月と金木犀
先日のこと。
夕方、外へ出たら、どこからか金木犀の香りがした。
どこからだろう?と辺りを見回す。
角を曲がった数メートルも先に、木を見つけた。
花が見えないけれど…と探すと、枝の根元近くに小指の先くらい、ほんの2,3輪だけ咲いている。
こんなに小さな花から、あんなに遠くまで香っていたのだ。
「私は、ここにいる。」
まるで、そう言うかのような存在感。
こんな風に変わってしまった世界でも、当たり前のように季節は移ろい、自然は生に満ち溢れている。
金木犀の甘い香り。
ただそれだけのことなのだけれど、無性にそれを伝えたくなった。
離れた場所にいても、きっと同じように季節の移ろいを感じてくれるであろうひとへ。
夜、ベランダに出て中秋の名月を眺めた。
今日の月をいま見上げているひとは、どれくらいいるのだろう?とふと思う。
ひとは、いつだって孤独だ。
たとえ並んで月を見ていたとしても、お互いの心の内が全て見えることは、永遠にない。
同じ時を生きていても、共有できることはほんの僅か。
一生のうちのその僅かな一瞬を糧にして、ひとは生きるのかもしれない。
生まれてきた意味と、生きてゆく意味。
深く考えると、少し苦しくなる。
世の中が混沌としている、こんな時だから。
同じ月を見ている。
同じ季節の香りを感じている。
ただそれだけのことかもしれないけれど、誰かと繋がっていると感じられたら、生きてゆくことがほんの少しだけ素敵に思える気がする。
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