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稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――⑤

 ちょっと流れが途切れますが、前回はこちら

 全ての記事に目次を貼るのはだるいので、間隔を設けつつ記事URLをつなげたツイッターを目次替わりにはっておきます。


5. 閑話休題:モラとの結婚

 演劇絡みであったことを書こうと思っていたが、何分自分のメンタル上重いことが色々あったので、ちょっとその辺りを書くのには充電が必要なので、寄り道をしようと思う。「モラとの結婚」というタイトルだが、私はモラどころか、誰とも結婚したことがないし、今後も多分しない。フェミニストっぽい人でも、結婚「できる」という表現を使ってしまうくらいだから(勿論、文脈が大事なのだが)、結婚というのはどうしても一定のステータスとして力を持ち続ける何かなのだろう。
 一応、今現在の私の結婚に対するスタンスは、基本的には「興味がない」だし、他の人がする分には勝手にしたらよいと思っている。だけれど、既婚者によっては「結婚しているが故の驕り」みたいなものが透けて見えてしまう人もいて、そういうときは、だから結婚っていやなんだよな、と思っている。私の周囲で、少なくとも私が一方的に多少なりとも親しいと見なしている人の中では、既婚をステータスとみなして、未婚を見下すとか、結婚したら一生性的に独占し合うものだという前提を声高に叫ぶような既婚者はいないし(と、私が勝手に思っているだけなら残念だけれど)、それぞれが自分たちなりに幸福であれば嬉しい限りだ。だけれど、私には、結婚のすすめはしないで欲しい。子供もいらない。惹かれ合う相手がいれば恋愛するし、いなければそれはそれだ。
 ――と、今はこんなスタンスを明確に持ってはいるけれど、稲田と付き合っていた頃は、始めはせいぜい19歳だったし、付き合ったのも三年にギリギリ満たない位だから、結婚についてまじめに考えたことはなかった。若かったし、本格的に自分が結婚というものに何の憧憬も持っていないことを自覚するに至っていなかったのだ。しかし、稲田は違った。稲田は、何がなんでも結婚したい、結婚できないなら死んじゃう(かもしれない)男だった――!!
 とは言っても、稲田の素朴ながら強い結婚願望についても、すぐに知った訳ではない。大学院に進む訳でもない、演劇の道を究めるでもない、就活するでもないという彼が、結婚なんて「地に足のついた」ことについて、まじめに考えること自体ナンセンスだと私は感じていたような気もする。その、地に足のついていないところが魅力だったともいえるわけだから、彼の強い結婚願望は、私の気持ちが冷めるのに一役買ったかもしれない。付き合った位で、結婚相手と認識されるのは、私のような人間には重い。
 前回登場したHさんが留学する前に軽く彼女の恋愛について聞いた時のことだ。Hさんは、こともなげに、留学前に「それまでの彼氏と別れた」こと、その理由は「もっと遊びたいから」であることを私に話してくれた。私は少し驚いたが、その時、まだ何となく誰でも大学か職場で交際した人と結婚するものなのだろうと認識はしていた私は同時に、「ああ、稲田さんとしか付き合ったことがないまま、稲田さんと結婚するのだとしたら、なんだか人生損してるような……」と薄ら考えている自分に気が付き、慌ててその考えを退けようとした。それに、結婚の問題なんて、あるとしたら、何年も何年も先のことで、その時考えれば良いとも思った。私は学生で、やりたいことがいっぱいあるのに、結婚だのなんだの考える必要はないという意識はハッキリあった。ところが、稲田のほうでは、そうではないようだった。こんなことを言うと、一度は好きで付き合った人間に対してあまりに失礼かもしれないが、飽く迄も私の主観で真実だと感じていることだから書いてしまうと、恐らく彼は、今、その時が、魅力のある男として振る舞える最後の時期だと考えていたのではないかと思う。語劇サークルで重鎮として振る舞い、輪の中心でものを言える最後の時期だ。その時に得ていた好みの女を所有したいと思っても、不思議ではない。逃がしてしまったら、もう結婚できないかもしれない(後に私が知った経緯をもう少し子細に書くが、彼はロシアの職場でロシア人女性と結婚し、退職して一緒に日本に帰ってきたから結婚という夢だけは叶えた)。

 はじめ、結婚に関する話題など殆どなかったのだが、付き合いが深まり、彼が一応大学を卒業する目途が立つ頃になると、彼は自分の将来に私のことを絡めて話すようになった。勿論、時々は、将来どういう仕事がしたいのかという話を軽くしたことはあったと思われるのだが、せいぜいが、「俺、文章の人だと思ってたけど本当はイメージとか身体表現とかのほうが興味あるのかも」(うろ覚えだが、大意はこんなもの)だとか、言ってしまえば「自分探し」レベルに留まっていた。しかし、勿論、年齢によって、人生の選択を制限することに私は批判的だし、なんでも普通を目指す必要はないのだが、彼の場合は少し度を超していた。現役生はどんどん入れ替わり、いつの間にか彼の同期は皆進学するなり就職するなり我が道を行っていたりして、自分探しには一応の区切りをつけているものだが、彼は永遠に自分探しをしていた。もっと言えば、「ありもしない自分」を探していたのだと思う。一度、某出版社の人と会って話す機会があったが、彼は何とか自分の書き物をしたノートを見せたりしていて、今思えば、自分では気づけないが存在するはずの「才能ある自分」を発掘してもらえるのを待っていたのではないだろうか。ちょっと穿ちすぎかもしれない。そう、私は彼に対してバイアスのかかった見方をしているのは事実だ。でも、こう考えると腑に落ちる点がありすぎて、強ち自分の意地悪な見方が間違っているとは思えないのだ。話がどんどん広がってしまうので軌道修正するが、兎に角、そんな、いつまでも自分探しをしている男の考える「結婚」とはいったいどんな御伽噺だったのか。

 それは、こんな御伽噺だ。

 時間的には少し先に進んでしまうが、私が三年生になる頃。私たちの間は多少ぎくしゃくしたものもあったが、まあなんとか続いていた(続いていなければよかったのに!)。またお芝居の問題を抱えることになるが、そのことはまた綴るとして、彼はその頃、とある目標を持った。この時の彼のスペックは、大学七年生、バイトはコンビニの夜勤、留学経験なし、単位が足りないが埼玉の実家から通うのを嫌がって下宿中という具合である。稲田七浪という名前の元ネタはそういう彼の状況を揶揄した、私の底意地の悪い所からきている。さて、彼は次のように目標を説明した。
 彼は長らくロシア語をやっているし、そう自分が優秀でないわけではないと思う。従って、語学力を生かし、海外にも行ける仕事として、上級公務員を目指したい。要は、領事館勤めとかそういう辺りだ。ぶっちゃけ、外交官になりたいとは言わなかったがその位の勢いで言っていた気がする。私は、公務員になることなど考えたこともなかったので詳しくなかったが、率直な感想は、「無理じゃね?」だった。だって、まじめにコツコツ勉強してきて、東大に入ったような人が志す所ではないのだろうか。彼は全然まじめにコツコツやっていないし、のんびり遊んでいたら大学に七年もいたという人間だ。彼の友人でさえ、「まじめにやってきた人に失礼」と断言した。だが、私は、彼と結婚するという生活を具体的に思い描いていなかったからこそ、なんと、応援した。私はこう伝えた。
「うんうん、いいね。私、自分が養ってほしいとかそういうことは思ってないけど、何か自分の道を見つけてもらってよかった」といったような内容のことだ。これは本気だった。一人の別個の、独立した人間として、努力して何か一つのことを成し遂げて欲しいし、私とは関係なく、自分の人生というものを真剣に生きてみて欲しい。私と続くかどうかとか、そんなのは些末な問題だと思った。ところが、彼はやや憮然として、こう言った。
……養ってあげるんだよ?
 私は、彼が何を言っているのか、よくわからなかったので、曖昧に笑って流したと思う。本気で分からなかったのだ。誰を養うって?だって、私の家に入り浸ってしょっちゅうごはんを食べていて、仮眠もとって、泊まって、二人でする貧乏旅行に出すお金を私がちょっと渋ったら文句をいう、お坊ちゃんで七年も大学にいさせてもらっている彼が誰を養う気でいるのか、わかる訳がないじゃないか。ペットでも飼うのか?猫なら彼の実家に三匹いたが。追求すると色々変なことになる気がしたから、何も言わなかったが、彼は更に付け加えた。
「ソラリスも、大学院に行くとか、色々あると思うけど、ソラリスをつれて世界中つれていってあげたいんだ
 それは、有難い。私の意志も一応は尊重してくれるらしい。よく考えると、「私の希望があること」と、「彼のやりたいこと」の間にどう折り合いをつけるのかは一切説明されていなかったが、それでも私は、珍しく自分の意志を尊重されているような気がした。とはいえ、「とりあえず、無理じゃない?」と頭ごなしに言うことはできないものの無理だろうと本心では思っていた。だって、世の中には、彼を100人足したよりも優秀な人間が山ほどいるというのに。何なら、優秀ではなくても、この縁故主義の社会で、彼より家柄がはるかに良い人間もいっぱいいる。そして、彼は、そういう勝負を逆転するほどの気概は持ち合わせていない。ドラゴンボールは二人とも好きな漫画だったが、彼はベジータを凌駕した悟空のようにはなれない。ただ、個人として、友情から、応援することにした。随分、協力もした。ともあれ、私は、二人が結婚するか否かという事とは完全に切り離して考えていたのだが、彼にとっては全く同一の問題だったのだろうと思う。だって、彼は、これも、別れの時に細かく書こうと思っているが、私との別れの際に泣きながら「一番の恋愛は失敗したから、二番目に好きになった人と結婚するッ……!」と、新手の捨て台詞を生み出してしまうほど結婚願望が強かったのだから。妻帯者というステータス抜きで物事を考えたこともなかったのかもしれない。基本的に顔を合わせなくてもよくて、生活だけ面倒見てくれて、何の義務も求められないお金持ちの面白いゲイとなら結婚してもいいかな……とまでは当時は思っていなかったが、今の私はそんな感じで、そもそもそこですれ違っていたのだが、深く話し合ったことはなかった。だって、彼自身、男友達の前では、「結婚っていうのはさ、社会的に肉体関係を持つことを認めてもらうということだろ?」云々と、なんだか理知的な調子でぶっこいていたので、私はその時口こそ出さなかったが、「そうそう、その程度のもんよ!しかも紙切れ一枚で、夢見るもんじゃーねーよな」と思っていたので、彼がそんなに結婚に夢を見ているなんて思わなかった。
 もしかしたら、これを読んで、結婚を重視する人からは、私は非難されるかもしれない。「結婚する気もないのに、付き合うな」と。確かに、もう少し年齢を重ねていたら、私も少し気を使って、付き合う段階で「私、結婚に興味ないから」と一応伝えておき、先々のトラブルを回避するところだが(今なら、その上「私、あなたよりリヴァイ兵長のほうが好きだけど、いい?」と言ってしまうかもしれない……)、当時の私は、どの時点をとっても19歳の終わりから22歳になるかならないか位のまあまあ若い未熟な人間であったわけで、大学生とはいえ20代半ばを迎えて、本当なら研究をするなりこれと決めた道で働くなりしているべき年齢の男が、いくら結婚願望があるからといって、自分の夢に付き合わせていい相手ではなかったと思う。そんなに結婚がしたいのなら、堅実な道を早くから模索するべきだし、自分よりも若い相手と付き合っているのならば、将来について相手の意志を聞くべきだ。稲田に限らず、そう思う。後にモラハラで捨てられた超年上夫の某芸能人もなんだか色々言っているが、もっと小さな年齢差でも、結婚というのは相手の人生を変えてしまうことでもあるのだから、始めから自分のペースに従わせるつもりで「結婚相手」として見るべきではないと思う。
 ともかく、稲田と「結婚してしまっていた可能性」は、ほぼないと思うが、私が社会的通年に流されてしまっていれば、バカみたいに在学中にやってしまったということも全くありえなかったとも言えないから、ずいぶん傷つけられて時間を無駄にはしたが、結婚に至らなかったのは不幸中の幸いである。

 ここで、稲田には素敵な祖母がいたことを付記しておきたい。ある時、貧乏学生旅行の中継地として、彼が、祖母(父方か、母方か、忘れた)の家に泊めてもらうと提案したので、ちょっとだけ気は引けたが、ご厚意に甘えることにした。しかし、稲田は「友達が来る」とだけ伝えていて、「彼女が来る」とは言っていなかったので、老婦人は正直に驚いたままを口にした。彼女はものをはっきり言う感じで、背筋も曲がっておらず、夫には先立たれていたが、元気そのものといった様子だった。恐縮しつつ、三人で机を囲む時間を迎えたが、その時に彼女は何を思ったのか、私をじっと見てこう告げた。

……結婚はね、よく考えなさい」と。

 それを聞いた私は素直に正論だと思ったし、そもそも結婚はまだ考えてないんで大丈夫デース★と言いたい位でもあったが流石に恋人の前でそれは言えず、ふんふんと聞いていただけだったと思うが、稲田の顔を見て少し驚いた。否、正確には何度も見た顔なので、驚いたというと少しニュアンスがおかしいかもしれない。憮然、仏頂面――気に入らないことがあったときの、あの顔だ。プライドが傷ついて、でも、言葉で反論できず、屈辱を抱え込んだ時の、彼の子供っぽい表情だ。そして、就寝前、二人きりになると、彼はなんだかいつものように色々なことについて高説を並べた気がするが、内容は覚えていない。ただ、最後はどういう経緯でか、こう締めくくられた。

「で、俺は思ったね。なんなら、今すぐにでも、この女と結婚してやる!……てさ」

 私は、この時も困惑しながら微笑んでいたのだと思う。よくわからないとき、どういえばいいか困るときは、兎に角笑って機嫌を取りながら、曖昧な空気に溶け込んだ。これは、私についた悪い癖だった。「あんた、人と結婚してあげるほど偉いの?」と、銀〇のお妙さんのような笑顔で告げて鼻フックでもすればよかったのだが、そんな格好良い女にはなれなかった。ともかく、稲田自身は、自分をかなり優良物件だと思っていたらしいが、多分、客観的に見てもかなり妥協した物件でしかないというのが現実である。彼が大嫌いな、現実である。

★次回は、前回に綴ったことの続きに戻ろうと思います。

あの時のことは今でも悪夢で、あんな男に期待した私がバカではありましたが、きちんと書きます。


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