣味というわけでもない一方、「何よりも優先されるべき彼氏」という自負が恐らくあったのであろう彼にとっては、次第に認めたくないものになっていったのだと思う。稲田の名誉のためにというわけではないが、最初は、彼は私の趣味を面白がってくれて、尊重してくれていた。交際前の話だが、PIERROTとPlastic TreeのDVDを貸したらすぐに見てくれて、色々と感想を言ってくれたりしたし、交際序盤では、私がライブ会場から興奮したメールを送ると、楽しめるように心温まる返信をくれていたりした。こういうところで、私は、彼を、ヴィジュアル系などに偏見を持つ世のつまらない男どもとは違うのだと考えもしただろうし、優しくて素敵な人だと確信を深めていった。多分だが、稲田自身、人一倍強い支配欲や嫉妬心が自分の内側に隠れていることを自覚していなかったのではないだろうか。バンド狂いの彼女が出来たのは初めてのことだったろうし、特に恋人にとってカリスマとなっている男性アーティストがセクシーで、自分より才能も魅力も上とあれば、色々と卑屈になるのは分からなくもない――でも、そこは自分で感情を整理し、コントロールしなければならない所だ。罪悪感を抱かせて、恋人にとってとても大事なものよりも自分を優先させようとする行為には、結局のところ、恋人は自分のために自己犠牲を払いつくすべきだ!という危うい信仰が隠れている。(勿論、好きなバンドやアイドルがいて、そのために恋人をあまりにも邪険にするのは良くないが、飽く迄も一般的な度合いを前提とした話である)
 兎も角、段々と露見してきたというべきなのか、発生してきたというべきなのか、彼の恋愛至上主義的な信仰とは両立しない、私の信仰に対する嫉妬心も、演劇の問題と並行して私と彼の間をぎくしゃくさせた。
 とはいえ、稲田も彼なりに悩みに悩み抜いて、解決策を見出そうとしていた。私は、彼に理解してほしいと思う反面、強要もできないし、かといって彼の為に私の信仰を擲つ気もなく、何もできずにいた。そんなある日、彼はもの思わしげな横顔で、ゆっくりと、だけれど突然次のように言った。

俺……特別な日と、ソラリスの行きたいライヴが重なったら……一緒にライヴ行くよ

 この言葉に対して、私の反応はなんだか複雑な感じだったと思う。うまく説明できないが、うれしいと思うのと、いやいや結構です……という気持ちの両方が混在していた。確かに、譲歩してくれたことへの喜びもあり、その場で私は笑って礼を言ったような覚えがある。でも、何かモヤモヤが残っていた。優しい彼氏さんじゃないか、と思う人もいるだろう。確かに、優しいことには優しい。でも、考えてみて欲しい。普段接している世界、日常から離れて、狂乱とでも陶酔とでも、何なら衒学ぶってディオニュソス的といっても良いけれど、ともかく日常から離れて楽しむのがライヴだ。とりわけ、ヴィジュアル系なんかはそうだと思うが、祝祭的な性格が極めて強いそういう場で、シラフの恋人が隣にいたら、私にとってライヴは本来の魅力を大いに失ってしまう。そこまで彼に考える義務はなかったかも知れないが、私は好きなようにヘドバンして、好きにアーティストの名前を叫び、拳を振り上げ、好きな時に泣きたい。変わり果てた恋人の狂乱っぷりにドン引きする視線を受けるか、そうまでいかずともとにかく彼に気を遣ってしまい、萎縮するのは必至である。半ば本気、半ばありえないことと分かっていて言った可能性もあるが、私が言いたいのは、そういうところではない。優しい気遣い、二人の関係を改善したいという気持ちを否定はしないけれど、問題はそこじゃないのだ。
 大事な人間――ここでは私だが、恋人でもなんでもいい。その個人の自由、その個人の時間、その人がその人であるための全て――それらを尊重し、自分が常に影響を与えていたいという欲望を捨てることができる人間でなかったら、誰かと親密になる権利なんてないのだ。常に自分といてほしい、自分を中心に据えていてほしいというのは単純にエゴイズムで、そのために、相手が好きなことをするのに罪悪感を感じさせるようなことがあるのならば、どんなに相手を愛していようが、もう立派なモラハラである。

・バレンタインデーとホワイトデー

 このくだらないイベントに、かつては随分振り回されたものだ。中学生位の時に、顔はなかなかに格好良い男子がいて、取り敢えず恋をしてみたいと思っていたからその人を好きになることにして、そうしたら女の子全員が私の好きな人を知っている感じになってしまい、別に盛り上がりたくなどなかったのに告白の場を設けられてしまって、やる気のないまま告白して玉砕したりなんだか義務感にかられてチョコレートを拵えたり、本当にアホなことをした。なんていうか、二次創作とかで好きなカップリングのネタとしては嫌いではないが、リアルでは、商戦として成立しなくなってしまえばいいと思う。そんなにチョコが欲しければ、好きなチョコレートを一緒に食べにいったり、なんなら一緒に菓子作りでもやればいいではないか。

 とかなんとか尤もらしい気持ちを書いたが、まあ、稲田との間でもこれでひと悶着あり、それもあって、今や私はバレンタインときくと顔を顰めてしまう人間になったのかも知れない。兎に角、私は大学生になるまで恋愛をしたことがなく、誰かと両想いになって恋人っぽいイベントを経験してみたいという気持ちがあったから、稲田と付き合いだした翌月がもうバレンタインだったので、それに乗らない手はないように思えたのだ。本当は柄でもないのに、無印良〇のキットを買って、カップケーキみたいななんかよくわからないのを作った。あんなものより、ブルボンのチョコを普通に買って食べた方が絶対に美味しいはずだが、手作りというのは「自分のために手間暇かけてくれた」という意味合いで相手の自尊心をコチョコチョする訳なので、女が自分の奴隷根性をアピールするという意味合いでは正しい選択である。奴隷になりたいならだけどな
 兎に角、寒々としたその晩、私の家の近くの静かな通りで、紙袋を持ったままの私と稲田はなんだか色々と話していた。この時が、確か、稲田はなんだか自己陶酔状態で「俺、そんなにいい彼氏じゃないかも知れない……」と突如ワルい男アピールをしてきた夜だったと思う。「俺が傷つけてしまった女性たち」が幸せになっているといいとか、なんとか、まるでモテ男のような口をきいていたが、基本的に彼はフラれる側であり、モテるがゆえに女性たちを傷つけている訳ではない。正直、イケメンでスタイル抜群、仕事もできちゃうという男なら調子に乗ってしまうのも仕方ないと思うが、イケメンどころかどっちかといえば顔の作りは優しく言って中の下、背は高いがモデル体型というわけでもなし、大学六年生(当時)で、どこに自己陶酔する要素があったのか分からないが、ボードレール気取りで「酔いたまえ!」とでもいう気分だったのだろうか。勿論、そのダサい有様に一瞬で我に返らなかった私の愚かさについては重々自覚しているので、そっとしておいてほしい。
 話を戻すと、そんな稲田のターンが終わった後、前の彼女だのなんだのの話をされた後だというのに、奴隷だってもうちょっと自尊心があると思うのだが、私は懇切丁寧に優しくチョコレートを渡し、稲田は驚いていた。バレンタインだという認識はなかったらしい。本当かね?と思うが、一応この時は、前の彼女の話だの色々してしまった後でなんだか申し訳ないという感情が沸いたらしい。兎に角、すごく喜んでくれて、お礼を沢山言われた。こんなに喜んでくれるのなら、とやりがいを感じた。翌月には、全然私の好みではなかったが、とある作家が文学作品に沿った絵を描いた本をお返しにくれた(好みではなかったから、そこまで嬉しかった訳ではないが、気持ちだけは嬉しかった)。要するに、この時のバレンタインデーは決して悲惨ではなかった。コミュニケーションが成立していなかったわけではないのだ。悲惨だったのは、その次からだ。悲惨になるの、早いな……!
 私が三年生になる直前の冬、その時も手作りで、なんやかんやで結構お金がかかったが、チョコレートを稲田にくれてやった。その時も稲田は大仰に喜んでくれたけれども、翌月には見事にホワイトデーの存在を忘れていて、私も、お返しが目当てと思われるのも嫌で(事実、お返しが目当てなのではなく、お互いの気持ちが均衡に向き合っていることの確認なのだと思う)催促をしなかった。代わりに、私の心の奥底には、私だけが尽くしていて、彼の方ではそれを当たり前だと思っているのだという疑いが滓のようになって沈んでいたのだが。
 その滓が再び浮かび上がってくるのは翌年である。その年には、また別稿で書くけれども、最後に、ついに「春公演」を稲田とやることになって、その練習に勤しんでいた。兎に角演劇についての話題は、かなり複雑になるのでここでは詳細を割愛するが、私は、これで漸くあの果たされなかった悲しみが癒されるのだと思い、無我夢中で、救われたい一心で稲田と二人三脚のつもりで走っていた。実際には、それは救いにはならなかったが、ともかく、バレンタインはその時期に重なった――そして、私は、ホワイトデーをすっぽかされたことを覚えていて、かといって文句も言わなかった手前、ないことも出来ず、とても気が進まない中で致し方なく、稲田が家にきたその日に、前日に高〇屋で安売りしていたチョコレートを購入してあったのでそれを義務感たっぷりに渡した。稲田は納得いかない様子で、礼も言わず、なにこれ?という感情を隠さなかったのだが……。

 テメー、貰えるだけでも有難いと思えよクソが!!……というのがあの時の彼に対する最も妥当な言葉であろう。しかし、稲田からすると、私が汗水垂らして必死こいて時間と手間をたっぷり消費して尽くした感のある代物を貰わなければ、自尊心が満たされない。そういうつまらない男なのだ。兎に角、釈然としない様子の彼に、いよいよ説明する時がきたと私は理解し、仕方がないので奴でも理解できるように話をしてやることにした。
 まず、私は去年頑張ったつもりだが、あなたは忘れてしまったらしく、お返しを貰っていない……と告げると、稲田は顔色を変えて、こう言った。
あげてないわけ、ある?!
 大アリだわ。どんな記憶力してるんだよテメー、そのでかい頭は飾りか、ああ?!と言いたいが後の祭り。あげてもいない贈り物をあげたつもりでいたので、流石の私も色々慣れてきていたのか、冷めた調子で言い返すことができた。
「じゃあ、私に何をくれたか、思い出せる?」と冷静に尋ねると、彼は言葉に詰まった。モラは言い返されるとこんなものだ。いきあたりばったりに自分の都合の良いようにしゃべっているだけだから、此方がきちんと論理を示せばチョロいものである。
 やがて、彼は作戦を変えた。確かにお返しをあげていないことを認め、しょんぼりとすると、三男坊の稲田は甘えたモードで許されようと試み始めた。肩を竦め、「でも俺、本当に、とっても楽しみにしていたの……」と、30歳も遠くない男が可愛いぶって言い始める。私は、この時彼をカワイイと思った訳はない。しかし、厳しく問い詰める気も起きず、なんというか、もう面倒になっていたのだと思うが、兎に角この話はこれでお終いという方向にもっていった気がするし、二度とバレンタインデーのチョコなど作るまいと心に決めたのだ。実際、その決意を実行するまでもなく稲田のことは次のバレンタインデーを待たずに捨てたからよかったけれど。確か、あとで稲田はなにか埋め合わせにくれた気はするのだが、それが何だったか思い出せないし、私の稲田に対する興味がどんどん失せていっていたことを思うと、これからも思い出せないだろう。

 バレンタインデーだのなんだの、そのものを悪いとは言わないし、楽しんでいる人もいるだろう。敢えて水を差す気もないけれど、女の子がなるべく手間暇をかけるのが良い!みたいな、女子力お試しイベントみたいな風潮はどんどん廃れていくとよいと思う。モラ気質の男を喜ばせるだけである。


★次は、合宿の話です。


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