一瞬が永遠になるものが恋  永遠が一瞬になるものが愛①

ふらっと目についたネットコラムを読んでいたら、柴門ふみさんのインタビューが掲載されていた。
『恋する母たち』という漫画が静かにヒットしているという。
「母になっても恋愛する40代女性たち」がテーマらしい。40代既婚女性の恋愛について、今ブームが起きているのか?
それともたまたま私が同じテーマのものにフックしているだけなのか?

柴門さん曰く、家族の分だけしがらみが多くなるので、大人は静かに恋心を葬り去ることが周囲に対する誠実さだ、と。
『でも、それでは自分の心に誠実だとは言えない。人は出逢う順序までは選べない。何が正解とは言えない』と、インタビュアー自身は迷いを覗かせていて、なんだか煮え切らない結論で終わっていた。

柴門さんの側からだと女性目線がバリっと強いけれど、一方でご主人の描く「島耕作」はバンバン愛人作っている風だし(読んだことないから、私の勝手なイメージだけど)、ご夫婦間でその辺の意識共有はされているのか?少々説得力に欠けるなぁ、と思う。
男性はパラレルで恋愛を進められるけれど、女性は一本道だという点で大脳生理学的に違うから、”恋愛”に対する結論が違うのは仕方のないこととは分かっているけれど。

読み進んでいたら、コラムから更に古いコラムがリンクされていて、今度は上野千鶴子先生の「結婚と家族」というブックトークの記事へ辿り着いた。
こちらはまた凄くフェミニズム色が強く「人はなぜ不倫せずにいられるのか」とかのっけからカウンターパンチの嵐。
でも、上野先生の言葉の方がさすが説得力がある。
私自身がこの論旨に賛成!と言えるかどうかは別として。

『一瞬が永遠に続くと信じることを、妄想と言います。だから結婚が一生続くと思うのは、血迷ったのか、それともルール違反を承知でぬけぬけと嘘をついたのか。』

結婚について“妄想“だと言い切られてしまうと、ぐうの音も出ない。
でも『マチネの終わりに』から考えてきた”分人主義”にも繋がるこの主張は、正しいような気もする。
つまり自分に誠実に向き合うということは、結婚の矛盾と現実、ひいては人生の後半生でのパートナーシップについて、本気で考えるということなのだ。

『たとえば20代で結婚を決めたとして、これから人生100年になるとしたら、その後、70~80年、あたらしい恋愛を封印するなんて考えにくいですよね。』

結婚は、その後の恋愛に封印をするという行為だ、と上野先生は言う。
今の生活と、これから先の日々に微塵の疑問も感じていなかったところに、別な恋愛が入り込んで来たら、どうすればいいのか。
先生なら、「結婚とか家長制度に縛られるなんて、だからナンセンスなのよ」と言いそうだ。
そこでもう既に結婚している者は、思い切って離婚して新しいパートナーシップを築くか、『マチネの終わりに』の平野先生が説くように”分人主義”を掲げるほか無いのだろうか。

新しいパートナーシップを築くのにしがらみが邪魔をする、というのが先の柴門先生の意見だ。
確かに言いたいことも良く分かる。
特に子どもを持った今は余計に。
親権は?子どもの苗字は?転校させる?財産分与は?etc....

”事実婚”で良いという人もいるけれど、例えば倒れて病院に運ばれても、”配偶者とは認められないのでICUには入れない”とか”臨終に立ち会えない”とか、死後の手続きも何かと「配偶者であること」が最重要視されるのがこの国のシステムだ。
フランスのように、もっと自由にパートナーシップと緩い家族関係を築けたらいいのに。

上野先生の発言から“一瞬と永遠”について表題のコピーを思い出したのだけれど、長くなってきたので続きは②で。

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