甘えと依存

私は甘え下手だ。

姉妹の姉だという生育環境も関係しているとは思うけれど、そもそも性格的に、人に頼らず自分でやる方が気楽、という考え方だからかもしれない。
普段はストレートにモノを言う癖に、いざ自分の希望を言おうとすると、先回りして「迷惑かな」とか「こんなこと言ったら幻滅されるかしら?」と一歩引いてしまう。

専業主婦をしていた8年間は、正直とても辛かった。
退社するまで、同年代の女性達の中では割と給与水準が高かったということもあるし、夫に全て出して貰うということが「甘え」であり「依存」なのではないか?と勝手に寂しかった(夫にはそんな事一度も言われたこともないのに)。

だから、一部持っていた住宅ローンは、自分の口座からの引き落としを止めなかったし、自分の物を買う時は自分の貯金から全て出していた。
勝手に卑屈になっていただけだと言われるかもしれないけれど、マネタイズが出来ない育児や家事だけしていて良いのだろうか?と、子供のために退社した事を何度も後悔したりもした。

もちろん子供たちは可愛いし、家事も(威張れるような事ではないけれど)手は抜かなかったし、それなりに楽しい日々だった。
けれど、『良いじゃない、シングルインカムで不自由なく生活出来てるんだし。ダラダラ出来るのに不満なんて贅沢だよー。甘えちゃ駄目なの?』と笑う周りのママ友達に『そうかなぁ?』と曖昧に合わせながら、私はやっぱり「甘え」られないし、“経済的な”「依存」も嫌だと心のシャッターをこっそり閉めていた。

前回アップしたnoteでも書いた「自立」については、この「依存」と対極の関係にあると思う。
友人が『もし経済的に自立して、子どもを連れて離婚したとして、子どもが巣立ったら独りになるのが怖い』と言うので、これに関しては結構厳しめに意見をした。

それは、子どもへの「依存」だと。

ある一点で自立したように見えても、依存がどこかにある限り、完全な自立だとは言い難い。
物理的に独りになることと、孤独は全く違う。
社会とどこかで繋がっていたり、友人がいたりすれば完全な孤独とは言わない。

友人がもし経済的に自立出来たとして、その時に離婚するか続けるか選択すれば良いと思うのだけれど、彼女に贈ったアドバイスは『この先もその人の隣を歩きたいか?と、自分自身に訊いてみて』ということだ。
もしそれで、独りになることを選んだとしても、きちんと自立さえ出来ていたら、また隣を歩きたいひとが出て来るかもしれないよ、と。

経済的に自立しても、自ずと精神的な自立が進むわけではないけれど、少なくとも一部分は誰かへの依存から卒業出来る。
その後は、誰かに精神的な依存をしないよう、しっかり自分の足で立って、自分の頭で考えて進むこと。
そうなれば相手に依存しないで、自立した者同士としての関係を築けるはずだから。


『じゃあ、"Sola"は誰にも甘えたくならないの?』

訊かれて答えに詰まった。
甘えたくないと言えば嘘になる。
けれども私が必要としているのは、甘えさせてくれたり守ったりしてくれたりする関係ではなく、同じ視点で見て、隣を歩けること。

例えばどちらかが躓いたり、立ち止まったりしても、隣にいてくれる安心感と、いつも味方でいてくれるという絶対的な信頼があれば、また前に進めるのではないかと思う。
「甘え」でも「依存」でもなく。



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